明かされたゾイ・シリーズの誕生秘話
トミオ・セイケ氏のトークイベント開催!
9月22日(土)にトークイベント「ゾイ・シリーズとライカ」を作家のセイケ・トミオ氏を招いて行った。参加できなかった人のために簡単にトーク内容を紹介しておこう。
- ゾイ・シリーズ誕生の背景
セイケ氏学生時代に講師が紹介した、スイス人写真家ルネ・グルーブリィ(1927生まれ) の作品「The eye of Love」が原点のひとつだという。「現代写真の名作研究」(吉村信哉著、昭和45年、写真評論社刊)に約16枚程度が掲載されていたそうだ。これはグルーブリィが恋人とフランス国内を旅して様々な状況で彼女の姿を撮影したもの。1954年に写真集が刊行され、U.S.カメラの1955年版に紹介された作品という。セイケ氏はグルーブリィ作品に出会って以来このようなスタイルで女性を撮影したいという意識を持ったそうだ。
もうひとつの影響はクロード・ルルーシュのフランス映画「男と女」(1966年)とのこと。セイケ氏は当時の東急名画座で何度もこの映画をみて、描かれるヴィジュアル世界に深く感銘したという。
1970年代前半にカメラ毎日で紹介されたジャンルー・シーフも作品誕生の一因となっている。ライカを使用していたシーフ作品に魅了されたセイケ氏は、彼と全く同じ機材を揃えたという。当時はライカはまだジャーナリズム写真での使用が中心だった。ライカで作品制作を行っていたシーフに興味を持ったらしい。そしてシーフを意識してライカで作品制作を試みるものの、彼のようには撮れないことを発見する。
全く同じ機材でも人それぞれの世界観があるので、決して同じにはならないことに気付いたとのことだ。これが作家セイケ氏の原点となり、自分は独自の方向性を見つけださないといけないと確信したのだ。その後のZoeシリーズがライカで制作されているのはシーフの影響によるということだろう。
以上の流れが根底にあり、そして80年代前半のポーランド系アメリカ人ゾイさんとの東京での運命的な出会いがあるのだ。
クリエイティビティーは何もないところからでてくるのではない。過去の表現者の作品の様々な影響を受け、それを自分の中で消化して新しい組み合わせをみつけたり、突然変異を起こさせることが創作なのだ。そして、欧米のアート界で求められるのが、作家自身が写真史とのつながりを明確に認識していることなのだ。日本のような、「なんとなく~」では通用しない。セイケ氏の明解な説明を聞いて、海外市場で高い評価を受けている理由が再認識できた。
数年前のパリフォトでセイケ氏はなんとルネ・グルーブリィ氏と出会ったという。自らが影響を受けたことを語り、後日写真集「Zoe」を贈呈、本人からEメールで感謝のメッセージが届いたそうだ。グルーブリィ氏との運命的な出会いが80年代のZoeシリーズを回顧するきっかけとなり、今回の未発表作品展が実現したのではないだろうかと感じた。
- ライカとノクチルックス
セイケ氏は暗い写真が好きという。つまり明るくないことで写したくないものが消えるからのようだ。"夜間や室内の撮影をする場合、レンズの明るさは非常に重要。フィルムはトライXを400のまま使用する。その時の限界のシャッタースピードが1/15くらい、しかし余裕を持つためにせめて1/30くらいでは切りたいのが本音。ノクチルックはそれを可能にしてくれる。"ということなのだ。1976年に発売されたこのレンズを、1977年には当時の代理店シュミット商会から借り受けて使用したという。その後、たいへん気に入って20万くらいで購入されたとのことだった。たぶん、日本では最も早くこのレンズの特性を生かして作品に取り組んだのがセイケ氏だろう。
またセイケ氏の持つ写真観がライカを使う理由であることがよくわかった。彼はシャドーがモノクロ写真の一番美しいところで、それを現すにはハイライトつまり光が重要な役割を果たすと考えている。また写真は平面だが、奥行き間を感じるような画面構成を好む。それが一番できるのカメラがライカなのだという。
- 写真の美学
トークは盛り上がって最後には独自の写真美学まで展開していった。話は写真のデジタル化から展開した。"写真は不完全のメディア。100%完璧なネガは存在し得ない。数々の偶然性が支配するところが写真たるゆえんである。絵画で完璧に描けているものが名画と呼ばれる。デジタル処理で100%完璧な作品を制作してもそれははたして写真なのか。感情に訴えるものがあるか。写真は写真家のシャッターを押す一瞬の感動が反映されているはずだ。完璧なネガから作られたプラチナプリントよりも、不完全だがウェストンが感動して撮影した写真の方に私は魅力や美を感じる。"
これは非常に重い発言だと思う。ただし、もし写真家が自分が撮影時に感じた感情の高ぶりを忘れることなく、デジタル技術を使用することでその時の感覚により近い作品ができるならそれはアートとして認められる余地はあると思う。しかし手段が目的化してはだめなのだ。
写真家にとっての独自スタイル確立についても伺った。オリジナリティーは自分が語ることではなく、表現したい何かを追求し続けることの結果なのだという。
競争の熾烈な欧米アート業界では同じようなスタイルの写真ならギャラリーが取り扱ってくれない。逆説的だが、継続できていることが独自スタイルが認められている、という解釈なのだ。20年以上に渡って欧米の有名ギャラリーで作品を発表しているセイケ氏だからいえることだろう。
写真のサイズに対する見解も興味深かった。セイケ氏の写真は非常に小振りだ。だいたい11X14インチのペーパーに8X10インチよりも小さくプリントされる。実はこれも彼の写真に対する明確な考えの現われなのだ。"写真は手にとって、目の前にかざして見るものだ思う。それに適したサイズを意識している。大きいと視点で全体像を見れなくなってしまう。写真はマスの中にあってこそ魅力があるアートだと考えている。"セイケ氏にとって、巨大な現代アートの写真はお化けのように感じるらしい。最近はあらゆるところにお化けが出現して怖い世の中になった、という冗談で1時間に渡るトークは終了した。
話される内容のレベルはかなり高かったが、アート写真に興味のある人には非常に役に立つ機会だったのではないだろうか。欧米の写真市場で評価されている作家の生の話を日本語で聞ける機会は滅多にない。そういえば、ギャラリー関係者、写真家、コレクターなどの玄人筋の参加者が多かった。
トミオ・セイケ写真展「ポートレート・オブ・ゾイ」は11月3日まで開催中です!http://www.artphoto-site.com/gallery_exh_074.html
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