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2009年9月22日 (火)

トミオ・セイケ トークイベント
「トイレットに写真を」 & 新作制作の背景

Blog2
(C)Tomio Seike

先週末に行われた、トミオ・セイケによるトークイベントの内容を要約して紹介します。約1時間に渡って、本人も自宅で実践しているという写真をトイレに飾ること、そして新作誕生の数々のエピソードを語っていただいた。

1.「トイレットに写真を」
80年代半ば、ロンドンのギャラリーとはじめて契約した。そのギャラリーにはトイレが2つあり、1つは来客用+男性スタッフ用、もうひとつは女性スタッフ用だった。
女性スタッフ用のトイレはデスクの奥にあるのだが、あるときトイレの戸を開閉する際に見える壁に自分の作品のポスターが貼ってあるのが偶然見えた。その時は、トイレに自分の作品が・・と不快に思い、何故だろうと気になったが、当時の自分はまだ新人でその理由を聞くわけにもいかず、また女性トイレなので入って確認するわけにもいかず、そのまま時が過ぎた。
イギリスでは一般の家庭でもトイレは2つ以上あり、それらは使用人用と、主人用とにはっきりと使い分けられている。
ある時、とある写真コレクターの家に呼ばれた。ロンドン郊外の大きな家だが、トイレに入って驚いた。壁や水回りの白に木材の黒のコントラストが美しい設えに写真が数点美しく飾られていた。その時は、これがトイレなのか?こういうスペースに写真があるのも悪くないなと驚いた。トイレに絵画などを飾っているのは今までにも見たことがあるが、通常は作品展示にここまで手は掛けられていない。
現代人はとても忙しく、一人になる時間がない。唯一トイレは他人と隔絶している空間だ。そこに写真があるのは理想的ではないかと思うようになってきた。ギャラリーや美術館は他人と空間を共有している。狭いトイレは個人が写真と向き合うのに最適ではないか。
今日は写真を撮られる人がたくさんいらっしゃると思うが、自分で撮った写真をトイレに飾って向き合ってみてはどうか。写真を買うということのきっかけになるかもしれない。ちなみに、私は東京の自宅に自作を展示している。

2.「Eighteen month の背景」
長年の友人マーガレットが家を買うかもしれないというのでその家を一緒に見に行った。そこはある女性が終の住処として買った400年以上たつ古いコッテージ。しかし彼女は病気になり18ヶ月しか住むことができなかったそうだ。その女性の友人経由マーガレットに購入の話が来たとのことだった。亡くなった女性の年齢が自分と同じだったことも気になった。
家に入ると、今まで経験したことのない空気、緊張感、重さを感じた。私は特に霊的なことを信じる人間ではないが、空気が重いという感じがあった。そこは亡くなった前所有者が住んでいたままの状態だった。マーガレットがこの家を購入し、移り住めば今感じたものは全てなくなってしまう気がして、その場で写真を撮らせて欲しいと頼んだ。またこの日以降も撮らせてもらえるように関係者にとりあってもらった。こうして初めてその家を訪ねた2007年10月14日から12月初旬まで計5~6回かけて撮影したのがこの展示している作品だ。
最初の2~3回は、家の中を見て回ると絶えず重い空気のようなものがついて回る感じがあったが、そのうち「後は好きにやってくれ」という許可を受けたような感じに変わった。最初は「お前、誰なんだ」という感じだったのが承諾してもらえたような感じだ。
今回は、ここで感じたものを写真にしたい、という強い思いがあった。それは、彼女(前所有者)はこれで満足していたのだろうか、やり残したことが数多くあったのではないか、という視点で撮影したということだ。普通は自分の住む空間を時間をかけて自分好みに変えていくだろう。早く亡くなったことで彼女がやりたくてもできなかった、という思いを感じたのが作品制作の強い動機だった。
撮影時にはそのまま何もモノを動かすことなく撮っている。そこで自分の感じるものを表現しようとしたのであって、そこにあるモノや場所を撮影したわけではない。

3.主な質疑応答
Q.デジタル、銀塩へのこだわりについて
A.どちらで撮るのが好きかと言えば、銀塩のほうが好きだ。しかし、デジタルは日進月歩で進化している。また、将来フィルムを使うことができなくなることも想定しなければならない。デジタルもやっておく必要がある。様々な最新デジタルカメラを使用してみるのはそのことによる。

Q.カラーは撮らないのか
A.私のカメラにはいつもトライXなどのモノクロが入っている。カラー作品を自分が欲しいと思ったことがない。だから撮らない。今後自分が欲しいと思うカラー作品に出会えば、カラーをはじめる。

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4.トークイベントを聞いて
セイケが古民家の室内ではなく自分の感じたものをそこで撮影したというのは興味深い。 本作には人は写ってないが、インテリアのオブジェ類を通して撮影された前所有者のポートレート写真なのだ。
またこのインテリアにセイケは、「彼女がやりたくてもできなかった、という思いを感じた。」と語っている。この不完全さを見る視点は、日本古来の侘びや幽玄の視点と重なると思う。不完全さは余白であり無でもある。そしてこれは不完全を美として受け入れる姿勢なのだ。
そうなると18か月という時間が非常に重要になってくる。もし住人が何年も住み続けていたら部屋の中のたたずまいは彼女の目指すイメージに近づいていたはずだ。そうなるとセイケの感性が入る込む余地があったかどうかは疑問だと思う。インテリアは未完であったが故にセイケの写真作品により永遠を獲得したのだ。これは日本人写真家にしか真に表現できないと思う。
一部の外人コレクターがセイケの写真を見て日本的ということがある。それは写真に存在する微妙な距離感、もしくは余白なのではないかと考えてきた。マイケル・ケンナは自作を俳句のような写真と呼んでいる。写真の持つ気配が、見る側が何か考えさせらる余地を持つという意味だ。私はなにかそれに人工的な響きを感じていた。日本人以上に日本文化を研究している外国人に抱く不自然さのような感覚だ。一方セイケの多くの写真にはその感覚が自然としみ出ている印象がある。たぶんスタイルではなく精神が重要で、それは歴史の積み重ねを通して受け継がれるものなのだろう。

今回のトークでは彼がそんな感覚を意識していることが明らかになったと思う。デビュー作の「ポートレーツ・オブ・ゾイ」の場合は、モデルになったゾイの成長による変化がテーマだった。彼は被写体の変化を写しだすために距離感を一定にするとともに、今後の成長や変化の余地が意識していたのだろう。
実は私どものギャラリーは、現代日本人がリアリティーを感じる写真の紹介をテーマにしている。それらをまとめるキーワードとして侘びの視点を意識している。私はセイケはそのような範疇の日本人作家の一人と理解しているのだ。詳しくは将来的に何らかの企画展考えているのでその時に説明したいと思う。

日本の写真コレクターはイメージ重視の人が多い。それが作家性を愛でる欧米のコレクターとの大きな違いだ。だから作品テーマが新しくなりモチーフが変わると全く興味を持たなくなることがよくあるのだ。今回は古いコッテージのインテリア内だけで撮影された作家性が重視された作品だ。作品のイメージ自体はやや地味と感じられるかもしれない。しかし、一緒に生活するには心地よいモノクロ・イメージばかりだと思う。またその背景を読み解こうとすると非常に多様で深みのある世界が広がっている。
私は日本人コレクターのアート写真リテラシーは若い人中心にこの10年で大きく向上したと思っている。観客の本作品に対する反応が非常に興味深い。

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