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2008年2月26日 (火)

フォト・ブック・コレクションの魅力
注目したいアート写真の新カテゴリー

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ハッセルブラッドセンターで開催されたフォトブック展のカタログ

毎年、写真集人気ランキングをまとめている。今年から、従来の総合ランキングに加えてフォト・ブックのランキングを新たに集計してみた。写真集という言葉、日本語では非常に幅広い意味で使われている。きれいなイメージをコレクションした企画もの、アイドル系、エロ系、自費出版本から、 古典のロバート・フランクの「アメリカ人」までも全て写真集と呼ばれている。
欧米で広い意味での写真集にあたるのが、"Photographic Books"や"Photographically Illustrated Books"。それらは、フォト・ブック、モノグラフ、アンソロジー、カタログなどの種類に分けられる。

実はこの分野、欧米でも最近まで明確にジャンルが分かれていなかった。いままでのアート写真市場では、オリジナル・プリントが中心で写真集は作品コレクターの資料と考えられていた。しかし、作家にとっての理想は写真展でのオリジナル・プリント展示と、写真集発売を同時に行うことだろう。写真展は時間的、物理的に制限があるが、写真集はオブジェクトとして残るので、世界中の多くの人に見てもらうことができる。時代が変わり価値観が変化することにより、過小評価されていた作品が写真集を通して再評価される機会もある。

2001年にブック・ディラーのアンドリュー・ロス氏が「The Book of 101 Books」を著し、にわかにアート写真の表現手段としての写真集が注目されるようになる。欧米では常に歴史を意識した上でアートの評価軸が語られる。プリント中心だったアート写真の歴史のなかに新たに写真集の歴史を付け加えたのが、マーティン・パーとゲイリー・バージャーによる、ガイドブック「The Photobook: A History Volume 1」「同-Volume2」なのだ。その後、美術館やコレクターが相次いで同様のガイドブックを制作して話題となった。ハッセルブラッドセンターでは、2004年にフォトブックが主役の展覧会「The Open Book」が開催されている。

写真集で、世界のアート写真ファンが注目している分野がフォト・ブック。これは、アート写真のポートフォリオ作品と同様に、ひとつのコンセプト、テーマが2次元の本のフォーマットで表現されたもの。最近は、スワンやクリスティーズなどでフォトブック専門のオークションも開催されており、はやくもコレクションの一分野になってしまった。アート写真コレクターの中にはフォトブック専用のコレクションルームを設えた人が何人もいる、と米国のある出版関係者が言っていた。写真だけでなく、グラフィック的なデザインの美しさを持つことから、オブジェクトとしても愛でられているらしい。近年高騰したオリジナル・プリントよりも値段が安いことも、多くの写真ファンを惹きつけた理由だろう。
一連のフォト・ブックの歴史検証作業で、オリジナル・プリントよりも写真集形式で作品を発表していた60年代の日本写真が再評価された。国内愛好家が密かに集めていた狭い日本の古書市場に、世界中のディーラー、コレクターが参入。特に上記ガイドブックに紹介された日本の写真集の価格が暴騰したのだ。

モノグラフもしくはアンソロジーは、画集同様に過去の写真作品をコレクションして編集されたもの。資料的な意味合いが強く、いわゆる音楽CDのグレーテスト・ヒットと同じ。しかし、それらの中にも単にベスト作品を集める以上の意思で編集されたものはフォトブックになる。写真集ガイドブックの「The Photobook:History volume 1」では、アンリ・カルチェブ=レッソンの「決定的瞬間」やウォーカー・エバンスの「アメリカン・フォトグラフス」はベスト写真を集めたモノグラフだがフォトブックだと評価している。
最近、注目されているファッション写真系の写真集はこのカテゴリーのものが多い。しかし、ファッション系のモノグラフはコレクターズ・アイテムとして高い人気がある。単にベスト・イメージが集められただけでなく、写真家が活躍した時代の気分や雰囲気が写真集に反映されている場合が多いからなのだ。
ファッション写真家の旬の時代はだいたい短く、その期間に撮影されたイメージには時代のエッセンスが詰まっている。特に90年代まではその傾向が顕著だ。
カタログは、美術館やギャラリーでの回顧展開催時に出版されるもの。しかし、これも作家やキュレーターが独自の視点でまとめたものはフォトブックになりえると考えられている。

実際のところフォトブックの明確な線引きはかなり難しい。評価する人の主観で意見が分かれる場合が多い。初心者だと最初は混乱するかもしない。しかし経験を積めば次第に良い本の判断基準がわかってくるだろう。アート系の写真集の新刊はだいたい2000部くらいしか印刷されない。もし世界的に人気が出れば直ぐに完売してしまう数だ。新刊発売後わずか数年で売り切れてとなり、レア・ブックとしてプレミアムがつくこともある。最近のフォト・ブック・ブームで、写真集を何10冊も段ボールケースごと購入する人もいるらしい。まるで良いヴィンテージのワインをケースごと購入して値上がりを待つコレクターのようだ。

私は好きな作家の気になる新刊フォトブックは、多少高くても迷わず買うようにしている。アマゾンで定価で売られていた本が比較的短期間で売り切れ扱いになることが以前よりもはるかに増えているからだ。間違いなく顧客層が世界的に増加している表れだろう。 また最近は高い値段がつく絶版フォト・ブックも抵抗なく買えるようになった。写真集を本ではなく、アート作品と意識できるようになったからだ。相場が高いということは、本自体に既に本源的な価値があることを意味する。つまり、高い値段で買っても大事にしていれば高く売れるからだ。

優れたフォト・ブックかどうかは、ヴィジュアルだけでなく写真家の持つ世界観を読み解くことでわかってくる。イメージが好きで、作家の考えに共感できたら購入候補にすればよいだろう。ただし、好きでない作家のものを、ガイドブックに掲載されているから買うのは止めた方がよい。頭で考えて買った本は後悔することが多いのだ。フォト・ブックは知識、コレクションが増えるにつれて面白みが深まっていく。一生付き合える非常にディープな趣味の世界なのです。

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2008年2月19日 (火)

都庭園美術館に行く
「建築の記憶」展

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庭園美術館の魅力は1933年(昭和8年)に建てられた建物と広大な庭が織り成す昭和モダンの雰囲気だ。インテリアはアールデコ調。美術館といっても、かつては皇族の邸宅だったところ。従って小振りの展示室や照明などが近代的美術館とかなり違う趣になっている。
1992年にここでロバート・メイプルソープ展が開催されている。やや意外な取り合わせだが、特に展示に違和感がなかったことを覚えている。
実は2004年にロバート・メイプルソープの写真作品と古典芸術、特に16世紀のマニエリズムの木版画、銅版画彫刻との関連を探求した展覧会がグッゲンハイム美術館ベルリンで開催された。そのカタログを見たときに、彼の写真が美術史の延長上にあることを改めて実感するとともに、ふと庭園美術館でのメイプルソープ展を思い出した。当時の展覧会カタログを読み返してみると、彼は1920~30年代に活躍したシュールリアリストの影響を受けている、と解説されていた。庭園美術館のアールデコ様式が欧州で流行したのも1920年代だ。当時は勉強不足で意識しなかったが、今思い起こすとそれらの関連を考えての同館での回顧展だったのだろう。

さて、今回の「建築の記憶」展だ。同館プレスリリースによる展示コンセプトは、「本展は、近現代の日本の建築を、同時代の写真家がどのようにとらえたかを辿りながら、建築史と写真史の変遷と接点を概観する試みです。これまで語られることのなかった建築と写真の関係を見据える視点を提示し、写真をとおして、それぞれの時代の建築に対する人々のイメージを検証します。」とのこと。美術館自体も作品と解釈し、内部に建築物の写真を展示するという粋な企画なのだ。アート的な見方をすると、最初は建築物の記録が写真の役割だった。それが杉本博司、畠山直哉、鈴木理策などの現代アート系作家が登場し、建築は自己表現のモチーフへとなっていくことを示している。現在、ブームになっているドイツ現代写真系の建築写真が見られなかったのは、展示スペースと会場との相性を考えてのことだろう。個人的には、モダンの視点で桂離宮を撮影し海外に影響を与えた、
石元泰博の写真が見れたことが収穫だった。

昭和の残り香が漂う広大な庭園越しに近代的な恵比寿ガーデンプレイスのビル群が見える。建築写真の展示を見た後だけに、普段は見慣れている21世紀の東京がとてもシュールな世界であることを改めて意識させられた。やはり美術館の建物が展覧会の主役だった。

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2008年2月10日 (日)

ハービー・山口の写真はドキュメント?

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"Luxembourg Central Station #1, 1999"
(C)Herbie Yamaguchi

よくギャラリーの店頭で、ハービーさんの東欧やルクセンブルグの写真(今回の展示作)はドキュメントではないのですか、と聞かれる。
私の答えは半分だけイエス。ドキュメントの要素を含んだアート作品と説明している。

彼は、カメラで何かを記録しようとは強く意識していない。作品テーマとしているのは、「人の心を清くし、人が人を好きになるような写真を撮る。」こと。彼のファンの人はよく知っているだろう。世界のどこで誰を撮影しようが、撮影スタイルは変わらない。彼は常にカメラを通して被写体に問いかけを行っている。それに反応してきた人間のポートレートが作品になる。つまり彼の写真では、互いに全く違う人生を歩んできた被写体と写真家はカメラを通してコミュニケーションしているのだ。もちろん現場では心を開かない人も数多くいるだろう。しかし、そのような人を積極的には撮影しないのだと思う。だから彼の写真は現実のドキュメンタリーではなく、自らの視点で世の中の断片を切り取った一種のファンタジーなのだ。
東欧やルクセンブルグの作品では、ポートレート以外に風景やシティースケープが数多く含まれる。それらはその地で生活する人間の魅力を表現する一環として撮影されている。彼の風景写真が魅力的なのはポートレートと同様のまなざしが感じられるからだ。そのアプローチは代表シリーズの、ロンドン、代官山17番地、東欧、ルクセンブルク、ピースでも一貫している。

ハービー・山口は、ライカ使いとしても有名だ。ライカといえば、カルチェ=ブレッソン、クーデルカなどマグナム系のフォト・ジャーナリストが思い浮かんでくる。アート写真作家は、あまり35mmを使用しない。特に最近は精緻な描写を求めて大き目のフォーマットのカラー作品が好まれる傾向がある。
ライカによるモノクロ写真であることが、ドキュメンタリーの印象を持たれる理由かもしれない。彼がライカを使うの理由はもちろんそのコンパクトなサイズによる。被写体にカメラを意識させない重要な要素だ。しかし、その描写力に魅了されたからでもあるらしい。最近の銀座カツミ堂のHPに寄せているエッセーでは、“ライカで撮った写真には、「ものらしさ」までが写っていた。つまり、人間の肌は肌らしく、洋服の布は布らしく、建物の壁は硬質のコンクリートの、いわば手ざわりが正直に表現されていたのだ。この違いに僕は、仲間達が何故ライカを使うのかが少しわかった様な気がした。ものがものらしく写る。これはすごく大きな魅力だとそのとき思った。”と語っている。詳しくは、銀座カツミ堂のHPをご覧ください。

生き難いといわれ、人の心が乾ききった現代社会、周りには口がへの字に曲がった人ばかりのように感じられる。しかし、ハービー・山口の写真世界には彼と思いを同じくする素敵な表情の人がたくさん存在する。世の中そんな捨てたものではないと私たちに教えてくれるのだ。彼の人気の本質は、決して国内外の有名ミュージシャンたちを撮影しているからだけではない。その世界観に多くの人が共感していることにある。ハービー・山口の写真展では、来廊者の顔がいつもよりも少しばかり緩んで感じられるのだ。

ハービー・山口写真展「あの美しかった冬の光」は3月29日(土)まで開催。新たにセレクションされたモノクロ作品約30点が展示中。営業時間1時から7時まで。休廊は日曜、月曜です。詳細はこちらをご覧ください。

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2008年2月 1日 (金)

ハービー・山口写真展
「あの美しかった冬の光」始まる

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初日にギャラリーにいらっしゃったハービーさん

2月1日から、ハービー・山口の写真展が始まった。実は昨年に彼の写真展「The Big Love」を開催したときから、その続編として考えていた企画だ。ベースは彼が1999年の1月~2月にかけてルクセンブルク大公国に依頼されて同国内を撮影したシリーズ。いつもの繰り返しになるが、いつどこで撮影しようが、「人の中から生きる希望を見出し、人間が人間を好きになるような写真」を追求する彼の姿勢は変わらない。どこの国の誰でも彼のこころざしを感じた人は心を開き、カメラを通じてコミュニケーションが生まれるのだ。またその背景には私が「やさしいパンクスピリッツ」と呼んでいる確固たる精神がある。“未来に希望がないと自分を愛せないし、周りの人も愛せない。もし現状に不満があるのならそれを打破する勇気を持つべき。”という思いがこめられているのだ。それは、「ロンドン・アフター・ザ・ドリーム」、「1989年東欧・真冬に咲いた花」、「代官山17番地」、「peace」や、本作で一貫している。

本シリーズの正式名称は、「タイムレス・イン・ルクセンブルグ」という。私はこれを、「時間のゆっくり進む国」と理解した。その正反対の国のひとつが現在の日本ではないだろうか。まさに対極の、「時間が高速で過ぎる国」だ。時間がゆっくり進むとは、進歩が全てに優先されないこと。むかし、西洋化と近代化は違うというようなことを書いた本を読んだ。西洋化とは古き伝統を重んじながらも新しいことを取り入れることなのだ。いままでの日本は古いものを捨てて、近代化を進めてきた。それは90年代以降の世界的な経済の市場化でも同様の流れが起きている。現在の日本は基本的に米国主導の市場優先の経済改革を進めている。IT化、グローバル化で促進された競争優先の社会は一部の勝者と多くの敗者を生みだし、多くの人の心は荒廃してきている。最近はそれに対する反省の声も聞かれるようになってきた。もちろん西欧諸国も、世界経済の影響は受けている。しかしこの地では政府が市民の社会権を重視し変化のスピードを緩やかに抑えているのだ。時を急いで進めない国々、その象徴が中世の面影が残る小国のルクセンブルクなのだ。

いまハービー・山口の写真を見ると、必ずしも経済成長優先が正しいのだろうか?社会に規制が残り人々が多少窮屈でも多くが笑顔でいられる国の方が幸せなのではないか、と問いかけられている感がする。やや一方向に行き過ぎた感のある日本、しかし後戻りはできない。たぶん、いま新たなバランス点を見つけることが求められているのだろう。本作は21世紀のいまだからこそ、新たな視点で見直して、日本社会の将来を考えるきっかけにして欲しいシリーズです。

会期は、3月29日まで。営業時間は、13:00~19:00、入場無料、日月休廊です。なお本展用にいくつかの限定作品を用意しました。詳細はコチラをご覧ください。

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