« 40歳代は若手? アート写真作家の世界 | トップページ | ブリッツ・ギャラリー秋の最新情報 »

2008年9月23日 (火)

所有とコレクションとの違いとは?

Blog1

ことしの夏休みに福島県の羽鳥湖高原周辺の別荘地を歩きまわる機会があった。面白いと感じたのは、きちんと手入れされている別荘がある一方で、たぶん長い間誰も訪れていないのだろうと思われる荒れ果てた建物がかなり見られることだ。高原では季節ごとの手入れを怠ると、瞬く間にまわりが雑草だらけになってしまうのだ。土地だけ購入してそのままになっている場所も多かった。それらはのほとんどは整地されておらず原野状態だ。
20世紀の日本人は物質的な満足を追求してきた。バブルの時代は、別荘やクルーザーを持つことが憧れのような時代の雰囲気があった。海外のコンドミニアムなども紹介されていた。しかし、別荘などの不動産を持ってしまうと、利用しないといけないという脅迫概念がでてくるのだ。私もサラリーマン時代、250ccのスポーツ・バイク、クルマとスクーターを所有していた時があった。週末は、それらを動かさないといけないというプレッシャーがとてもきつかった。念願の別荘を入手した人は、嬉しくて最初の時期は頻繁に訪れていたはずだ。それが次第に負担となり訪問回数が減っていったのだろう。実際、メンテナンスにはかなり手間がかかるとのことだ。冬場は凍結防止のための水抜きが必要。また居住用でない別荘は固定資産税が安くないという。本当に田舎暮らしが趣味の人でないと維持していくのは容易ではないようだ。欲しいものが手に入り、夢が現実になると精神的に不自由になることもあるのだ。荒れ果てた別荘地は、所有することの苦悩を教えてくれる。

"夏草やつわものどもが夢の跡"
という芭蕉の句を思い出した。夏草の茂る別荘地をみて、物質文明のなかで経済戦士たちが求めていたが消えていった夢をしのぶ、といった感じだ。
Blog2

しかし、財産の所有と好きなもののコレクションは別だと思う。コレクション論については、以前紹介した長山靖生氏の展開した「おたくの本懐」(ちくま文庫)が非常に参考になる。コレクションは、「好き」を追求する一種の知的な行為なのだ。
たとえば、アート写真の目利きになるためには、フォトブックや関連資料のコレクションが不可欠だ。それらをじっくりと見て、作家のメッセージを読み解くことの繰り返しが必要だ。自分の記憶の中の作品データベースが充実してくると、写真の良し悪しを好みや評判だけでなく判断できるようになる。さらに継続してコレクションの集中が進むと新しい世界が見えてくる。膨大な蓄積の中の新たな組み合わせの発見や突然変異的な展開がおきて、独自の視点が獲得できるようになるのだ。
ハーパース・バザーで活躍したアート・ディレクターのアレクセイ・ブロドビッチが、自分を驚かせる写真を写真家に求めたことは知られている。それはこのような洗練された新しい視点を提示しろという意味なのだ。よく誤解されるが、決して奇をてらった写真を撮影することではない。

しかし、コレクションを極めることは金銭的、精神的、また収納するスペース的にも決して生易しいものではない。ほんとうに自分が好きでないと継続できない。ところが好きを追求しているベテランのコレクターのなかには、本当に驚くべき目利きの人がいるのだ。彼らはアマチュアだがプロ写真家よりも写真を見る目を持っている。ギャラリストは時にそのようなハイレベルのお客様を相手にしなければならない。彼らに負けないように、日々情報を収集しまくって自らのレベルアップの努力が必要だ。それができなくなったときが、引退の時期だろうと思う。

|

« 40歳代は若手? アート写真作家の世界 | トップページ | ブリッツ・ギャラリー秋の最新情報 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/170909/42568706

この記事へのトラックバック一覧です: 所有とコレクションとの違いとは?:

« 40歳代は若手? アート写真作家の世界 | トップページ | ブリッツ・ギャラリー秋の最新情報 »