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2006年11月20日 (月)

名古屋にアート写真ギャラリーがオープン!!

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11月18日(金)にオーチャード・ギャラリー(アート・フォト・サイト名古屋)がグランド・オープンした。最初の企画は東京で評判だった「マイケル・デウィック写真展」(ザ・サーフィングライフ)。これで東京で行った写真展示が、名古屋にも巡回するようになる。中部圏でのアート写真の認知度アップと顧客開拓の役割を担ってのオープンだ。

展示作品数は30点。事前準備は前回出張時にほぼ終了していたので、今回は日帰りでお手伝いに行ってきた。写真展準備には多くの細かい雑用がある。初めての会場だったので思った以上に時間がかかった。最終的にライト調整をして、キャップションを貼り終えたのはなんとオープンの5分前だった。

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オーナーO氏の尽力のおかげで、名古屋初の本格的アート写真ギャラリーオープンへの地元メディアの反応は好調のようだった。新聞の取材などが初日から入っていた。名古屋の土地柄が現れていたのは膨大な数のお祝いの花が贈られてきたこと。胡蝶蘭の鉢をはじめ入り口周辺は高級な花屋さん状態だった。オープニングのパーティーは盛大に5時から開催。オーナーの知り合い、取引先を中心に延べ100名を越える方々がお祝いに駆けつけてくれた。
パーティーでは地元ギャラリー関係者の話も聞けた。名古屋もギャラリー新規オープンは多いようだ。しかし、短期的に儲からないと直ぐに撤退するのが常とのことだった。ギャラリーがオープンすると、現実との戦いが始まる。いくら素晴らしい展示をしていても、その情報が作品を求める顧客に届くのにどうしても長い時間がかかる。マスコミが積極的に取り上げてくれるのは最初だけなので、あとは地道な営業努力の継続しかない。写真展開催には大きな経費がかかる。儲からないどころか、作品が売れないと単純に赤字が積み重なるのだ。その上、ギャラリーの人間関係は複雑だ。才能を持った人間的に素晴らしい作家は売れている一流の人だけ。感謝もしない、自己中心的でわがままな作家もいる。そして顧客からのさまざまな要望に答えなければならない。赤字が積み重なり、人間関係が嫌になって撤退する業者が多いのだ。

ギャラリーは個人でも情報発信可能なメディア。オーナーがギャラリーを通じて何を表現したいかが非常に重要になる。この仕事の面白いところは、情報発信を行い新しい価値観を構築し、市場を作っていくことなのだ。O氏は将来的に地元犬山市に写真美術館開設構想を持っている。今回のギャラリーオープンはその第1ステップなのだ。そして取り扱う写真の方向性も明確だ。コンセプトが難しい現代アートの写真ではなく、エログロやプリントのクオリティーを求めるコレクター向けの写真でもない。壁に飾れる時代性を持ったセンスの良い写真を中心に紹介していくつもりなのだ。最も潜在需要の大きい市場を攻めようという素晴らしいビジネス感覚を持っている。 またこのジャンルなら美術館としても他との差別化が図れることは明確だ。

写真はもはや現代アートの一部だ。他分野のアート同様にただ見ただけでは理解できない。見る側も情報を収集し作品を理解する能力を高めることが求められる。ギャラリーは作品展示とともに、アート写真の啓蒙活動が必要になる。その第1弾として12月17日(日)に東京で長年開催している、ファイン・アート・フォトグラファー講座を行う予定だ。プロ・アマ問わず、まず写真を撮影する人が参加してアート写真を理解して欲しい。

・ファイン・アート・フォトグラファー講座について
http://www.artphoto-site.com/seminar_1_n.html

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2006年11月11日 (土)

中村ノブオ 「How's your life?」始まる!
時間感覚を呼び起こす珠玉のポートレート

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(C)Nobuo Nakamura 1983

中村ノブオの写真集タイトル「MIHARU」は彼の出身地福島県三春のこと。90年代の約10年間、彼は無地の撮影用背景をバンにのせてこの地を何度も訪れて地元住民を撮影し続けた。リチャード・アベドンが中西部を撮影したプロジェクトの日本版ともいえる。写真展「MIHARU」は2000年に新宿コニカ・プラザで僅か1週間だけ開催された。当時は、私も写真展開催は知らなかった。企業系ギャラリーは、アマチュアの写真展も開催するので普段はあまり気をとめないのだ。ブリッツ・インターナショナルで写真展を企画したのが2003年。その時は1985年刊の写真集「ハーレムの瞳」から再セレクションし、企画したものだった。写真展は大きな評判をよび、作品もかなり売れた。その時に「MIHARU」のオリジナルプリントを見たことがないという意見を数多くいただいた。実は、恥ずかしながら私も見たことがなかった。それ以来、「MIHARU」をベースに何らかの写真展ができないかと思い悩んでいた。
あるときアンリ・カルチェ=ブレッソンの一文に触れる機会があった。彼は自身のポートレート写真について、"私は特に被写体の内に秘めたものを引き出そうとしている。人の表情ではなく、パーソナリティーを表現したいと考えている。"と述べていた。中村のポートレートも全く同じ姿勢、アプローチで撮影されているのに気付かされた。 「MIHARU」を見直し、素敵な表情の老人、子供が数多く撮影されているのにあらためて注目してみた。すると「ハーレムの瞳」や、70年代の35mmカメラで撮影されたシリーズにも同じような老人と子供が写っていた。
老人の顔には今まで生きてきた人生が反映されるという。良い人生を生きた人は柔和な表情がにじみでて、また不幸せな人生を送っただろう人は気難しい顔をしている。そして、良い人生を送ってきた人は無垢の心を持った子供の表情を持つ。中村が撮影した老人たちははみんな嫌味のない顔をしている。彼らが充実した人生を送った人々であろうことが伝わってくる。中村が被写体を選ぶとき、たぶん彼は顔に浮かび上がるその人の人生を見ているのだろう。被写体との一瞬のコミュニケーションでその人生を肯定できる人を撮影していることに気付いた。そして彼の70年代から今までの作品の中から、老人を中心に、子供も加えてセレクションし写真展にまとめ上げたのだ。30年以上に渡っているので、各時代の懐かしいファッションが映し込まれている点にも注目してもらいたい。「MIHARU」で撮影されている人々のファッションはたぶん10年後にはなくなり、懐かしむ対象になるだろう。
写真展タイトルの“How’s you life?”は彼がニューヨークでモデルに声をかけるとき使っていた言葉。日本語だと、“ご機嫌いかが?”の意味だが、彼は被写体の顔に刻まれた人生(“Life”) にも思いを馳せて話しかけていたのだろう。

写真展の企画がきっかけで、東京の老人の表情を見るようになった。機嫌が悪く、怒っているような顔の人が多いのに気付いて愕然とした。何十年後かに、あのような顔をしていたくないと思った。どうすればいいのだろうと考えてみた。結局、未来の希望を信じて日々目的意識を持って生きていくしかない、というようなありきたりの答えしか出てこなかった。

色々なことを考えるきっかけを作ってくれるのが中村ノブオのポートレートだ。彼の写真を通して、私は夢があった子供時代を思い出し、自分の未来に思いを馳せた。 そして現在の自分を意識した。中村は、老人と子供を撮影することで、人の過ごす時間、つまり人生を表現しているのだと気付いた。

本展では約37点のモノクロ・プリントが展示されている。
期間は12月23日まで。作家は11月18日(土)、午後2時~4時まで来廊します。多くの方のお出でをお待ちしています!
http://www.artphoto-site.com/gallery_exh_065.html

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2006年11月 9日 (木)

ZENフォトグラファーズ写真展を振り返って…

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(C)Nohagi Naka

ZENフォトグラファーズ展が終了した。
期間中、多くの方においでいただきありがとうございました。また"禅"というやや小難しい企画に賛同して参加してくださった、横木安良夫、ハービー・山口、小林基行、大和田良、中乃波木の各氏には心よりお礼を申し上げたい。

本展は来場者の年齢構成がいつもとかなり違っていた。普段はどちらかというと中年層が多いのだが、今回は若い人の来廊者が多かった。彼らは友人にも見て欲しいのでと、案内状を多めに持ち帰って写真展PRに協力してくれた。そのためか案内状の店頭分は会期終了前に無くなってしまった。グループ展なので大目に制作したのだがうれしい誤算だった。また今回はアマチュア写真家の来廊もあまりなかった。やはり、カメラ機材と関わる興味がイメージしにくい写真展だったのだろう。

テーマが"禅"なので、メッセージ性が強い写真展だった。そのような場合、受け手の持っている記憶と問題意識によって解釈や理解度がかなり違ってくる。いまやみんなの共通前提はない時代なのだ。関心が持てない人はただ通り過ぎていく。アートのコミュニケーションが機能するには、見る側が普段何を考えているかに影響されるのだ。
ということで来場者構成から、若い人が今の社会の中で、生き方がわからないで悩んでいることが分かってくる。普段思い悩んでいるから、禅というキーワードにひっかかったと解釈できる。当然、中年層はもっと悩んでいるはずだ。しかし、彼らは忙しすぎてアート情報などに気をかける精神的、時間的余裕がないのではないか。私が本当に見に来て欲しかったのは彼らたちだったのに・・・。更にその上の年代、終身雇用勝ち逃げ世代といわれる人たちはというと、彼らはもう余裕があるのでいまさら、禅や癒しなどにはあまり関心がないのかもしれない。
若者はだいたいお金の余裕がないので本展の売り上げはいまひとつだった。しかし、若い人が何かを感じてもらうきっかけ作りの写真展開催もギャラリーの役目だと思っている。

実は、将来本展をもっと大きな規模でやりたいと考えている。夢は京都あたりの禅寺での開催だ。ZENフォトグラファーズ写真展はギャラリーのライフワークとして今後も企画を膨らましていくつもりだ。

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