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2009年11月24日 (火)

次回展 "Two in one in England"
現在準備進行中 ! 12月2日スタート!

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ギャラリーの次回展は、12月2日(水)より、ドイツ人写真家で現在フランス在住のヨーガン・シャドバーグとハービー・山口の二人展"Two in one in England"を開催する。
ちなみに、タイトル一部の"Two in one"は、ハービー・山口が趣味としているバイクから連想して彼がつけたもの。エンジンからの2本の排気パイプがひとつになってマフラーにつながることを意識している。
二人の関係は、1975年のロンドンにさかのぼる。シャドバーグは南アフリカで活躍していたが、アパルトヘイト政策などもあり当時はやむなく欧州に移り住んでいたのだ。一方、山口青年は自分探しのためにロンドンに滞在していた。キュレーター、編集者、写真教育者の仕事をしていたシャドバーグはハービー・山口の写真の才能を最初に見出した人物なのだ。彼はシャドバーグ写真グループの暗室を使用することを許可されるとともに、写真に関わる様々なことを教わったという。シャドバーグとの出会いがなければ、現在の写真家ハービー・山口は存在しなかったかもしれない。彼こそは、パンクの精神を教えたジョー・ストラマーとともに、ロンドン時代のハービー・山口に多大な影響を与えた最重要人物なのだ。写真展開催に至るまでの詳しい経緯や見所は、プレスリリースを読んでいただきたい。

実は昨年の秋に、ヨーガン・シャドバーグとハービー・山口の二人展を予定していると紹介した。当初、写真展は今年春に開催予定だった。しかしハービー・山口の川崎市市民ミュージアムでの写真展が決まり、彼らがギャラリーでの同時期の写真展開催に難色を示したことで時期を秋に変更した。 作品がギャラリーで販売されることを気にしたようだ。確かに美術館での個展開催はその作家の作品の資産価値をあげることになる。アート写真市場が未成立の日本ではあまり関係ないと思うが、美術館側もそれだけ彼の作品の市場性を認めていたのだろう。

ヨーガン・シャドバーグの作品はかなり前からギャラリーに届けられていた。60年代後半に英国グラスゴーで撮影されたモノクロ銀塩プリント約15点だ。ヒューマニストの視点で撮影された写真はハービー・山口へ影響を与えていることが明確に感じられる。彼の未発表・初期作品といってもたぶん誰も疑わないだろう。プリントもとてもきれいに仕上げられている。暗室作業でのこだわり精神も間違いなくハービー・山口につながっていると思う。作品の一部は、アサヒ・カメラ12月号のグラビア・ページに掲載されている。

一方、ハービー・山口は11X14インチの銀塩プリント約20点を展示する。彼が1973年に渡英したとき、最初の約6ヶ月はイングランド南東部の海辺の都市ブライトンに住んでいた。シャドバーグと出来るだけ同じ時期の作品ということで、写真展用に当時のネガを見直してもらったのだ。本人によると直感でよいと感じた写真をプリントしてみたとのこと。代表作の1枚に「School Friends」というイメージがあるが、ほとんどが同時期に撮影された未発表作品。得意のポートレート、ストリート・シーン、シティースケープ、ランドスケープが巧みにセレクションされている。

この時代の英国社会は英国病といわれる経済の停滞期だった。国有化政策などで国際競争力が低下し、貿易赤字、財政赤字に苦しんでいた。当時の国民生活はかなり困窮していたというイメージが強いが、彼の写真を見ていると違う印象を受ける。政府は厳しい状況だったが個人は案外幸せだったのではないかと思えてくる。二人の一連の作品からは、社会全体がかもし出す安定感、秩序、余裕のようなものが感じられる。それは、街のたたずまいであり、被写体の労働者階級と思われる人たちのきちんとした身なりやファッション、そして笑顔だ。誰もが地域、会社、家族などの中で自らの役割があった時代なのだろう。低成長期だったので物質的にはアメリカよりも恵まれていなかったと思うが、それぞれの人に居場所があったので生活の先行きに不安感はあまりなかったのだろう。幸福度は必ずしも経済成長とリンクするわけではないのだ。特に若かりしハービー・山口の写真は、いまと同じようにそこに住む人たちの何気ない笑顔を見事に引き出している。彼の未来の成功を暗示しているかのような素晴らしい作品だ。

その後、英国もサッチャー政権の経済政策により「規制緩和」と「民営化」へと大きく方針転換される。自由な生き方や物質的な幸福を多くの人が求めるようになり社会状況が変化するのだ。伝統的なコミュニティーが崩壊した現代社会では、誰しも居場所が不安定でそれが精神的なストレスになっている。だから、今回のような古きよき時代の写真に私たちは魅了されるのだろう。いま、シャドバーグがグラスゴーの写真をセレクションし、ハービー・山口がこの時代のネガを見直そうと思ったのも、単なる過去の思い出の再発見ではなく、時代の価値観の大変化を感じとっているからだと思う。 現代社会を違う視点から見直すきっかけにして欲しいという思いが感じられる。
ちなみに、ハービー・山口の次のプロジェクトは渡英前の写真の本格的な見直しとのことだ。私たちが、よりリアリティーを感じる古きよき日本の写真でメッセージを投げかけようとしているだろう。来年秋に大規模な写真展と写真集出版が予定されているという。

写真展"Two in one in England"は12月2日(水)~来年2月6日(土)まで開催。

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2009年11月17日 (火)

(コレクション・ガイド)
ギャラリーのようなインテリア
アート写真のある空間

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写真の飾り方を紹介した書籍"Photos Style Recipes"

外国のアートコレクターは、部屋中に自分のコレクションすべてを飾る人が多い。キャリアの長い人のお宅を何件か訪問したことがあるが、リビング、ベッドルーム、書斎、廊下はもちろんトイレにも展示してあった。まるで、ギャラリーかミュージアムに住んでいるような感じだ。
また、アメリカのインテリア雑誌をみているとリビングなどの広い壁面があるスペースに集中してアートを飾る人もいる。壁の床から天井に近い部分まで全面を使い、様々なサイズ、素材のフレームのアートををアットランダムに展示している人もいる。非常に高度なコーディネーション感覚だと感心する。そして、有名写真家のオリジナルプリントのなかに、自分が撮影したお子さんのポートレートが混じっていたりするから恐れ入る。
このように書くと、現代アート作家ウォルフガング・ティルマンスの個展風景を連想する人もいるかもしれない。しかし、彼のように余白スペースを生かすというよりも、壁面をフレーム入り写真で埋めていく感じだ。米国人写真家ブルース・ウェバーも複数のサイズ違いの額装作品を壁面にちりばめる展示方法を個展で取り入れている。

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写真集"Chorus of Light"

たぶん、作品展示の極め付きがミュージシャン、エルトン・ジョンの写真コレクションだろう。彼は世界有数のアート写真の個人コレクターと呼ばれており、2000年には、米国アトランタのハイ・ミュージアム・オブ・アートという美術館で自身のコレクション展を開催しているほどだ。(杉本博司、トミオ・セイケなど日本人作家も含まれている。)
「Chorus of Light」という開催時に刊行された写真集には、コレクションで床から天井まで埋めつくされたアトランタのアパートメントのイメージが多数紹介されている。ホワイト・ゴールドの特注フレームなどを使用し、壁面カラーや家具類とのトータル・コーディネートが考えられた上で展示されている。 あ!これこそは写真コレクターの夢の館だと、私は思ったものだ。

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写真集"Chorus of Light"から、

一方で日本人コレクターは、気に入った何点かを展示して残りを大事に保存していることがいまだに多い。床の間に掛け軸を季節ごとに掛けかえる伝統の名残かもしれない。アート作品は生活に潤いを与える、というようなありきたりな表現は好きでないが、私はアートは壁面に飾って、ともに生活するものだと考えている。優れたアートは自分自身を見つめるきっかけを提供してくれる。それは、壁面に展示して一緒に暮らすことで初めて明らかになるのだ。

外人コレクターたちは、どうも次に作品を展示する壁面を意識してギャラリーに来るようだ。壁のスペースに、欲しいアートをイメージするのは自らを知ろうとする行為ではないだろうか。自分のまわりの生活空間をゆっくりと見渡して欲しい。もしなにか物足りない感じがしたら、 そこにはアートが必要なのかもしれない。そのような意識でギャラリーを訪問すると、見る行為がより楽しくなる。自分の意識の延長上にアートを捉えられるようになり、自らの感覚にあった作品と出会うことができるのだ。そのような一連の行為を通してアートは生活に潤いを与えてくれる。

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2009年11月10日 (火)

(コレクション・ガイド)
アーティストのキャリア
どの時期の作品をコレクションすべきか?

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Irving Penn "PASSAGE"

今年は、アーヴィング・ペン、ウィニー・ロニスなど、戦後を代表する写真家がなくなった。有名アーティストは長生きの人が多い。上記の作家はともに90歳代だった。好きなアーティストのキャリアが長い場合、どの時期の作品を買ったら良いか悩むところだと思う。

優れたアーティストはキャリア初期に自分のスタイルを構築し、それが次第に認められて地位を確立させる。しかし、ワンパターンを続けると飽きられてしまうので、本質は変えずに新たなスタイルを提示し続けるのだ。そして年齢を重ねるとともに、作品表現の重点がヴィジュアからコンセプトへとシフトしていく。若いとき時と比べ体力や視力そして直感が衰えるのを、人生経験を重ねたことで円熟味を増した思考力で補うようになる。若いときには気付かなかった視点で作品提示できるようになる。このように変化できた人は年齢を重ねても現役で作家活動を継続できる。

一方、天才的な能力を持つ人はキャリア後半で作品がマンネリ化することが多い。若いときに優れた感覚に頼っていると、年齢を重ねると新しいものが生み出せなくなる。そして過去の栄光にすがり同じようなスタイルの作品を作り続けることになる。実績があるので最初のうちはある程度売れ続ける。 それが目先を変えて作品サイズを拡大したりするようになると、近作に対する市場の興味が急激にしぼんでいくのだ。

歴史の長い絵画市場の場合、最も価値の高い作品は作家のキャリア初期か、キャリア後期に制作される場合が多いという。そしてプライス・カーブは最初は徐々に上昇して、その後急上昇、そしてフラットになり安定してくる傾向がある。だから、投資的な要素を考える場合、キャリア初期や、まだ未開拓分野の作家を見つけ出すことが重要だといわれている。若い作家はそのまま消えていく人も多いのでリスクヘッジの為に複数作家を購入していくことも必要になる。以上が歴史の浅いアート写真にもそのまま当てはまるかどうかは不確定だが、参考にはなるだろう。

イメージ主体に作品を見る人には、作家のキャリア後期作は、若い時代と比べて魅力が弱く感じるかもしれない。コンセプト重視にシフトした人の作品を理解するには見る側にも能力が求められるのだ。作家のそれまでのキャリアを総合的に捉え、その流れの延長上に作品を認識しなければならない。最新作だけを単独で見ても、その作品性は正しく理解できないのだ。これが、アート鑑賞やコレクションの面白みであるとともに、難しいところだ。

それゆえ、アンドレ・ケルテス、アーヴィング・ペンなどの巨匠でも、キャリア後期作品の評価は高くない。アート相場は、様々なレベルのコレクターがいる。どうしてもイメージ人気によりプレミアムが付いてしまうのだ。投資で買うなら、キャリアのベスト期の代表作を、高額でも狙うべきだ。それらが一番流動性が高いからだ。しかし、もし本当にその作家が好きならば、キャリア後期にはお買い得作品が多いのだ。
アンドレ・ケルテスはパリ時代の作品人気が非常に高い。しかし、後期のニューヨークの作品のなかにも彼らしい秀作があると思う。パリ時代のヴィンテージ・プリントは高額だ。2005年には、1926年作の「Chez Mondrian」が約46.4万ドル(約4600万円)で落札されている。しかし、ニューヨーク時代のヴィンテージに近いプリントは1万ドル(約100万円)前後から入手可能なのだ。
同じような例はほかにもある。特に景気後退期には、需要が人気作品に集中しがちになる。イメージだけにこだわらなければ良い作品をリーズナブル価格で購入できるチャンスは大きくなる。

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2009年11月 3日 (火)

(アート写真最前線)
ウィリー・ロニスが亡くなる
市場で過小評価されているフランス人作家

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戦後フランスを代表する写真家の一人、ウィリー・ロニスが99才で亡くなった。90年代の日本では、ロベルト・ドアノー、イジス、エドワール・ブーバなどとともにフランスのヒューマニスト系写真家のグループ展でよく紹介されていた作家だ。 私は、1992年にプランタン銀座で開催された写真展「I love Paris」展のチラシに使われた「バスティーユの恋人たち」という作品が印象に残っている(上の写真)。写真家名は知らないが、イメージは見たことがあるという人は多いと思う。もちろん彼の仕事はフランス本国では非常に高く評価されており、ナダール賞の受賞(1981年)、アルル写真フェスティヴァルの名誉招待作家にもなっている。死後にはフランス政府へ作品寄贈することが早くから決まっていた。

しかしアート写真市場の中心地、米国では彼の認知度はあまり高くなかった。50年代にはニューヨーク近代美術館でのいくつかの写真展に作品がセレクションされているが、北米ギャラリーでの個展は80年代中ごろになってからのようだ。オークションでの取り扱いが増加したのは最近のことだ。
彼のモダンプリントのギャラリー店頭値段は、11X14インチサイズで約50万円からだ。 写真市場の歴史が浅い日本人の感覚では高額だが、同世代のアメリカ人作家と比べると決して高くない。さらに調べてみたら、一部ヴィンテージを除いてオークションでの店頭価格を超えての落札はほとんどないようだ。これはセカンダリー市場で価格プレミアムがないという意味。既に高齢だったことを考えると、彼の人生が長くないことをギャラリー価格は既に織り込んで上昇していた感じだ。90年代の前半には、彼の代表作でも500ポンド(@240で約12万円)だった。

ロニスを含む、フランス人写真家の相場があまり高くないのは、米国の60年~70年代に訪れた写真ブームの流れから彼らの作品が外れていたことによる。 この時代に、いままでの主な情報提供メディアだった写真がテレビにその地位を奪われる。ロバート・フランク、ウィリアム・クラインらが登場し、いままで公共的な役割を果たしてきた写真は他のアートと同じようにパーソナルな視点を表現する手段へと大きく変化する。 その後、ダイアン・アーバス、ゲイリー・ウイノグランド、リー・フリードランダーなどが登場して現代写真がアメリカ中心に大きく発展していく。欧州の多くの写真家はその間もフォト・ドキュメンタリーの報道写真の流れを踏襲していた。アメリカの新しい写真家との違いは何かというと、時代の価値観との接点の有無と、写真家がそれをどのように解釈しているかが提示される点だ。
フランスのヒューマニスト系といわれる写真家たちは時代との接点が必ずしも明確ではなかったかもしれない。ロニスの写真集「Sur le fil du hasard」などを見るとテーマ性よりもヴィジュア優先で作品がセレクションされている印象は強い。しかし、彼らは決して世の中を記録しようと考えていたのではなく、人間愛の視点で労働者階級の日常生活をその内側から撮影していた。また、普段は見過ごしがちな写真でしか気付かない一瞬の面白さをヴィジュアに取り込んでいた。多くの作品は、依頼された仕事ではなく自らのプロジェクトだった。それはまぎれもなく社会を捉えるパーソナルな視点のひとつだと思う。その結果、それらの写真には、当時の街や社会の雰囲気が写っていた。しかし、同時代に生きる人にとって、それは当たり前のシーンだったので作品としての価値を認識出来なかったのだ。
彼らの写真が本価格的に評価されるようになったのは90年代以降。時代の価値観が多様化したことで、パーソナルな視点で撮影された優れたドキュメント、ファッション作品がアートとして認識されるようになってからだ。ロニスらによる40年~50年代のモノクロの都市風景を多くの人がノスタルジックに感じるようになった。それは、現代の価値観が昔から大きく変わったことを見る側に改めて気付かせてくれるという意味だ。

アート写真の値段は最大市場である米国のコレクター好みが強く反映される。それは作品の優劣と市場人気は必ずしも一致しないということ。投資の為に写真を買うなら米国人の動向は重要な判断要素となる。しかし、自分の感性を生かしたアート写真コレクション構築を考えるのなら、フランスのヒューマニスト系写真家は検討の余地がある分野だと思う。過小評価されている、日本人好みの写真作品がまだ多いのだ。

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