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2007年9月24日 (月)

明かされたゾイ・シリーズの誕生秘話
トミオ・セイケ氏のトークイベント開催!

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9月22日(土)にトークイベント「ゾイ・シリーズとライカ」を作家のセイケ・トミオ氏を招いて行った。参加できなかった人のために簡単にトーク内容を紹介しておこう。

  • ゾイ・シリーズ誕生の背景
    セイケ氏学生時代に講師が紹介した、スイス人写真家ルネ・グルーブリィ(1927生まれ) の作品「The eye of Love」が原点のひとつだという。「現代写真の名作研究」(吉村信哉著、昭和45年、写真評論社刊)に約16枚程度が掲載されていたそうだ。これはグルーブリィが恋人とフランス国内を旅して様々な状況で彼女の姿を撮影したもの。1954年に写真集が刊行され、U.S.カメラの1955年版に紹介された作品という。セイケ氏はグルーブリィ作品に出会って以来このようなスタイルで女性を撮影したいという意識を持ったそうだ。
    もうひとつの影響はクロード・ルルーシュのフランス映画「男と女」(1966年)とのこと。セイケ氏は当時の東急名画座で何度もこの映画をみて、描かれるヴィジュアル世界に深く感銘したという。
    1970年代前半にカメラ毎日で紹介されたジャンルー・シーフも作品誕生の一因となっている。ライカを使用していたシーフ作品に魅了されたセイケ氏は、彼と全く同じ機材を揃えたという。当時はライカはまだジャーナリズム写真での使用が中心だった。ライカで作品制作を行っていたシーフに興味を持ったらしい。そしてシーフを意識してライカで作品制作を試みるものの、彼のようには撮れないことを発見する。
    全く同じ機材でも人それぞれの世界観があるので、決して同じにはならないことに気付いたとのことだ。これが作家セイケ氏の原点となり、自分は独自の方向性を見つけださないといけないと確信したのだ。その後のZoeシリーズがライカで制作されているのはシーフの影響によるということだろう。
    以上の流れが根底にあり、そして80年代前半のポーランド系アメリカ人ゾイさんとの東京での運命的な出会いがあるのだ。

    クリエイティビティーは何もないところからでてくるのではない。過去の表現者の作品の様々な影響を受け、それを自分の中で消化して新しい組み合わせをみつけたり、突然変異を起こさせることが創作なのだ。そして、欧米のアート界で求められるのが、作家自身が写真史とのつながりを明確に認識していることなのだ。日本のような、「なんとなく~」では通用しない。セイケ氏の明解な説明を聞いて、海外市場で高い評価を受けている理由が再認識できた。

    数年前のパリフォトでセイケ氏はなんとルネ・グルーブリィ氏と出会ったという。自らが影響を受けたことを語り、後日写真集「Zoe」を贈呈、本人からEメールで感謝のメッセージが届いたそうだ。グルーブリィ氏との運命的な出会いが80年代のZoeシリーズを回顧するきっかけとなり、今回の未発表作品展が実現したのではないだろうかと感じた。

  • ライカとノクチルックス
    セイケ氏は暗い写真が好きという。つまり明るくないことで写したくないものが消えるからのようだ。"夜間や室内の撮影をする場合、レンズの明るさは非常に重要。フィルムはトライXを400のまま使用する。その時の限界のシャッタースピードが1/15くらい、しかし余裕を持つためにせめて1/30くらいでは切りたいのが本音。ノクチルックはそれを可能にしてくれる。"ということなのだ。1976年に発売されたこのレンズを、1977年には当時の代理店シュミット商会から借り受けて使用したという。その後、たいへん気に入って20万くらいで購入されたとのことだった。たぶん、日本では最も早くこのレンズの特性を生かして作品に取り組んだのがセイケ氏だろう。
    またセイケ氏の持つ写真観がライカを使う理由であることがよくわかった。彼はシャドーがモノクロ写真の一番美しいところで、それを現すにはハイライトつまり光が重要な役割を果たすと考えている。また写真は平面だが、奥行き間を感じるような画面構成を好む。それが一番できるのカメラがライカなのだという。

  • 写真の美学
    トークは盛り上がって最後には独自の写真美学まで展開していった。話は写真のデジタル化から展開した。"写真は不完全のメディア。100%完璧なネガは存在し得ない。数々の偶然性が支配するところが写真たるゆえんである。絵画で完璧に描けているものが名画と呼ばれる。デジタル処理で100%完璧な作品を制作してもそれははたして写真なのか。感情に訴えるものがあるか。写真は写真家のシャッターを押す一瞬の感動が反映されているはずだ。完璧なネガから作られたプラチナプリントよりも、不完全だがウェストンが感動して撮影した写真の方に私は魅力や美を感じる。"
    これは非常に重い発言だと思う。ただし、もし写真家が自分が撮影時に感じた感情の高ぶりを忘れることなく、デジタル技術を使用することでその時の感覚により近い作品ができるならそれはアートとして認められる余地はあると思う。しかし手段が目的化してはだめなのだ。

    写真家にとっての独自スタイル確立についても伺った。オリジナリティーは自分が語ることではなく、表現したい何かを追求し続けることの結果なのだという。
    競争の熾烈な欧米アート業界では同じようなスタイルの写真ならギャラリーが取り扱ってくれない。逆説的だが、継続できていることが独自スタイルが認められている、という解釈なのだ。20年以上に渡って欧米の有名ギャラリーで作品を発表しているセイケ氏だからいえることだろう。

    写真のサイズに対する見解も興味深かった。セイケ氏の写真は非常に小振りだ。だいたい11X14インチのペーパーに8X10インチよりも小さくプリントされる。実はこれも彼の写真に対する明確な考えの現われなのだ。"写真は手にとって、目の前にかざして見るものだ思う。それに適したサイズを意識している。大きいと視点で全体像を見れなくなってしまう。写真はマスの中にあってこそ魅力があるアートだと考えている。"セイケ氏にとって、巨大な現代アートの写真はお化けのように感じるらしい。最近はあらゆるところにお化けが出現して怖い世の中になった、という冗談で1時間に渡るトークは終了した。

話される内容のレベルはかなり高かったが、アート写真に興味のある人には非常に役に立つ機会だったのではないだろうか。欧米の写真市場で評価されている作家の生の話を日本語で聞ける機会は滅多にない。そういえば、ギャラリー関係者、写真家、コレクターなどの玄人筋の参加者が多かった。

トミオ・セイケ写真展「ポートレート・オブ・ゾイ」は11月3日まで開催中です!http://www.artphoto-site.com/gallery_exh_074.html

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2007年9月14日 (金)

80年代の気分が現代に蘇る
トミオ・セイケ「ポートレート・オブ・ゾイ」第II章

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(C) Tomio Seike

秋の写真展はトミオ・セイケの「ポートレート・オブ・ゾイ」でスタートする。若い人は彼のことをあまり知らないかもしれないので、少しばかり紹介しておきたい。セイケ氏はもともとはファッションやコマーシャル写真家として活躍していた。80年代に英国を中心に本格的に作家活動を開始している。ロンドンのフォトグラファーズ・ギャラリーに最初に作品委託したのが、当時取り組んでいた「ポートレート・オブ・ゾイ」シリーズの初期作品だ。なんとその作品数点を最初に購入したのが、最近再結成されたザ・ポリスのギターリストのアンディー・サマースだったという。ザ・ポリスは84年に解散しているので人気絶頂期のアンディー・サマースが当時まだ無名のセイケの作品をコレクションしたのは大事件だったと思う。実は彼は写真マニアで、写真集「Throb」も1983年に出版している。

このシリーズのコンセプトは簡単明解だ。ゾイというポーランド系アメリカ人女性の20歳から25歳までの成長と変化と東京、ロンドン、パリ、ニューヨークで撮影しているのだ。詳しい内容はギャラリーの案内で紹介しているのでそちらを参考にしてください。http://www.artphoto-site.com/gallery_exhibition.html

実は本シリーズの写真展は私どもでは2回目となる。1993年、当時広尾にギャラリーがあり名称がブリッツ・ギャラリーのときに開催している。翌年には、本シリーズの写真集もギャラリーが出版して、銀座の小松ストアーで記念写真展も開催した。写真集化されたことでシリーズはとりあえず終了し、その後セイケ氏は風景を中心に作品制作を行うようになる。
それから約13年経過した。今回、セイケ氏が過去のネガを見直して未公開作を発表するきっかけになったのは世界的な再評価の流れに背中を押されたからだろう。今世紀の入り、ドイツで「Zoe」の写真展が開催され好評だった。またオンラインで販売継続している写真集の売り上げがも毎年増加傾向にあった。オークションでビンテージプリントが出品され落札されたりもしている。現存作家でセカンダリー市場で値段が付くのはまさに世界的な一流作家の証なのだ。作家本人はたぶん多方面からの新たな反響が届いていたのではないか。
写真展開催は約1年くらい前から決まっていた。私はどんな作品が出てくるのか興味津々だったが、なかなか全貌を明らかにしてくれなかった。最初にパソコン上で見せてもらったのが、案内状に使用した森のイメージだった。いままでのゾイシリーズにはない全く新しい方向性に感動し、その場で銀塩作品をお願いしてしまった。
映画ではヒット作の続編の内容はだいたい落ちるもの。しかしZoe第II章はシリーズ既発表作を踏襲するものの更に表現を展開させている。個別作品の完成度も驚くべき高さだ。私が注目しているのは時代性が反映されている作品の増加だ。何で素晴らしい作品が13年前にセレクションされなかったのか?その理由もわかるような気がする。写されている80年代はいまだからこそ懐かしむ対象だが、当時(90年代前半)では中途半端に昔という感覚があり、古めかしく感じられたのだろう。

本シリーズはトミオ・セイケの代表作であるとともに、第II章が加わったことで80年代の時代性をを伝える作品にもなったと思う。展示作は23点、すべてライカで撮影されている。カメラ好きの人はノクチルックスで撮影された作品を捜すのも楽しみだろう。撮影、プリント技術に詳しい人は、奇跡的な写真の多さに驚かれると思う。キャプションには撮影場所と、撮影年が記載されている。魅力的なセイケ氏のモノクロームの世界とゾイの魅力を堪能するとともに、80年代の気分や雰囲気にも浸って欲しい。

改めて詳しく紹介するが今回の注目点はセイケ氏がデジタル作品に初めて取り組まれたことだ。エディション22枚のうち、10枚がデジタルで制作される。値段もなんと5万円。(税別、フレーム別)セイケ氏の写真に憧れていたが、高額で手が出なかった人には非常に魅力的だろう。ただし、それは10枚中の5枚まで。それ以上は値段が上昇してしまう。人気イメージは早い者勝ちだ。

写真展は11月3日まで開催。日、月は休廊。営業時間は1時から7時まで。
22日には少人数予約制でトークイベントも開催します(要予約)。

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2007年9月 2日 (日)

夏休みに読んだ1冊
優れた写真作品の作り方

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夏休みに"Image Makers, Image Takers"というインタビュー集を読んだ。アート・フォト・サイトの今週の写真集でも紹介した本だ。
英文のエッセーは文章が難解で辞書なしでは趣旨がわからくなる。その点、インタビュー形式だと英語でも比較的すんなりと読める。気になる作家の部分からピックアップして読めるのもいい。
私は外国人によるインタビュー本が好きだ。質問がシンプルであくまでも写真家が中心だ。日本人の場合、インタビューする側が自分の意見を主張したり、個性を出そうとする場合が多い。難しい仕事なので有名な専門家がインタビュアーを勤めるからかもしれない。写真集にも同じような傾向があると思う。
この本のインタビュアーはジャーナリスト、評論家のアン・セリーナ・イエガー氏。「優れた写真作品制作にはシャッターを押す以外に何が必要か」という彼女の素朴な疑問を世界的に成功している写真家に投げかけている。厳選されたイメージも約200点収録されている。
本は二部構成。第1部ではアート、ドキュメンタリー、ファッション、広告、ポートレート分野の写真家20人に、キャリアのきっかけ、作品製作の動機や発想法を訊いている。実はインタビューされている写真家セレクションがこの本を購入したきっかけでもある。 以下のように、まさに最前線で活躍しているトップ・フォトグラファーばかりなのだ。
トーマス・ディマンド、ウィリアム・エグルストン、ボリス・ミハイロフ、
スティーブン・ショアー、マリー・エレン・マーク、マーティン・パー、
ユージン・リチャード、セバスチャン・サルガド、デビッド・ラシャペル、
デビッド・シムス、マリオ・ソレンティ、エレン・ヴォン・アンワース、
ティナ・バーニー、アントン・コービン、リネケ・ダイクストラ、ランキン。

実は第2部がかなり面白い。作者は、ロベルト・ドアノーが「写真は見てくれる人のために制作されることを忘れてはいけない」と発言していることを引用して、写真家とともにそれを見せる人の重要性を主張している。編集者、キュレーター、ギャラリスト、エージェンシーディレクター、アートブック発行者がどのような価値基準で写真を評価、セレクションして仕事をするか探求している。欧米では関連分野の専門家が写真家の能力を引き出す役割を果たしている、と考えられている。彼らはタイトルの「Image Makers, Image Takers」の、
「Take」、つまり写真家のイメージを取り上げて世の中に紹介しているのだ。表舞台にあまり出てこないが、彼らの写真家との共同作業があってはじめて写真の仕事が展開する。これらの人々に注目したインタビューは非常に珍しい。作者が業界内のビジネス・システムをよく理解していることがわかる。
質問項目は、新人写真家へのアドバイス、撮影哲学が必要か、作品の発想法、などの同様な質問が写真家、キュレーターたちに投げかけられており、それらの個別の回答を読み比べてみるのも面白い。以下に面白いと思った箇所を少しだけピックアップしてみよう。
訳が下手でニュアンスが伝わらなかったらお許しください。

(アン・セリーナ・イエガー)
・彼らの多くは何かを探求したり、問いを投げかける手段として写真を使用している。
・写真を見ることは時たま見逃される。写真家と見る側の目は、筋肉のように鍛えられなければならない。
・ヨゼフ・アルバースは、見る人が能力を持っていれば、写真の中に写真家の個性を見つけだすことができる、と言っている。
・アンドレ・ケルテスは、誰でも見ることができるが、必ずしも見て知ることができるとは限らない。最高レベルの写真はただのきれいなイメージをはるかに超えている、と言っている。
・カルチェ=ブレッソンは、私にとって写真撮影は叫びであり、自分自身を自由にする行為だ。決して、個人のオリジナリティーを主張したり証明するためのものではない、と言っている。
(スティーブン・ショアー)
・若い作家に会って、彼の主要な目的がチェルシーのギャラリーでの個展開催と聞いて驚いた。私の若いときとあまりにも違うのだ。私は写真、世の中、自分自身を理解しようとしていた。そのために写真を撮影しながら常に様々な疑問点を探求していた。
・偉大な写真家の作品は、個人的な探求の結果に生まれたものだと私は信じている。
・日常の中で非日常を見つけだすには、意識的な注意が必要だ。心の状態が作品に反映されたり、カメラの選択などの制作方法に影響を与える可能性があると思う。
(カミラ・ブラウン)
・キュレーターの仕事は、人々が作品の背景のアイデアに思いを馳せるようにさせることだ。作品が見る人を考えさせ興味を持てばそれはアートとしての価値があることだ。優れた展覧会は思いや考えを呼び起こす、答えよりも多くの疑問点が湧き上がるものだ。
(インカ・グラーヴ・インゲルマン)
・写真で重要なのは、よく知られた視点を再解釈しているか、また全く新しい組み合わせをを作り出しているかだ。テーマはまねできるけれども、その見方や解釈は誰も盗むことができない。
(ルドルフ・キッケン)
・写真家がアーティストになるには、堅実さと持続が重要だ。長期的にはただ美しい、衝撃的なだけの写真は見飽きてくる。
(ダイアン・ダフォー)
・優れた写真家は、ただ撮影するのではなく、なぜ撮影しているかを認識している人だ。
(キャシー・ライアン)
・人が覚えている優れた写真は感情レベルで共鳴している。それは対象の深い理解を与えるとともに、何か新しい見方を提供してくれる。
・写真は100%問いかけだ。優れたパワーを持つ写真は言葉を超える。

様々な意見や考え方があり、新たな疑問点もわいてくるかもしない。一方で、エッセンシャルな面では共通点も数多くあることがわかるだろう。アート写真ファンはもちろん、この分野でのキャリア形成に興味ある人には格好の参考書だろう。

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