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2008年3月26日 (水)

PIE(フォトイメージングエキスポ)で開催
ハービー・山口トークイベント

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PIE(フォトイメージングエキスポ)2008で行われたハービー・山口氏のトークイベントにお手伝いで行って来た。PIEのパンフレットや広告では当イベントの告知はほとんどされてなかった。しかしさすが知名度が高いハービー・山口氏、ノーリツ鋼機のブースは瞬く間に観客で一杯になった。彼のライフワークである「人の心を温かく、より平和にするような写真を撮る」がトークの骨子。PIEでは写真家による無数のトークショーが各企業のブースで開催されていたが、カメラ、テクニック以外が内容のものはたぶん他にはなかっただろう。

改めてトークを聞くと、彼の持つ世界観の背景には、ロンドン時代の経験が強く影響していることがわかる。つまり、戦後日本のような倫理なき利益追求の価値観ではなく、自らの伝統、文化を尊重した上で近代化を進める西洋的発想を彼は持っているのだ。消え行く代官山の同潤会アパートの撮影を思いついたのもこの視点があったからだろう。90年代のその他の日本人写真家にとって古いものが壊されるのはあまりにも当たり前の出来事だったのだ。またルクセンブルクのプロジェクトが成功したのも、写真家に現地人の思想への理解があったからだと思う。
ロンドン時代は世界とのつながりを感じたが、いまの日本では道が閉ざされている感じが強い、とも語っていた。国内外の情報の流れの閉塞感はアート写真だけでなく文化全般に関して当てはまると思う。根底には英語文化圏と日本語文化圏の違いがあるのだろう。
実は80年代から90年代中ごろにかけての日本の方が、海外の最新アート情報がいまよりも入ってきていた。しかしその後不況に突入し、さらに市場化経済が進行したことで、利益を生まないアート文化情報の担い手がほとんどいなくなった。海外のアート情報はあまり日本語化されなくなったのだ。現在はインターネットが情報収集の主要な手段になったが状況は同じ。英語圏と日本語圏のネット世界は全く個別に存在している印象が強い。
日本に住んでいても、英語力があるなしで入手できる情報量に膨大な差がでてきているのだ。

ハービー氏は、将来世界に自分の写真を発信していきたいとも語っていた。現状で課題となるのは、英語での情報発信という方法論だけではない。どのようなコンテンツを海外に提供するかが重要になる。現在の外国人コレクターは、 彼らが考える古典的日本イメージを求める傾向が強い。歴史と伝統を踏まえた西洋におけるアート写真の世界には、コンテンポラリーの日本人写真家の評価軸が存在しないのだ。やはり、日本独自のアート写真の価値観を体系化して、海外に紹介していくことが絶対に必要なのだ。ハービー氏のメッセージはグローバルに普遍的なテーマだ。理論武装ができればまちがいなく海外でも受け入れられるだろう。

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PIEではカメラや写真が趣味の人がどれだけ多いかを実感した。メーカーは販売するためにハードの差別化を追求する。しかし、それもそろそろ限界に達してきたのではないか。ハードやIT技術の進化で優れたヴィジュアル作品の制作はもはや難しくなくなった。技術的な敷居が低くなったことで、いまや誰にでも写真表現の可能性が広がっている。写真はライフワークとして追求していく価値が十分にある奥行きのある趣味であり、極まれば作家の可能性も見えてくる表現分野なのだ。
もっと多くの人が、自己表現としての写真の可能性に気付いて欲しい。

・ハービー・山口 写真展「あの美しかった冬の光」は、3月29日まで目黒のブリッツ・ギャラリーにて開催。4月24日からは、名古屋に巡回します。

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2008年3月18日 (火)

細江英公氏が語る
日本人写真家のヴィンテージ・プリント

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細江英公氏写真集「おとこと女」

先週、日本写真家ユニオン主催の講演会があり、細江英公氏(1933-)のお話を聞くことができた。
以前、日本人写真家の60~70年代の写真集が海外で非常に人気が高いことを紹介した。 フォト・ブックの歴史検証作業が行われ、日本人写真家はオリジナルプリントではなく写真集を重要視すると理解されるようになったのがきっかけだ。いまや日本人写真家のヴィンテージ・プリントに当たるのが初版写真集という解釈なのだ。
細江氏はまさにその時代に、「おとこと女」(1961年刊)、「薔薇刑」(1963年刊)、KAMAITACHI」(1969年刊)などの、いまや貴重なコレクターズ・アイテムになった写真集を発表した中心人物なのだ。今回の講演は、当時の日本におけるオリジナル・プリントや写真集についてのお考えが聞けるもので、非常に面白かった。

やはり、当時の写真家はプリントとしての写真作品に価値を置いていなかったらしい。 この時代は印刷されて初めて原稿料がもらえたので、雑誌などに印刷されることの方が重要だと考えられていたのだ。その究極の形が写真集化されることだったのだろう。プリントと写真集は全く別物と考えていたと細江氏は断言された。お金にならないプリントよりも、明らかに写真集を重要視していたことがよくわかる。プリントはネガがあればいつでも安価で制作できるという発想だったのだ。
なんと木村伊兵衛氏は邪魔になるということで、自らのヴィンテージプリントを燃やしてしまったとのこと。もし、それらが残っていたらビルが3つ位建っただろうと細江氏は残念がっていた。
実は収納スペースの問題もプリント軽視の風潮にかなり影響していたという印象だ。つまり、当時の日本の住宅はスペースが狭く、多くの写真家はプリントで作品を収蔵するより、ネガを整理して保存する方法を選んだようなのだ。桑原甲子雄氏は家業が質屋で倉があったからプリント作品が残っているそうだ。細江氏もガウディー作品保存のため、自宅ガレージから車をだしてスペースを確保したとのことだ。

彼がオリジナル・プリントの重要性に気付いたのは、ワシントンD.C.のスミソニアン協会で開催された写真展がきっかけだった。現地キュレーターが写真集「おとこと女」を見て企画されたものらしい。会期終了後、一部作品がコレクションとして購入されることになった。購入用の作品にはサインを入れる必要がある。彼は万年筆でサインをして作品を送ったところ、鉛筆で書き直すようにと指摘されたのだ。これがきっかけで、細江氏はプリント自体に価値を見出す欧米の価値観を知るようになるのだ。
その後の細江氏の啓蒙活動がなかったら、日本にはヴィンテージプリントなどほとんど残っていなかったかもしれない。写大ギャラリーの持つ土門拳コレクションなどは彼の尽力なしでは存在しなかったのだ。

講演の参加者の多くはオリジナル・プリント販売を目指す写真家だった。「いま写真を取り扱うギャラリーが増加しており、日本のアート写真市場もやっと動き出す気配を強く感じる。」写真界の重鎮による彼らへの激励の言葉に私も勇気付けられた。

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2008年3月11日 (火)

ジョエル・マイロウィッツ
70歳にして変化を恐れない伝説の写真家

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新作展のオープニングで来日したジョエル・マイロウィッツ氏(1938-)にエッセーの取材インタビューをすることができた。
彼は最近入手したというライカM8を持って現われた。長旅と時差、タイトなスケジュールでたいへんお疲れだったと思う。しかし非常に紳士的な態度で、また丁寧に言葉を選んで私の質問に答えてくれた。インタビューは近日中にアートフォトサイトで紹介します。

ギャラリー・ホワイト・ルーム・トウキョウで展示されている「The Elements:Air/Water Part1」で、彼は従来の3次元の写真表現に挑戦し、フラット感の中に新たな可能性を捜し求めている。また古代の四大元素である空気・火・土・水の表現をテーマにしたコンセプト優先の巨大作品は完全に現代アートだ。

彼は美術を学び、最初は抽象画家だった。生活のためにデザインの仕事を行うようになる。ロバート・フランクの撮影現場をみたことで衝撃を受けて写真家に転身する。最初はフランクの真似をしてストリートでモノクロ写真を撮影していた。この当時の写真はシャーカフスキーの名著「Looking at photographs」に収録されている。
シャーカフスキーの助言がきっかけで、こんどは写真のファーマットとカラーで世の中を描写しつくそうと考える。それを突き詰めた結果が8X10カメラだったのだ。
カラーを選んだときから彼は現代アートの方向性を持っていたのだと思う。しかし彼は早くからアナログ写真での表現に限界を感じていた。自分が感動したようにイメージを作りあげたかったがその性格上、どうしても妥協の連続が続いた。ダイトランスファーではかなり近いものが制作できたが、非常に高価だったので表現の追求はできなかったようだ。
それでも70~80年代にかけて、"Cape Light"、"Wild Flowers"などの優れたシリーズを次々と発表している。90年代には、フランクのように先入観をも持たないことを心がけながら、様々なアメリカンシーンを求めて旅をしている。この時期は作家として次のステップへの助走期間になっている。
やがてデジタル技術との出会いが彼のアーティストの可能性を押し広げることになる。多くの写真家はデジタルにより手軽に派手でコントラストの強いカラー写真ができることに魅了されがち。彼はヴューカメラで撮影されたネガの持つ微妙な色合いの表現を追求したことが特徴。かなりの初期段階から独学でフォトショップの探求を行い、数多くのプリンターをテストしたとのこと。
そして、HP Desogmket 130とHPプレミアム・サテン紙と出会い、初めて納得がいくデジタルプリントが制作可能になる。現在では顔料ベースのインクを使用するHP Designjet Z3100を使用して全ての作品を制作しているという。デジタルにより、サイズの限界から開放されたことも彼の創作意欲を掻き立てたのだろう。最新作の最大作品はなんと約1.5X1.8メートルもある。過去の作品も大きくして新たにエディション化している。たぶん最初から大判サイズで制作したかったのだろう。

多くの人は写真集"Cape Light","Summer days"などのルミナスな風景、シティースケープなどを彼のイメージとして持つだろう。だから、グランドゼロを撮影した、"Aftermath"や最新作では意外な印象を持ったはずだ。しかし、そのキャリアを振り返ると、極めて当たり前の展開であることが見えてくる。
彼も、"Cape Light"のような作品は作家としての自分のひとつのベクトルに過ぎないと語っている。話を聞いて感じたのは、彼が意識的に変化しようと試行錯誤していることだ。テーマやスタイルを変えることは危険なことだ。失敗したら自分の評価を落とすことになるかもしれない。特に優れた作品を残した作家ほど過去と比較されるのでそのリスクが大きくなる。しかし、アート史に残る偉大な作家はそのリスクを積極的に引き受けて変化してきた。 "Aftermath"で評価を高めたマイロウィッツ氏は、立ち止まることなく新たな方向のチャレンジを開始したのだ。

3月6日はマイロウィッツ氏の70歳の誕生日だったとのこと。すごいバイタリティーだ。
最後に、いいインタビューだったとねぎらいの言葉までかけてくれた。
写真史に残るような写真家は人間的にも魅力的なのだ。

*協力:ギャラリー・ホワイト・ルーム・トウキョウ
Joel Meyerowitz 写真展"The Elements: Air/Water Part1"は、6月8日まで開催

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2008年3月 4日 (火)

日本独自のアート写真とは?(1)

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昭和54年刊アール・ポップの時代

最近、私は会う人ほとんどに、日本独自のアート写真を作り上げないといけない、 と主張している。突然、話題をふられた人は驚いているかもしれない。何でそのように考えるようになったかを簡単に説明しておこう。
もともとはギャラリー店頭でのマーケットリサーチがきっかけだ。日本の一般客が、いま日本でアート作品と呼ばれている写真にあまりリアリティーを感じていないことを発見したからだ。それ以来、彼らが求めているのはどんな写真作品なのかをずっと考え続けてきた。 そして、現代アート写真の活況に写真が乗り遅れているという危機感もある。アートとして時代性のある写真を販売するためには彼らのように理論武装も必要だと感じているからだ。

仕事の関係でアート評論を読む機会が多い。ここ数年は、活況を呈している日本の現代アート市場のものに注目している。日本の現代アートの状況は20世紀後半から21世紀にかけて様変わりした。それまではアート写真と同様に海外作家が中心で、国内だけではマイナーな市場という印象が強かった。しかしこの分野では日本独自の価値基準を構築しようという試みがなされたことが重要だ。
椹木野衣氏による水戸芸術館で開催された「日本ゼロ年」展(1999年)、村上隆氏は「スーパー・フラット」論(2000年)、「リトル・ボーイ」論(2005年)を展開し、最近では松井みどり氏の「マイクロポップの時代」(2007年)がある。だぶんそれらのベースには、谷川晃一氏の著書「アール・ポップの時代」(1979年刊)があると思う。それらの努力の積み重ねがあったからこそ、海外で日本人作家が受け入れられて、日本でもちょっとした現代アートブームが訪れているのだ。

日本で生まれ育った優れた写真家も当然これらの評価軸の中に入ってくる。しかしそれは現代アートの視点からの評価だ。コンセプト重視の現代アートと写真。二つの評価軸は重なる部分は多いものの必ずしもイコールではない。写真独自の美学もあるのだ。このままでは、現代アートから認められたもののみが日本のアート写真になってしまい、その多様性が失われかねない。もしくは、国内の日本人作家も歴史を重んじる欧米アート写真の価値観にあわせるしかなくなる。
一般客が写真に違和感を持つのはそのような兆候の現れのような感じがする。欧米では、伝統的なアート写真と現代アートが共存するから、その中間に位置する様々な写真も存在できるのだ。日本独自のアート写真とは?今後機会があるごとに述べていきたい。
実は次回企画展を行う斎門富士男氏や、写真のテイストは全く違うが、現在展示中のハービー・山口はその可能性を秘めた写真家の1人だと考えている。


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(C) 斎門富士男
海渡る羊, サルデーニア島, 1994

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