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2009年3月31日 (火)

新年度の新企画
仙台のギャラリー、レアブック・コレクションなど

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(C)Naoki
"Double, Night Old Town"


Naoki展が無事に終了した。来廊してくれた皆様、ほんとうにありがとうございました。
彼はファッション業界での知名度は抜群に高いが、アート写真界では無名に近かった。マスコミ、観客の反応に多少の不安もあったがそれらは杞憂に終わった。写真展の新聞、雑誌での反応はよく、テレビでも紹介された。来客数は期間終了にかけてどんどん増加していった。普段はアートギャラリーとは縁遠いような一般の人もかなり来てくれた。今回は現代アートコレクターが興味を持ってくれたのが嬉しかった。たぶん、"渋谷"、"カワイイ"というキーワードが良かったのだと思う。ギャラリーの戦略が当たることはそんなにはないのだが、今回は意図したメッセージが届けたいターゲットに比較的うまく伝わったという手ごたえを感じた。売り上げに関しては、世界同時不況の影響は明らかに出ていた。アート写真に興味を持つ一般客の来廊数と購入は減少した。幸運にも新規コレクターの来廊もあって売り上げはほぼ普段並みを確保することができた。いまの厳しい経済状況を考えれば上出来だろう。
写真展は4月18日より名古屋のギャラリー・オーチャード(アートフォトサイト名古屋) に巡回します。Naokiによるモデルを目指す人向けのワークショップも企画中です。

4月からの新企画の予定です。
まず、アート・フォト・サイトのウェブサイトを一部リニューアルする。
既に3月27日から内容が少しばかり変更されている。これは、4月上旬からオンライン・ギャラリーをスタートさせるのに伴うものだ。本当は4月1日から開始したかったのだが、準備の関係で1週間くらい遅れそうだ。内容については以前に少し触れたが、アート写真としての条件をクリアした優れた作品を審査の上に掲載する。日本の問題点は、何度もここで主張しているように、感覚だけで撮影された写真があたかもアート作品と思われていることだ。オンライン・ギャラリーでは、感覚とともに、撮影者の持つ視点やメッセージ性、作品クオリティーにも注目していきたい。ただし、ギャラリストの個性が重要となるコマーシャル・ギャラリーではないので、基本要件を満たしているかだけの審査を行う。作品評価はすべてオーディエンスやコレクターに委ねるつもりだ。このプロジェクトは時間をかけて取り組んでいく。優れた作品が短期間に集まるとは考えていない。ライフワークとして作家を目指す人たちが、キャリア初期段階の目標や、ワークショップ参加者が個展開催に次ぐ目標のひとつにしてもらえればよいと思う。優れた作品がある程度そろったら、リアルのギャラリーでのグループ展なども行いたい。 その中から、ギャラリー作家が育ってくれればと中長期的に考えている。

今春のもうひとつのビック・ニュースは、5月に杜の都、仙台に新しいアート写真ギャラリーのKalos Gallery(Art Photo Site Sendai)がオープンすることだ。たぶん東北地方では初めてのアート写真専門ギャラリーだろう。ブリッツはギャラリー運営のお手伝いを行う。グランド・オープン企画は横木安良夫写真展「Teach your children」を行う予定だ。数年前に東京、名古屋、京都で開催して好評だった写真展を仙台に巡回させる。ギャラリーは現在、内装工事中。近日中に写真展の詳しい予定を決めるのだが、7月4日、5日の週末には横木安良夫のトークイベントとワークショップを開催する予定だ。                なおこのギャラリーでは、アート写真に興味ある現地アマチュア写真家、プロ写真家への各種サービス提供に力を入れる予定だ。ワークショップ、ポートフォリオ・レビューなどを定期的に開催する。ギャラリーの詳細は近日中にウェブ上でご案内します。

5月には、毎年恒例の「レアブック・コレクション」を渋谷パルコのロゴス・ギャラリーで開催する。会期は5月13日~26日まで。今年もすでに絶版となった貴重なフォト・ブックス中心に約100冊以上を取り揃える予定。目玉をいくつか紹介すると、ウィリアム・クラインのニューヨーク、ローマ、モスクワ、東京の50年~60年代の都市4部作、ブルース・ウェバーの「レッツ・ゲット・ロスト」、「ノー・バレット・パーキング」などを展示販売する。人気の高いファッション系の写真集もいつものように多数出品予定。壁面を使用して、「渋谷・アートフォト・マーケット」も同時開催する。国内外の複数アート写真家によるオリジナル・プリント約15枚程度を展示即売する。会場のイメージは、国際的なアート・フェアーの展示ブース再現を意識するつもりだ。レアな写真集とアート写真が展示されているパリフォトやフォトグラフィー・ショウのディーラーのブースを想像してほしい。4月にはアート・フェアー・東京が開催される。しかし、アート写真だけに関してはロゴス・ギャラリーでのイベントのほうが、数、質ともに遥かに充実していると思う。期間も2週間ある。不況で誰もが無駄なものにはお金を使いたくないと思う。本展では、できる限りお金を使う価値のある逸品を集める予定だ。ぜひ多くのアート写真ファン、コレクターに来てほしい!

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2009年3月24日 (火)

Naokiと杉本博司
発見!二人の不思議な共通点

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(C)Naoki 最新作より

現代アートとファッションというまったく異なる分野で活躍するふたりだが、不思議とキャリアにいくつかの共通点がある。まず二人はともに米国LAのアート・センター・カレッジ・オブ・デザインで写真を学んでいる。時期は杉本が70年代前半、Naokiが後半と5年ほど違う。ここは75年以上の歴史のあるアートとデザインの有名な単科大学。出身者の多くはニューヨークなどで広告写真か雑誌の仕事を行うのがお約束になっている。
Naokiは、まずサンフランシスコのアート系カレッジで学んでから、写真技術を学びたくてアート・センターを目指している。その後ファッションの道に進んだのは当然の成り行きだ。一方で、杉本が作家としてキャリアを歩んだのは例外的なことらしい。

Naokiによるとここの授業の厳しさは相当のものだったそうだ。まず入学の競争率が非常に高いという。また授業料も高く、お金持ちの師弟か、社会に出て貯金してから入学する人かのどちらかしかいない。また、才能があるのは当然との前提で、ここでは徹底的にスキルを学ばせる。非常に高いレベルの密度のあるカリキュラムが組まれており、最初に、忙しいのでバイトをする時間はないと言われるそうだ。撮影から現像、プリントまで徹底的に鍛え上げられ、多くの場合4X5のカメラで課題をこなす。数ヶ月で入学者のうち何割かは高いスタンダードについていけなくて退学するらしい。コダックなどのフィルム・テストはすべてここで委託されて行っていたというから相当高レベルの教育機関だったのだろう。Naokiは自分の人生で一番集中して写真について学んだ時期だったという。
杉本博司が8X10で作品制作する理由や、定評のある高品質作品の背景には70年代にアート・センターで技術を徹底的に学んだことがあるのだろう。

作家の精神面でも二人が重なるところがある。杉本の森美術館で開催された写真展「時間の終わり」のカタログに、彼が奈良の山奥を友人と旅した時のお坊さんとの出会いのエピソードが紹介されている。人間は実体のないクソで、人間だと思い込んでいるのはクソの周りの皮のようなもので、そんな皮に"意識"などはないといわれたという。(カタログP19)これが杉本の仏教との最初の出会いとのことだ。その後の彼の一連の作品には人間の自我を超えた仏教の精神性が見え隠れする。それが欧米のコレクターを魅了した背景でもある。

一方、Naokiの実家は奈良のお寺で、幼少時代から仏教の精神に触れており自身の一部になっている。かれは子供のときに僧侶の父の近くで様々な人間を観察してきた。父は国会議員から市井の人まで、どんな人間とも全く同じスタンスで接して様々な相談に応じていたという。それはいまのカウンセリングのようなものだったと思う。Naokiは幼くして、いわゆる仏教の愛の心、つまりどんな人でも相手を認めて受け入れる姿勢を学んだのだろう。
彼の仕事は人を撮影すること。写真で被写体の人間の魅力を引き出す行為だ。Naokiの写真は見る人の心を和ませるという。その背景には彼が幼いときに学んだ、人間への哀れみの情があるのではないだろうか。また、彼は商業分野で活躍する写真家としては非常に珍しく、見る側の満足を考えて作品に取り組んでいる。もしかしたらこれにも相手に尽くすという仏教の精神が影響しているかもしれない。

青年期にかけての仏教に触れた体験を持ち、同じ場所で写真を学んだ二人。その後は米国で現代アート、日本でファッションというまったく別の分野で25年以上活躍してそれぞれの成功を収めたのだ。そしていま、Naokiはますます作家志向を強めている。最新作は巨大化してよりコンセプト重視になってきた。面白いことに、ここにきて二人がまた近づいてきたのだ。作品制作を続けるとより自分の思想背景やアイデンティティーを意識するようになる。今後はもしかしたら、彼の精神性がよりフィーチャーされた、アートとしてのファッション作品が生まれてくるのだろうか?
そういえば現代アートの最先端をいく、アンドレアス・グルスキーは、最近は高度消費社会の先に宗教の影響を意識している。Naokiの写真展は終了したが今後の展開がますます楽しみだ。

Naoki 写真展「渋谷・カワイイ・スタイル」は4月中旬から名古屋に巡回します。

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2009年3月17日 (火)

NAOKI ワークショップ
夢のようなファッション写真の撮影体験

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世の中には数多くの写真撮影ワークショップはあるが、自然光スタジオで、ヘアメイク付の一流モデル相手にプロの指導の元でファッション写真の撮影が体験できるワークショップはたぶん存在しないだろう。コストが膨大になりすぎてビジネスとして成立し得ないのだ。
そんな、アマチュアや若手写真家にとって夢のようなワークショップが写真展の特別イベントとして先週末に開催された。

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モデルはなんとNAOKI一押しの瀬畑茉有子さん。ヘア・メイクはセブンティーンからミセスまでを幅広く手がける売れっ子のM.Mさんが担当。スタイリングはNAOKIが行い、カジュアル系とモード系2パターンで撮影が行われた。
参加者はデジタルカメラを持参して、撮影時の個人指導とともに撮影後はモニターで作品講評を受けた。フィルムカメラを持ち込むこだわりの人もいて、彼らにはポラロイドを見てアドバイスを行っていた。モデルとのコミュニケーションの重要性や撮影時の心がけをはじめ、NAOKIのクラスでないと分からないモデルと撮影者との撮影エピソードなども披露してくれた。
面白かったのは、モデルが撮影者を撮らせることが多いということ。トップモデルになるほど、動きやポーズなど自分の世界でカメラマンをコントロールする。それは撮影者には楽なことだ。しかし、それでは自分のスタイルを見つけ出すことはできないとNAOKIは強く警告していた。それが壊せたとき初めて、自分の匂いをだすモデルの撮影が可能になるという。
例えば瀬畑さんは、NAOKIが育てたモデルなので、そのままのポーズや動きはNAOKIの写真スタイルが出てしまうのだ。
彼がシャッターを押さないときがあるという、それはありきたりの撮影で済ませてしまおうと考えるモデルのときだそうだ。真のファッション撮影はモデルと写真家の戦いのようなセッションになる。新しいヴィジュアルを生み出そうとする双方の姿勢が重要なのだ。そのあたりのプロ根性の不在が日本には真のファッション写真が存在しないといわれる背景なのだろう。

話を聞いていてNAOKIが何でこの厳しい業界で生き残り、尊敬されているか分かった気がした。新しい自分を引き出してもらえたモデルは、次にもNAOKIに撮影してほしいと思う。モデルにメリットを与えるからこそ、人がうらやむようなトップモデルを作品に起用できるのだ。

参加者への具体的アドバイスの中に以下のようなものがあった。
・モデルの決めポーズの間の何気ないような写真が写真家のスタイルを見つけるヒントになる。
・自分が気になる方法があったら、その他の複数の方法での撮影に挑戦するよりも気になる方法をずっと追求したほうが何かが開ける可能性がある。
・たとえ特に個性的でないと感じても自分のスタイルが確立しているのならそれを続けることは恥ずかしいことではない。新しいものを求めると、それは奇をてらうことになり自分を見失うことになるかもしれない。
参加者のレベルに合わせ、個性を尊重した的確なアドバイスは見事だった。

彼はただモデルをきれいに撮影する指導を行うのではない。フィルム・カメラでは自分のイメージどおりに撮影するために技術習得が非常に重要だった。しかしデジタル時代になりソフト面のノウハウ獲得がより大事になったと考えているのだ。彼のアドバイスはその人らしい撮影のスタイル探しに重点を置いていた。ワークショップで撮影のソフト面をアドバイスする人はあまりいない。今回の試みはとても新しいアプローチだと感じた。そして、NAOKIが自分のスタイルを作りあげた後に求める究極のステージがファイン・アートなのだ。

現在ギャラリーで定期的に行っている、写真家が作品コンセプトを発見するワークショップとの関連性を強く感じた。ギャラリーは、撮影面に関しては写真家本人の努力にゆだねている。しかし、スタイルが見つからない人には今回のNAOKIのようなアドバイスが絶対に必要だろうと思った。二つのワークショップをうまく関連付ければ内容がより充実するだろう。

NAOKIの説く、写真撮影の究極の到達点であるファインアート。彼の写真展「渋谷・カワイイ・スタイル」は今週末の3月21日(土)まで開催です。どうぞお見逃しなく!
http://blitz-gallery.com/index.html

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2009年3月10日 (火)

三次元の写真展レイアウト
高橋和海「ムーンスケイプ」

写真展会場においての展示レイアウトは図面上で行うことが多い。しかし、理想は会場の縮小モデルを制作して検討することだ。三次元なので実際の展示イメージがつかみやすい。リチャード・アベドンが美術館の個展開催の際には縮小モデルを制作してプランを厳密に検討していたのは有名だ。

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4月中旬から高橋和海の写真展「ムーンスケイプ」を開催する。今回、写真家高橋は自身で会場(ブリッツ・ギャラリー)の縮小模型を制作してくれた。会場だけでなく、展示作品も同じ縮尺で作ってある。裏に両面テープがついているので、壁面ごとの作品構成がヴィジュアルでシュミレーションできるので打ち合わせが進みやすい。これは、特に複数の写真家で行うグループ展のときなどは会場イメージが全員で共有できるので非常に有効だと思う。

4月は、商業写真分野で活躍する日本人写真家のアート作品を展示するグループ展を考えていた。しかし、個展開催可能な写真家の力作が集まったので方針を転換した。日本では、ギャラリーのグループ展はネタがないときのその場しのぎ的な企画が多く、マスコミの反応もどうしても悪くなるのだ。年末年始や夏には特に多くなる。

高橋和海は昨年、米国のアート写真専門出版社のNazraeli Pressから写真集"High Tide Wane Moon"を刊行した新進気鋭の写真家だ。ポートランドのギャラリーで同名の写真展も開催している。漁師の子供というユニークなバックグランドを持ち、月と海の対のイメージを一組の作品として見せている点が新しい。これにより潮の満ち干は月の引力に影響されていることを見る側に意識させてくれる。 忙しい日常生活を送る私たち現代人に、自然の大きな営みを思い起こさせ、宇宙の中の小さな自分に気づかせてくれる。海外では、杉本博司のシースケイプス、柴田のランドスケイプに次ぐ日本人作家による風景写真として高橋のムーンスケイプは認められた。写真集初版はなんとすでに完売してしまったという。
写真展では、大き目のサイズのタイプCプリントを中心に点数を絞って展示する予定。 心の疲れを洗い流してくれる心地よい空間になりそうだ。彼の作品へのアプローチはマイケル・ケンナにも通じるものがあると思う。今後のポートリオの展開が非常に楽しみな写真家だ。

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"High Tide Wane Moon"の表紙作品

なお完売した写真集も限定数だけ確保した。米国は完売だったが、英国の倉庫に若干の在庫があったのだ。Nazraeli Pressは再版をしないので、まだ入手していない写真集コレクターは要チェックだろう。サイン会も予定している。

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2009年3月 3日 (火)

オリジナルであることと
感覚でシャッターを押すとき

Blog_2
先週末より展示している好評の最新作

現在、ギャラリーで写真展開催中のNaoki氏。来廊者がいないときなどには色々な興味深い話を聞くことができる。最近、とても面白いと感じたのが、"感覚"や"感性"についての考えだ。以下に彼の趣旨を私なりに解釈してまとめてみた。アート写真に興味ある人には参考になると思う。

25年以上のキャリアがあるNaoki氏でも、撮影の瞬間に確信が持てないときが数多くあるという。 そんなとき、彼はシャッターを切らない。しかし、感覚ということを言い訳にシャッターを押したくなる誘惑はある。自分の自信のなさを、あいまいな感覚やフィーリングとかで認めてしまいたくなる心境はわかる。
たとえば、誰でも取り組むテーマのシティー・スケープス。郊外のありきたりの都市風景を撮影したとする。普通のものはいくら努力しても普通にしか撮れない。しかし、露出の関係で少し明るめにシーンが撮影できたとする。それが、いい感じでオリジナルだというような、感覚を重視した評価を下したくなる誘惑は誰にでもあることだ。写真を撮影した経験のある人はその気持ちがわかるのでそんな感じの写真に理解を示す。アマチュア写真家同士で作品を評価し合う時などはお互いにその感覚は共感されやすいだろう。写真好きの編集者も多い。写真家と編集者が感覚を共有できれば雑誌などで、発表されることもあるだろう。
日本は、評論家やキュレーターもクリエーター志向が強いので、写真家の感覚が愛でられがちだ。彼らは写真に評価を与える立場にいるので、それが写真の評価軸のように考えられてしまうこともある。感覚は評価軸が不明確なので、どうしても権威の確立した人に頼りがちになる。そのような写真家が感覚的に撮影した作品に似ていることが評価される。

写真を撮影する人は、オリジナルプリント、写真集、雑誌を購入することが多い。確かにそこにマーケットは存在する。しかし、感覚を重視するのは、写真を撮影する人のコミュニティーにおいてだけだ。撮影にまったく興味なく、純粋に写真を見るコレクターにはそのような感覚は理解不能なのだ。アートの世界ではコレクターがお金を出して作品を買う。心に届くような強い感情は重要だが、自分が理解できないあいまいなものには彼らはお金を使わないのだ。

感覚は、写真家が自己満足か、自己弁護に陥りやすい危険な麻薬のようなものだ。 たぶん麻薬のように害があるがなくならないだろう。それが自己肯定になり心地よいからだ。また評価基準がないので、見る人がお互いに認め合うかぎり誰も傷つかない。

欧米でオリジナルであることが重要視されるのは、それがあいまいな感覚などと違い唯一独立して存在する価値基準だからだ。それはアレキセイ・ブロドビッチが語っているように、奇をてらうことではなく、洗練された表現を通して個性を出すことなのだ。もし真のアーティストを目指すならオリジナルであることを志向し、時代の価値観に対する明確な認識が必要不可欠だ。それらが優れた感覚と重なりあった作品は見る人の心を揺さぶり理性的な共感を誘うのだ。

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