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2008年3月 4日 (火)

日本独自のアート写真とは?(1)

Blog
昭和54年刊アール・ポップの時代

最近、私は会う人ほとんどに、日本独自のアート写真を作り上げないといけない、 と主張している。突然、話題をふられた人は驚いているかもしれない。何でそのように考えるようになったかを簡単に説明しておこう。
もともとはギャラリー店頭でのマーケットリサーチがきっかけだ。日本の一般客が、いま日本でアート作品と呼ばれている写真にあまりリアリティーを感じていないことを発見したからだ。それ以来、彼らが求めているのはどんな写真作品なのかをずっと考え続けてきた。 そして、現代アート写真の活況に写真が乗り遅れているという危機感もある。アートとして時代性のある写真を販売するためには彼らのように理論武装も必要だと感じているからだ。

仕事の関係でアート評論を読む機会が多い。ここ数年は、活況を呈している日本の現代アート市場のものに注目している。日本の現代アートの状況は20世紀後半から21世紀にかけて様変わりした。それまではアート写真と同様に海外作家が中心で、国内だけではマイナーな市場という印象が強かった。しかしこの分野では日本独自の価値基準を構築しようという試みがなされたことが重要だ。
椹木野衣氏による水戸芸術館で開催された「日本ゼロ年」展(1999年)、村上隆氏は「スーパー・フラット」論(2000年)、「リトル・ボーイ」論(2005年)を展開し、最近では松井みどり氏の「マイクロポップの時代」(2007年)がある。だぶんそれらのベースには、谷川晃一氏の著書「アール・ポップの時代」(1979年刊)があると思う。それらの努力の積み重ねがあったからこそ、海外で日本人作家が受け入れられて、日本でもちょっとした現代アートブームが訪れているのだ。

日本で生まれ育った優れた写真家も当然これらの評価軸の中に入ってくる。しかしそれは現代アートの視点からの評価だ。コンセプト重視の現代アートと写真。二つの評価軸は重なる部分は多いものの必ずしもイコールではない。写真独自の美学もあるのだ。このままでは、現代アートから認められたもののみが日本のアート写真になってしまい、その多様性が失われかねない。もしくは、国内の日本人作家も歴史を重んじる欧米アート写真の価値観にあわせるしかなくなる。
一般客が写真に違和感を持つのはそのような兆候の現れのような感じがする。欧米では、伝統的なアート写真と現代アートが共存するから、その中間に位置する様々な写真も存在できるのだ。日本独自のアート写真とは?今後機会があるごとに述べていきたい。
実は次回企画展を行う斎門富士男氏や、写真のテイストは全く違うが、現在展示中のハービー・山口はその可能性を秘めた写真家の1人だと考えている。


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(C) 斎門富士男
海渡る羊, サルデーニア島, 1994

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