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2009年10月27日 (火)

(アート写真最前線)
写真が売れない日本市場
潜在需要と供給のミスマッチ

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外国人作家の売行きは好調だ。

日本ではアマチュア中心に非常に多くの人が写真を撮影する。近年になってカメラ付携帯電話の普及、デジタルカメラの技術進歩と価格低下で写真人口は増加中だ。いままでは男性中心だったカメラ趣味は女性にも広がっている。
一方で、写真表現で真摯にアート作品作りを行なっている人はいまだ少数だ。また写真はアートとして一般的には認識されておらず、コレクションする人も欧米と比べるとまだ少数。アーティスト、コレクターが少ないことから、作品を販売する商業ギャラリーも少ないのが現状だ。

日本では写真は売れない、という嘆きを写真家から聞くことが多い。確かにギャラリーの店頭でもその事実を実感している。実際に作品が定常的に売れるアーティストの数は決して多くないのだ。
しかし、売れないことの意味合いは一般に理解されているのとやや違うという印象を持っている。多くの人は日本には写真を買う習慣がないことから需要が欧米と比べて極端に少ない、また写真を評価できる人が少ない、と考えているようだ。
確かに資産を持っている60歳代以降の層では、写真はアートではなく記録メディアと理解されている場合が多い。しかし、新人類世代(50歳代前後)よりも若い人たちは写真をアート表現と認識しており、ビジュアル感覚も決して欧米と比べて劣ってないと思う。戦後の混乱の中で青春時代を過ごした世代と比べ、上記の新しいビジュアル世代は若い頃から世界最先端のビジュアルを掲載した洋書、洋雑誌に触れていた。80年代の好景気を経験した人なら世界中の有名写真家の写真展でオリジナル作品にも数多く触れている。

最近はヴィジュアル感覚とともに、日本人のアート写真理解力も向上してきたと感じている。アート写真の本当の面白さは、私たちが普段見逃しているようなユニークな視点をアーティストが写真で気付かせてくれること。優れた作品ではイメージは入り口で、その背景には深い意味を持った世界が広がっている。これに気付くためには、見る側も写真史や社会文化の学習が求められることがやっと理解されてきたのだ。
いままでの日本人コレクターは、自分の好きなイメージを購入していた。これからは、イメージだけでなく、作家性、作品テーマで写真がコレクションされるようになると思う。その流れは、既に写真集の売り上げ傾向に現れている。魅力的なヴィジュアルだけでなく、コンセプトの理解なしでは良さがわからない本も着実に評価されるようになっている。写真はあまり売れないものの、洋書写真集は不景気でもかなりの冊数が売れているのだ。円高やネットの普及により従来よりもはるかに安く購入可能になったこともあるだろう。 重要な点は、写真集を買う人は将来のオリジナル・プリントの購入見込み客ということだ。

以上から写真が売れない本当の背景が見えてくる。
日本にも欧米と同じように写真をアートとして理解して購入に興味を持つ層が確実に増加している。ではなぜ、写真が売れないのだろうか?彼らの多くはまだ若いので収入が多いとはいえない、写真集は買えるがオリジナル・プリント購入の余裕がまだないのだろう。これは時間が経過すればしだいと改善すると思われる。
もうひとつ考えられる理由は、写真集を買う延長上に手頃な価格帯の優れたアート写真の選択肢が少ないことではないだろうか。写真集を発表しているような有名外国人作家の作品は高価で入手も容易でない。新しいビジュアル世代は自分たちの感覚を信じ、本当に好きなものにしか興味を示さない。中高年のブランド志向と対照的なのだ。潜在需要は大きいものの、彼らが欲しい写真が市場にあまり供給されていないのではないか。
欧米でもオークションで売買されるような高額な有名作品は市場のごく一部。中心はインテリアにも飾ることができる質が高い5万円から15万円くらいの価格帯の作品なのだ。日本には、難解なコンセプト、高額、大判サイズの現代アート系写真と、イメージ重視の低額写真の供給はあるが、明解なコンセプトと親しみやすいイメージを持った写真作品がほとんど市場に提供されていない。写真があまり売れない原因は、顧客が求める質の作品供給が少ないからなのだ。

米国のアート写真市場も実は30年ほどの歴史しかない。初期はアンセル・アダムスなどごく一部作家のモノクロ作品しか扱われなかったそうだ。その後長い低迷期を経て、幅広い時代、分野の写真が扱われるようになった。新人作家でも普通に買われるようになったのは90年代以降になってからなのだ。
過去に米国で起きたことは日本でも起きている。現在の日本はやっと写真の売買がビジネスとして成立しはじめた状態なのだと思う。繰り返しになるが、優れた作品であればコレクションしたいと考える人の潜在需要は確実に増えているのだ。今後は、関係者の市場拡大への努力が重要なのは明らかなのだが、日本は作家やギャラリーにとって厳しい市場であるかもしれない。欧米ではコレクターは市場とともに成長してきた。その過程の試行錯誤で関係者は実力をつけてきた。しかし、日本のコレクター予備軍はすでに欧米並みの高いアート写真の理解力を持っているのだ。

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2009年10月20日 (火)

古いが一番新しい
ファイン・アート写真の前衛とは

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(C)Tomio Seike

欧米のアート写真が扱われるオークションでは、ファインアート・フォトグラフスとコンンテンポラリーアートとが明確に分かれている。しかしその前提は、長い写真史の歴史を踏襲したファインアート・フォトグラフスがあり、そこから現代アート系の写真が派生してきたと考えられている。たとえばドイツのベッヒャー派アーティストは現代アート写真でよく知られるが、ベッヒャー夫妻にはアウグスト・ザンダーなどの影響が強くあるのだ。

しかし日本には明確なアート写真の歴史、伝統のようなものはない。欧米で流行している現象をとらえて、その表層的なスタイルを取り入れる場合が多い。その先頭に立つマスコミは、モノクロ写真は時代遅れで、写真はまるで現代アート系しか存在しないように取り扱いがちだ。
ギャラリーも状況は同じ。カラーはもちろん、モノクロ写真の場合も、現代アートらしくなることから、深いテーマとの関連がなくても大きく引き伸ばされて展示することが多い。現在の日本では、小さいモノクロ写真よりも大きな現代アート系の写真を見る機会の方が多くなっている。日本で写真がアートとして一般に受け入れられていない背景はこのあたりの事情によると思う。
私もかつてはこのような状況に疑問を持っていた。しかし長年ギャラリーを行っていると、あらゆるものが節操なく混在している現在の日本文化を受け入れるようになってきた。これは妥協ではなく、正しい現状認識がないと、その国に住む人がリアリティーを感じる独自のアートが生み出せないと理解するようになるからだ。このことについては機会を改めてまた触れたいと思う。

現在、展示しているトミオ・セイケの「Eighteen Month」は現代アートとまったく相反する欧米の写真史の流れを踏襲している作品だ。興味深いのが、このような写真を知らない若い世代にはセイケ作品の展示が凄く新鮮に見えるらしいということだ。現代アート系の写真は、アイデアと刺激重視の奇をてらったイメージが多い。カラーの巨大サイズ作品が一般的で、絵画のように単独に展示する。
一方、今回の展示作品は、判りやすいテーマ、地味に見えるイメージ、モノクロームの小サイズ写真がブック式マットされて同サイズのフレームにシンメトリーに展示。1枚でなく全体で作家の世界観を提示している。欧米の写真ギャラリーではごく当たり前の展示なのだが、考えてみれば最近の日本ではこのような展示は決して多くない。実際、写真展の主催者はあえて大きさやカラーでアクセントを設けるように工夫する。日本の観衆は内容よりもイメージでひきつけられる場合が多いので、見る側が物足りないと感じないようにと配慮するからだ。

今回のトミオ・セイケ写真展「Eighteen Month」で私が注目したのは、多くの人が写真を見て落ち着く、ほっとする、見とれてしまうといった印象を語ってくれたこと。大きさ、サイズ、色、アイデア、刺激で聴衆の目を引くことを意識する現代アート系写真の対極のアプローチは逆に顧客とつながる最先端のアイデアのひとつかもしれないと気付いた。
日本の市場は歴史がないので伝統へのしがらみもなく、世界で一番自由に感じることが出来る場所といえなくはない。そして、そこに住む写真好きの人は欧米の伝統的なアート写真も新しい現代アートとしてとらえているのではないだろうか。
デジタル化が進み、銀塩写真は保護される伝統工芸のようなポジションになっていくという専門家の指摘がある。しかし、それはアート表現でない写真にのみ当てはまるのだ。欧米でいまでも存続している伝統的ファインアート写真。もしかしたら、将来的にそのスタイルと精神は、最先端の現代アートのひとつとして生き残るのではないだろうか?古いが一番新しい、という状況が日本では欧米よりも先んじていま起こっているのかもしれない。

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2009年10月13日 (火)

アーヴィング・ペン(Irving Penn)
戦後の新しいアメリカン・ヴィジョンを提示

Bs040
大人気の写真集 Irving Penn "Flowers"

アーヴィング・ペンが先日92歳で亡くなった。
私は90年代初めにニューヨークのオークション下見会で見た、タバコの吸殻を撮影した大判プラチナ・プリントのことを思い浮かべた。現代の消費社会をテーマにしたアイデアの秀逸さ、シンプルでモダンなイメージ、モノとしての美しい作品の存在感に圧倒され、感動した。このシリーズは一種の時代のドキュメントで、それをアート作品として提示する方法論としてサイズを大きくして高クオリティーのプラチナ・プリントを制作したのだ。その時に写真集という限られた紙面上の写真と、現物との明らかな違いを初めて実感した。
後になって知ったのだが、彼は完璧なプリントを求めて高価なプラチナのシートを自分自らの手で膨大な時間をかけて作り続けていたそうだ。 シルバープリントと違い、プラチナプリントは20世紀初頭の伝統的な手法でシートはすべて手作りなのだ。
彼の極端な本物志向は有名だった。写真集「Passage」には、多くのグラスが乗ったトレイが落下するシーンを撮影するときに、ペンが高額なバカラ製グラスに強くこだわったエピソードが紹介されている。また、1990年にヴァニティー・フェアー誌でレモンを撮影した時の逸話も有名。まず、500個のレモンを購入し完璧なフォルムのものを探し、その後に完璧な写真を求めて500ショットの撮影を行ったとのことだ。

これらは彼がもともと画家志望であったことが影響していると思う。当時は、欧米でもシャッターを押すと写ってしまう写真は絵画などと比べてレベルの低いアートとみなされていた。彼はアートとして写真表現の可能性とその境界線を広げようと模索していたのだと思う。

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写真集 "Passage"

ペンの写真の魅力は作品のクオリティーとともに、一貫していると感じられる作品の背景にある精神性だろう。ヴォーグ誌のアレクサンダー・リーバーマンは、ペンは最終的に、はかなさの記憶、束の間の時間、際迫った死を写真に留めようとしていた、との述べている。人生に対するこのようなクールな姿勢が彼のモダンなヴィジョンの根底にあったのだ。だから何を撮影しても作品の魅力が揺らがなかったのだろう。

高齢になったのペンの近作は、デジタル・プリントだった。しかし、デジタルにもかかわらずまるで現代アートのような高額な値段がつけられており、一部に批判もあった。デジタル・プリントの価値はサインの価値だ。作家のサイン自体に価値が出るためには過去の実績の積み重ねが必要だ。60年以上のキャリアがあり、また同じ傾向の絵柄の銀塩、プラチナの初期作品がオークションで高額取引されていたことを考えると、デジタル作品の数百万円の価格に説得力がないことはないとも感じていた。 写真集でもペンのサイン本は、流通量が非常に少なく、だいたい5万円以上する。ちなみにアヴェドンのサイン本は数万円で買えることもある。

彼の死は作品相場にどのような影響を与えただろうか。死の翌日の8日にクリスティーズ・NYで彼の作品13点がオークションにかけられた。当然、参加者は彼の死を知らされており、その点から通常よりもプレミアムがついて取引されたと思われる。
結果は12点が落札され、予想落札価格の上限を超えたのが5点、下限以下が1点、残り6点が予想範囲内で取引されている。
昨今の不況でオークションハウスは予想落札価格を押さえ気味にしている。今回の結果を見るに、彼の死の影響は大きくなく、もう少し低いレベルだっかもしれないものの市場はほぼ適正価格まで調整してきた感じだ。つまり、彼は既に高齢だったので、亡くなることは市場が既に織り込み済みだったということだろう。ロバート・メイプルソープのときとほぼ同じだ。
ちなみにペンの落札最高額は1971年制作の貴重なプラチナ・プリントによる代表作品"Cuzco Children,1948"。2008年春のクリスティーズで約52.9万ドル(約5819万円)で落札されている。たぶん、この記録が破られることはしばらくないだろう。

これで、戦後のファッション写真の巨匠のペン、アヴェドン、ニュートンが他界したことになる。時代背景が彼らが活躍した時代から様変わりし、新世代のメジャー作家が出現しにくい状況になっている。たぶん将来的に20世紀ファッション写真は改めてアートの視点から見直されると思う。 アーヴィング・ペンはその中でも最重要人物の一人。最近まで続いていた全仕事の本格的な再評価が待たれるところだ。

ご冥福をお祈りいたします。

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2009年10月 6日 (火)

アート写真市場の動向
注目される秋のニューヨーク・オークション

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クリスティーズ、ニューヨーク

よく美術市場は景気悪化から1年くらい遅れて影響が出てくるといわれる。これは人間心理が簡単に変わらないから起こる現象だ。相場は人間の心理が大きく影響する。長い好景気の時代を経験していると認識を変えるのに時間がかかるのだ。また、最初は短期的に回復するかもしれないと希望的観測を持ったりする。しかし不況が1年以上続いてくると、コレクターの認識が完全に変化して価格調整が本格化するのだ。
これは株式相場で、中長期的な上昇トレンドが下降トレンドに変わったときに起こる現象と同じ。長期視点の投資家は高値付近で売ることは出来るのだが、市場が下落するとこれを買い場と考えてしまう。トレンドが変わったのに、過去の経験則から上昇トレンドの調整かも知れないと考えるからだ。そして損切りが出来ずに不良な塩漬けのポートフォリオになってしまう。これは日本のバブル崩壊の後に起きたことで、その大きな下降トレンドはまだ続いている。

今春から株価や経済指標が好転をはじめ、エコノミストから景気先行きの楽観論が聞かれるようになっていた。しかし現在の不況が80年代から続いた米国経済の借金体質の調整であるならば、これは短期的な景気循環トレンドではなく、もっと大きな構造的な変化が世界的に起こりつつあるのということだ。そうなるとリーマンショックの影響は来年以降も続くことになるだろう。
そんなことを考えていた矢先に、急激な円高と株価の急落が起きている。米国で雇用回復の遅れを表す経済指標が相次いで発表されたことによる。そうなると今度は景気の二番底が来るとの警告がエコノミストから発せられるようになってきた。

さてアート写真市場だが、過去1年間の市場は弱含んだものの予想外に堅調だった。しかし市場の真価が問われるのは、不況がまだ続くかもと多くが考え始めたこれからかもしれない。
その点、今秋のニューヨークのオークションは注目だ。カタログ編集をみるとオークションハウスが十分に警戒していることが良くわかる。まず出品数が大きく削られ、写真史で評価されている作家の代表作の比率が従来以上に高くなっている。かなり選択され絞り込まれた跡が見え隠れするのだ。昨年のオークションで、不落札だった主にプライマリーで活躍する現代の写真家、ファッション系、現代アート系の作品数が大きく減少している。日本人では、杉本博司以外の出品が激減だ。売れそうもない作品はオークションでは取り扱ってくれなくなっている。
出品作には落札価格予想の上限と下限が設定されており、これに相場が反映される。今回は、1年前には予想上限を超えて落札された人気作家の人気イメージについても非常に控えめな設定になっている。予想価格が引きあがられることはなくほぼ昨年と同じ価格がつけられているのだ。
今年の厳選された作品セレクションと出品数では、不落札率があまり高くなることはないと思う。しかしどの価格帯で実際に入札されるかに市場心理が現れる。例年に増してオークションの価格動向が興味深い。セカンダリー市場の地合いの悪さはギャラリーの店頭市場にも少なからず影響を与えるのだ。

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