« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月24日 (火)

巨大化するアート写真
現代アートが写真を変える!

Blog
Naoki の巨大作品(左2点) 大きさも額装も大変好評だ 

昨年NYのギャラリーを回って感じたのは作品サイズが巨大化していること。現代アート系は大きいことが約束事のようになっているが、アート写真系でもやたら大きい作品が目に付いた。現地ディーラーによると、ハンプトンあたりの別荘用にと大きな作品の需要が高いといっていた。
現代アートはカラーが中心、アート写真の場合ではどんなインテリアにも合わせやすいモノクロ巨大作品が求められるようだ。現代アート系はデジタル処理したインクジェットものが中心だったがアート写真系は銀塩にこだわっていたのが印象的だった。やはり、伝統があるのでコレクターはデジタルに抵抗感があるのだろう。巨大な銀塩写真は近くで見ると鮮明さがやや欠けるくらいに引き伸ばされていた。また表面が波打つ作品も見受けられた。作家やコレクターによっては印画紙に裏打ちすることを嫌うのだ。従来、タイプCプリントやダイトランスファーを利用していたカラー作家の近作はほとんどデジタルになっていた。ウィリアム・エグルストン、ジョール・マイヤービッツ、オリーボ・バルビエリなどだ。

一方、部屋が狭い日本では、圧倒的に小さいサイズの写真が求められてきた。大きな作品を買うのは一部の資産家コレクターだけだった。しかし、ここ数年日本でも売れる作品サイズが大きくなってきたのだ。昨年に写真展を開催して人気があった、テリー・ワイフェンバックやマイケル・デウィックは作品サイズが約20X24インチ(約50X60cm)で、24X30インチ(約60X76cm)のフレーム入りだった。このサイズが受け入れられるか半信半疑だったが顧客の抵抗感はまったくなかった。
今回の「渋谷・カワイイ・スタイル」ではついに1メートルを超える巨大作品を制作。発想を転換して版画を制作する工房にプリント制作と、裏打ちを注文してみた。フレームもマットを使わないで、1cmの深さをとって直接に作品をセット。よく現代アート作品で利用される額装方法だ。オーディエンスの反応が気になったが、作品、フレームともに評判は非常に良い。

どうもサイズに対する先入観を持っているのはギャラリー・サイドのようだ。現代アート作品に見慣れてたコレクターにはサイズへのこだわりはあまりないようだ。アーティストにとって大きいサイズのほうが自分のメッセージが表現しやすいのならOKなのだ。ただし、単純に大きくすればよいわけではない。既成の大きなフレームに裏打ちせずに直接作品をいれたり、アクリルで作品を挟んだだけのものでは真のコレクターはなかなか受け入れてくれない。 (作品と額が一体だと、アクリルが傷つくと作品の価値も減ずるから)従来、写真ギャラリーが大きい作品を見せる場合は、展示にアクセントをつける意味合いが強かった。実際に売れるのは小さいサイズと思っている場合が多いのだ。しかし、大きな作品を実際に販売するには、プリント、フレームなどに相当の費用をかけてきちんとしたもの制作する必要がある。コストはプリント制作費だけではない。大きいと作品が重力でしなるので、バックボードに貼り付けないと表面をフラットに保てない。銀塩写真だとドライマウントという加工を行うのが一般的。しかし、作業を行う業者が少なく費用が非常に高いのだ。フレームも作品サイズが大きいと太い枠を使用するので重くなるし、特注品になるので値段も割高になる。大きな作品は魅力的だ。しかし販売価格が現代アートと比べて安いアート写真では、コストがギャラリストと作家の悩みのたねになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月17日 (火)

NAOKIギャラリー・トーク
初めて語られるアーティスト宣言の背景

Blog

2月15日に現在開催中の写真展「渋谷・カワイイ・スタイル」のイベントとして、写真家NAOKIのギャラリー・トークを開催した。広告やファッション誌中心に活躍していたNAOKIは数年前にアーティスト宣言を行って本格的に作家活動を開始した。彼はもともとアート志向が強かったが、今までは商業写真中心の日本ではあえて自己表現は追及してこなかった。しかし、昨今のデジタル化進行や景気後退などの外部環境の変化で、写真家自らが主体的に写真表現していかないと生き残れないという気付きがあった。これがアーティスト宣言の背景のようだ。彼の主張をきいて1980年代の米国の状況を思いだした。当時の写真家は長引く不況で雑誌や商業写真での生活が非常に厳しかった。この時期にちょうどアート写真市場が立ち上がったこともあり、多くの写真家がアートの世界にシフトしていった。結局、そこで写真家としてのオリジナリティーが明確化できた人が生き残ったのだ。今回のギャラリートークで、NAOKIがアートで何を目指しているか、その一端が垣間見れた気がした。
以下にトークの内容をまとめてみました。

2月15日NAOKI トーク(ブリッツ・ギャラリーにて)

・幼少時代
4歳のころ幼稚園で観たある「記録映画」が心に残り、家で何度もその映像を思い出して絵に描いた。その絵を母親が観て褒めてくれた。やんちゃだったのでいつも怒られてばかりいた自分にとって、母親に褒められたのははじめてだった。何より母親が喜んでくれたことがとても嬉しかった。
それがアート(表現すること)に関わった第一歩である。また、アートは自分が良いと思えば良いという自己満足ではなく、人を喜ばすこと・人とのコミュニケーションであること、=エンターテイメントであると考えるようになったきっかけでもあった。
後に広告や雑誌の仕事を行うようになっても、いつもFine Artであることを意識していた。

・ミラノ 80年代
Fine Art を志してアメリカで学んでいた70年代にあるきっかけで写真に出会った。その後一時住んでいたギリシャで出会ったモデルにミラノ行きを勧められミラノへ移り住んだ。当時のミラノは世界中のアーティスト、最先端のファッションが集結していた。ミラノではモデルの写真を撮ってお金をもらい生計をたてていた。
展示作品はそんな当時の代表的な作品群だ。一人の女性を光が変化する中で様々なアプローチで表現したカラー作品だ。複数のフィルターを使い、様々な技術を駆使して撮っている。そのようにしながら自分のスタイルを模索しオリジナリティを生み出していった。
オリジナルでない写真家には仕事がこない。それは当時もいまもまったく同じだ。

・90年代
帰国して6-7年たった頃、東京の自分の回りのランドスケープを撮り始めた。ちょうどその頃、江角マキコさんが自分の写真を撮って欲しいと事務所に出入りしていたこともあり、同じ東京のシーンにモデルを入れて撮るようになった。撮りためたものを後に写真集ORDINAL としてまとめた。形のあるものに残してほしいといモデルの女の子からの強いリクエストも後押しした。
撮影ルールは、身近なランドスケープであることと、夜明けに撮ること。夜明けにとる理由は、夜明けは「見る」という強い意識がないと見えないからだ。「見えている=見ている」ではない。自分にとってのFine Art は、さまざまな「見えていないもの」を表現した結果だ。
プリントの技法はポラネガを使用。プリンターはロンドン時代からお願いしている一流の英国人プリンターによる。サラ・ムーンのプリンターと同じ人だ。欧米では一流のプリンターに制作してもらっていることが写真家のステイタスなのだ。

・21世紀 DOUBLE
スタジオで撮影しているのはフィルム(Cプリント)。ストリートはデジタルなど。モデル、スタイリングなどのディレクションは全て自ら行っている。撮影場所はすべて自分の知っている場所。渋谷、目黒などが多くだから渋谷・カワイイ・スタイルになった。タイトルのDOUBLE についてだが、DOUBLEもコンセプトのひとつ。2人、表と裏、右と左、白と黒、愛と憎しみ・・・のような意味で、相反するもの、いろんな対極を表現したいと思っている。表現上も1人より2人のほうが広がりがある。最初から2人を撮影するイメージを持っていた。

・モードとカワイイ
外人モデルを撮るのが100%だったころ、外国で「何故日本人を撮らないのか」と聞かれその後自問するようになった。また、VOGUE 、ELLEなどの日本版、日本の雑誌なのに外人モデルが中心なのも疑問に思うようになり、日本人を撮りたいと思うようになった。
外人モデルを撮影したものはファッションだがモードではないと思う。モードとは、ファッション(流行、洋服)とは異なりカルチャー・文化背景を撮影することだ。日本人カメラマンが日本で日本人モデルを起用して日本人に似合うファッションを撮ることこそモードだ。それこそ一般の日本人がリアリティを感じるのだ。(外人モデルだと一般の人にとっては雲の上の違う世界のようでリアリティがない。)そして、いまの自分にとって100%カワイイということがモードなのだ。(DOUBLEのカワイイ衣装は外人モデルに着せてもまったく似合わない。)DOUBLEは、自分がモードとして撮影している作品だ。
日本人、外人、という言葉が出たがハーフはどうなるだろうか?DOUBLE でも起用しているアンジェラというモデルがハーフだ。ハーフの人たちは自分のアイデンティティーをものすごく考えている。アンジェラはハーフだが、日本のカルチャーを持っているモデルなので起用した。

・デジタル作品について
近年良く使うようになった。レタッチもかなり行っている。
自分にとっての表現手法は、写真でなければいけない理由はない、カメラにこだわっているわけでもない。ただ、自分の考えている世界観を表現し、人を喜ばせたいと思った結果デジタルも使うようになった。大きい作品を制作したのも同じ理由だ。自分が思い描いたイメージにできるだけ近い作品を作ることが重要で、そのための方法としてデジタルを取り入れているのだ。夜間の撮影などはフィルムでは表現しきれない部分がある。

・その他  日本のファッションについて
日本人は、誰が教えたわけでもないのに、幼い頃からずば抜けてセンスが優れていると思う。ユニクロなどの一人勝ちを除くと洋服は売れない時代だ。渋谷の109などは数少ない服が売れている場所だが、それはマーケティングなどではなく一般の優れた女の子のセンスを生かして商品化しているからだ。それらのファッションを外国人デザイナーが取り入れたりしている。今こそブランドよりも私の考えるモードが問われている。物まねではなく、自分達のかっこ良さを見直すべきだ。

NAOKI 写真展は、3月21日まで開催しています。また、3月15日にはNAOKI ワークショップ 「ファッション写真の現場:スタジオ・ワーク」を開催予定です。NAOKIが毎日撮影している自然光プライベート・スタジオで行うワークショップです。詳しくは以下をご覧ください。
http://blitz-gallery.com/gallery_exhi_092.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月10日 (火)

アート写真のオンラインギャラリー
現在開設準備進行中!

今年の計画の中に、アート・フォト・サイト内のオンライン・ギャラリー開設プランがある。
いままでワークショップなどを通してアート写真のことを語ってきたし、作品制作のアドバイスを行ってきた。ある程度以上のレベルに達した人に次のステップとして作品発表の場を提供したいとずっと考えていた。将来的には何らかの展示スペースを提供したいが、まずオンライン・ギャラリーから始めることにした。

現在、ウェブが写真作品発表の重要な場所になっている。しかし、真摯に作家を目指す人に適した発表場所は案外少ないのだ。いくら自信作品が完成しても個人のホームページでは情報発信力が弱い。世の中にある多くのオンライン・ギャラリーは、サイトのコンテンツが弱いので集客力がない。
アート・フォト・サイトは約10年続いているアート写真の情報サイトだ。アート写真に興味のある人が日々展覧会や写真集情報を収集している。その一部としてオンラインギャラリーを設定すれば、作品ポートフォリオを多くの人に見てもらえるに絶好の場所になると考えたのだ。

また、私は実際に作品が売れる場所にしたいと考えている。一般のオンライン・ギャラリーは、ほぼ写真家の応募作品をのせるだけ。審査があっても写真技術を見るだけだ。自分の写真を好きに見せているだけでは趣味のカメラの延長上でしかない。
アートとして写真が認められるには、ヴィジュアル、テクニック、コンセプトを通して写真家と見る側の心がつながらないといけない。オンライン・ギャラリーではそれらアート写真として必要な条件を踏まえて制作された作品を紹介する。撮影者が満足するとともに、コレクターも価値を見出すような写真を見せていきたい。そのために、簡単な審査も必要になると考えている。アート写真に不慣れな人にはギャラリストが作品制作のアドバイスを行う仕組みを作りたい。

撮影者の経験年数によって様々なレベルの作品があると思う。それらを作品制作キャリアや実力などにより二つくらいに分ける予定だ。経験年数が浅いアマチュア写真家であっても、アート写真としての条件を満たせば参加できるようにしたい。キャリアの浅い人は、自分のメッセージが見る人に正しく届くかの検証の場としてオンラインギャラリーを活用してほしい。審査はあくまでも必要な要件を満たすかどうかの判断が目的だ。客観評価を基本として、担当者は自分の好みで作品評価は一切行わないことを徹底するつもりだ。作品の最終評価はオーディエンスに任せることにする。

オンライン・ギャラリーが作家を目指す人のワンステップとなり、将来的には新たなギャラリー作家を発掘する場として機能すればよいと思う。4月に正式スタートを目指して現在開設準備が進行中。詳細が決まりましたら改めてお知らせします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 3日 (火)

アート写真のフォト・ブックになりえるか?
日本人写真家による2+1冊の写真集

日本では、写真中心に掲載した書籍をすべて写真集と呼んでいる。それらにはアイドル系や自然などのポピュラーな題材で編集されたものも含まれる。欧米では写真中心の本は、フォト・ブック、モノグラフ、アンソロジー、カタログと分けられる。日本と同じく広い意味で使われるのが、フォトグラフィック・ブックとなる。その中でもフォト・ブックは写真家の自己表現のひとつ、つまり作品と考えられており、コレクターズ・アイテムになっているのだ。最近は専門のオークションも開催されている。

現在の日本は出版不況といわれて久しく、有名写真家でもコスト高のアート系写真集を出すことは困難になっている。書店ではアイドル系や自然などのポピュラーな題材で編集されたペーパーバック写真集が中心に数多く並んでいる。またそれ以外は、写真家自らが作った自費出版本だ。自費出版というと近年話題になった新風社などの低予算の本を思い浮かべることが多い。しかし、写真家の中には自分の納得のいくものを可能な限りの自己資金を使って製作する人もいる。それらの本の中には、フォト・ブックとして十分に通用する内容とクオリティーを持っているものもある。最近、そのような力作2冊を入手したので紹介したい。

Blog2_3
まず、丸山晋一の「Kusho(空書)」だ。彼のことは以前このブログでも紹介した。ニューヨーク在住の商業写真家で、最近はアーティストとしても活躍中。墨を天空に巻き散らかし、それを高速カメラで撮影した作品に取り組んでいる。彼の代表作は空中に禅の奥義を象徴した図柄の円を描いて撮影したもの。写真集の最初の収録作品"Kusho-1"(下のイメージ)だ。これら東洋の禅思想を思い浮かべる作品は、自我が行き詰っている欧米人の心をつかむことに成功した。今年の1月からニューヨークのブルース・シルベスタイン・ギャラリーでアーロン・シスキンドとともに写真展を開催している。その辺の事情はコマフォト12月号でも紹介している。

Blog4
photograph by Shinich Maruyama

本書は上記展覧会に合わせて彼が自ら製作したカタログを兼ねたフォトブックだ。ギャラリーは写真集はまだ早過ぎるのではないかと考えたらしいが、作品展示の記録を残したいという彼の強い希望から実現した。"Kusho"の現物作品は昨年のフォトグラフィーショーで見たが、かなり大きなサイズ。当初は、大判写真集を考えていたが、現物と写真集は別物との判断でコンパクトサイズで製作している。これがうまく成功しており、手にとってページを開くとイメージが視点にうまくおさまって心地よい。抽象的作品なので、大判だと視点からはみ出て違和感があったと思う。かなり横長ワイドの作品もあるので写真の配置には苦心したらしいが、写真の見せ方に十分に配慮がなされた秀逸デザインの本に仕上がっている。イタリアで行った印刷のクオリティーも非常によい。エッセーは評論家のMaurice Berger氏が担当。アルフレッド・スティーグリッツが雲と空を撮影した「イクヴァレント」と「空書」を対比しているところが面白い。彼らは、西欧の写真史のなかで日本人写真家の作品も評価するのだ。また、墨と白バックで表現された丸山のグラフィカルな作品を、 「写真は、記憶が写されるという現代的な解釈だけでなく、美、コンセプト、精神を表現する可能性を持った空間であることを示している」と解説。 さすがにプロの書き方は非常に上手いと感心させられる。
なお「Kusho(空書)」は、日本ではアート・フォト・サイトを通して販売することを現在検討中です。

Blog1_2
もう1冊は、金子親一の分厚い写真集「TORSO」だ。この本はなんと4.5cmもの厚みがある。
彼はいろいろな形のオブジェに布を被せて摩訶不思議な物体を製作する。さまざまなフォルムを試行錯誤して作り、合計約1000枚以上撮影した中から収録イメージをセレクションしている。写真の中には、いかにも意図的に作りこんだような不自然な形体も見られるが、偶然生まれた自然な感じのフォルムも数多く存在する。布が作り出す微妙なアールが不思議な感じだ。本自体のデザインも凝っていて、モノとしての存在感が際立っている。背部分のグリッド状の糸部分を生かして、表紙も同じような糸状のフェイクを印刷している。最初はこの写真集は編集作業や作品セレクションが未完成だと感じた。ステーツメントも抜け落ちているし、デザインが写真よりもやや目立ちすぎる気もした。だが写真家本人と話す機会があり、実はこの写真集自体のテーマが未完成とわかった。本が未完成であること自体が実は作品コンセプトに沿っているのだ。どうも写真家はそこまでも意識はしていなかったようだ。しかし、かなりの製作費用をかけて製作しているとのことなので、写真家の作品への思い入れが結果的に幸運を呼び寄せたのだろう。写真集「TORSO」は書店やアマゾンでも購入可能だ。

Blog3
この文章を書いていて同じような経緯で作られた写真集がちょうども手元にもう1冊あることに気づいた。現在、写真展開催中のNaokiの写真集「ORDINAL」だ。これも、1995年にこだわり抜いて500部だけ限定製作されたフォト・ブックなのだ。
彼は、一生に一度の贅沢と思って、イタリア製高級外車を買うかわりに一切の妥協をせずに作り上げたといっている。ほとんど一般には流通しないで関係者だけに配布された非常に高品位印刷の豪華写真集だ。現在の写真展の中心は「カワイイ」をテーマにした最新作品なのだが、この写真集と掲載作品の評判がすこぶる高い。たぶん刊行時は広告写真家の作例集と誤解されていた可能性が高いと思う。今回、Naokiの写真はアート作品として提示されている。写真集「ORDINAL」も本来見られるべきアート写真の視点でフォト・ブックとして正しく評価されるようになったのだ。商業分野で活躍している写真家によるフォト・ブックになりえる写真集が、いまでもどこかに埋もれているのではないだろうかと考えてしまう。「ORDINAL」は今回の写真展で、オリジナル・プリントが1枚ついて限定25部だけ販売されている。

3人の写真集から共通に伝わってくるのは、写真家の自作への強い思いだ。いま、多くの写真家が経済状況や出版不況などの外部要因に対して不平をもらしている。しかし自信があるならまず自分が作品のスポンサーになればよいことを彼らは教えてくれる。そして、そのような努力はアートとしての写真作品のアピールにつながるのだ。ただし非常に重要なのは、時代性を持った作品コンセプトが同時に発信されることで有効的な効果が出てくる点だ。広告写真家の人たちはここが弱点になっているので、写真集を製作するときはぜひ一度ギャラリストに相談してみてほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »