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2010年2月23日 (火)

名作写真誕生の背景は?
"The Contact Sheet"を読み解く

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優れた写真集はヴィジュアルで楽しむ一種の知的娯楽だと思う。写真集の中で写真家が自分の世界観を世に問うのがフォトブックと分類される本。(フィルムメーカーなどがサービスとして行っている個人のアルバムなどを写真集にしたものとは異なります。)それらは低俗な文化が横行する中で視覚を通して知的好奇心を刺激してくれる。フォトブックでは作家のメッセージの読み取りが重要となる。私は写真を個別にじっくりと眺めないようにする。写真の配列により生み出されるリズム感のほうを意識する。そして最後にエッセーや解説に目を通す。最初は心で、最後に頭で見る(読む)ように心がけている。優れたフォトブックは、内容とともに外見のブックデザインも秀逸。一種のアート・オブジェクトとして持っているだけで幸せな気分になる。

実際はそのような優れた本は少ないので、写真展カタログや解説本を資料用として購入する方が多くなる。英文が多いので読破には時間がかかる。まわりには読まなくてはいけない本が常に何冊も積まれている。フォトブックと違いそれらの本はかなり頻繁に読み直す。
最近、何回も目を通す本が"The Contact Sheet"(AMMO Books、2009年刊)だ。これはコンタクトシートの紹介を通して、名作誕生の背景を考察しようというもの。セレクトされたイメージがフルページで紹介され、次くページにそれが生まれたコンタクトシートが収録されている。著者のスティーブ・クリスト氏は、元々は写真家で、現在は同書を出版したAMMO Booksの出版者でもある。たぶん写真好きの人が持つ、有名写真家の名作が生まれたコンタクト・シートを見たいという素朴な欲求からこの本が生まれたのだと思う。それぞれの写真には、写真家のキャリア解説とともに作品が生まれた背景、写真家本人のコメントも紹介されている。
さて本書は、著者が自分の興味を追求して作り上げたのだが、編集にはたいへんな時間と苦労があったことが想像できる。ドキュメンタリーから、ファッション、アート系まで、幅広い分野の写真家のバランスよいセレクションは見事だと思う。とくに、権利関係に神経質なファッション系のピーター・リンドバーク、ジャンルー・シーフ、ミッシェル・コント、アート・ケイン、ウィリアム・クラクストンなどを収録できたことが同書の大きな魅力になってる。アートの一形態としてファッション写真を取り上げたことで写真家の協力が得られたのだと思う。
個人的に面白かったがピーター・リンドバーク。2006年にイタリアン・ヴォーグ用に撮影されたコンタクトが収録されている。これはとても不思議なイメージだ。二人の女性が、一人は乳母車をもう一人が赤ん坊を抱えてLAのストリートを歩いている。奇妙なのは、トレンド系のファッションをまとなった彼ら全員が防護マスクのようなヘルメットをかぶっていることだ。リンドバークによると、作品のアイデアは世界最大の温室効果ガス排出国であるアメリカが京都議定書を締結しなかったことを意識したということだ。地球上で呼吸できなくなり、女性が美しさを都市のストリートで見せられなくなった未来をイメージしたそうだ。20世紀のファッション写真は、時代の気分や未来像を提示するメディアとして注目されるようになった。
21世紀になり、優れたファッション写真はさらにもう一歩進んで、その社会的背景や前提条件までもを切り込む存在に進歩してきたのだ。

ロベルト・ドアノーの代表作品"市庁舎前のキス"も興味深い。この写真はライフ誌の「パリの恋人たち」というシリーズのために1950年に撮影されたもの。当初はストリートで偶然撮影されたスナップと考えられていたが、90年代以降に、撮影されたモデルの主張から演出された写真だったことが明らかになっている。コンタクトを見ると、ドアノーがカップルを様々な場所で演技させて撮影していることが分かる。

本書には、アート・ケイン、ウィリアム・クラクストン、ミッシェル・コンテ、エリオット・アーウィット、ナン・ゴールディン、ドロシア・ラング、ジョエル・マイヤービッツ、リチャード・ミズラック、マーティン・パー、ソール・ライター、ポール・アウターブリッジ、チャック・クローズ、エド・ルシェ、ジャンルー・シーフ、ピート・タナー、アントン・コービンなど多分野で活躍する約40の写真家が紹介されている。

なんで欧米ではこのような読者目線の面白い写真集が出てくるかというと、質の高い本なら値段が多少高価でも購入するアート写真ファン市場が確実に存在するという考えが前提にあるからだ。多くの読者が文化支援の一環という意識で写真集を購入していることもある。薄利多売が前提の日本とは根本的に出版哲学が違う。優れた編集者がいて、大きな儲けを考えなければアート系写真集出版もビジネスとして十分成立するのだ。
"The Contact Sheet"はそんな欧米写真集業界の懐の深さを感じさせてくれる1冊だ。
http://www.artphoto-site.com/b_596.html

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2010年2月16日 (火)

Black & White Scapes展が今週スタート!
いま新鮮に見える小さなモノクロ風景写真

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アンセル・アダムス作品の展示風景

世界経済は、やっとリーマン・ショックから立ち直りつつある。しかし経済回復は決して自律的で力強いものではない。中国のバブル崩壊など多くのリスクも抱えている。このような不安定な状況が続いていくと、誰の頭の中でもあたり前になっていた、経済成長が前提の考え方が変化するのではないかと最近考えている。
では低成長が長く続いた場合、アート写真はどこに向かっていくのだろうか?たぶん、今までとは逆の現象が顕在化してくるのだろう。数年前まで、写真は現代アート・ブームの影響を受けてきた。現代アートといえば、経済成長、グローバリズムを背景に、巨大、複雑な概念、カラー、高額な販売価格を特徴とする作品だった。
今後は、小さい、軽い、モノクロ、割安価格の作品が従来よりも注目されてくると思う。以前も述べたように、小ぶりの銀塩写真は現代アートの主要なカテゴリーのひとつとして存在感を増していくのではないだろうか?

すでに、欧米市場ではその兆候が見えはじめてきた。アート写真オークションでは現代アート系写真の出品が減り、銀塩写真が勢いを増している。歴史がある伝統的な銀塩写真は不況に強いことが再認識されているのだ。アート・フェアーでも変化が見える。規模が大きくなり、参加コストも高額になったフェアーへの反省から、シンプルに作品を見せるテーブル・トップ・フェアーが開催されるようになっている。Photo LAの期間に開催された「Classic Photographs Fair」は顧客動員、売り上げ的にも成功だったそうだ。これらの現象は単なる不況のせいか、もしかしたら水膨れしたアート界の原点回帰への始まりかもしれない。

ギャラリーの次回展「Black & White Scape」はこのような状況を意識した企画だ。
現在、風景写真といえばカラー、ラージサイズが中心だ。しかし、今回は全てモノクロ銀塩写真による小ぶりのランドスケープ、シティースケープ写真をコレクションした。その象徴として、モノクロ銀塩写真を代表するアンセル・アダムスの風景作品を展示している。作家の死後に制作されたヨセミテ・エディションではなく、1960年代にプリントされた真のオリジナル作品だ。
実は、昔は彼の作品には全く興味がわかなかった。しかし、2年ほど前ジョエル・マイロウィッツにインタビューしたときに、彼が「もしアンセル・アダムスがいま生きていれば絶対にフォトショップを使用しただろう」と語ったときから考え方が変わった。どうもマイロウィッツは、自分の写真をアンセル・アダムスの延長上に捉えているような印象だった。彼はもともとはニューカラーの代表写真家だったのが、今では完全に現代アート作家に転身した感がある。彼同様にアンセル・アダムスも、モノクロ写真で最高の表現を追求したのではなく、その限界を超えようとしていたのではないかと気付いたのだ。もしかしたらゾーンシステムの追求は、アナログのフォトショップのようなもので、彼の足跡は現代アート写真の原点のひとつでは、と考えるようになった。そのような作家性が評価されれば、上記の時代的な背景の転換から彼のモノクロ銀塩写真が改めて注目されるのではないだろうか。
外国人作家では、その他にマイケル・ケンナ、カート・マーカスの作品も展示している。

本展では普段は人物を撮影している写真家の風景写真にも注目した。ニューヨーク・ハーレムのドキュメントで知られる中村ノブオ、ファッション写真のナオキ、ストリートのポートレート写真の名手ハービー・山口などだ。普段はあまりフィーチャーされない、写真家の知られざる一面を発見する機会になればよいと思う。

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中村ノブオ作品の展示風景

中村ノブオ作品では、8X10"の密着プリントをグリッド状に20点並べてみた。小ぶりの都市ドキュメント作品の新しい展示に挑戦している。小さな写真でも、展示方法によってスペースを自由に使えることを体験してほしい。 また、ナオキ撮影の90年代東京の風景作品は、数年前に亡くなった伝説の英国人モノクロ・プリンター、ビル・ローリンソン氏による貴重なプリントだ。これらも一見の価値があると思う。

見どころ満載の「Black & White Scape」展は、2月19日(金)より開催します。
http://blitz-gallery.com/gallery_exhi_cur.html

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2010年2月 9日 (火)

写真購入者はどこにいるのか?
オンライン・ギャラリーが目指すものとは

Blog
オンライン・ギャラリー参加のセイリー育緒の作品

ここ数年、写真を販売したいという人が増加していると感じている。仕事柄、相談を受けることがとても多い。営業を始めた当初は誰もが自信を持っている。国内どころか海外でも売っていきたいと高い理想を聞かせてくる人もいる。
一方で、実際に取り組みを続けている人たちはからは迷いと戸惑いの声が聞こえてくることが多い。色々な機会で写真を発表してみたものの、反応が期待はずれで活動を中断する人もいる。買う人が求めている写真がわからないで悩んでしまうようだ。作家活動を開始してみると、自分がよいと考える作品と顧客の求めるものとの違いに初めて気づくのだ。
写真を買うのは一般人だ。ほとんどが写真を撮影しない、仕事で写真に関わらない人たちが占める。作家を目指す人と一般客との出会いはほとんどないのが実情だろう。彼らは作品制作過程で、顧客ニーズを自作にフィードバックさせる機会を持っていないのだ。念のために確認しておくが、これは顧客が求める売れ線作品を作れという意味ではない。 必要なのはイメージのマーケティングではなく、コンセプトのマーケティングだ。

写真家と最終顧客をつなげるのが、ディーラーだ。(欧米ではギャラリストも含めて、アートを販売する人はディーラーと呼ばれる。日本では販売業者といわれることも多い。)
ディーラーはコレクターの代表ととらえてほしい。口先だけで作品を評価するのではない。 彼らは作品を認めてお金を写真家に投資してくれる最初の人なのだ。アートは最終顧客とのコミュニケーションができてはじめて購入される。作家を目指すなら、まずコレクターを代表するディーラーと理解し合わないといけないのだ。

本当に様々なテイストのコレクターが世の中にいるように、ディーラーも多様である。彼らとって重要なのは自分達のテイスト、つまり好みを明確にすること。 ギャラリーは独自の趣味や視点で作家をセレクトし、それを支持してくれる顧客層を相手にしているのだ。テイストが不明確だと、情報発信力が弱くなるのだ。それゆえ取り扱い作家はかなり限定され、すぐれた作家でもテイストが違うと取り扱えないこともある。
欧米の作家志望者は自作の方向性にあったディーラーを見つけ出さないといけない。彼らが作家にあった顧客層を持っているからだ。しかしアート写真黎明期の日本は、市場規模が小さくてこれができない。多様な作家志望者と、コレクターはいるものの、それらを結びつける多様なディーラーがまだいないのだ。これが写真が売れない一因になっていると思う。

市場拡大のために、ギャラリー経営を離れて作家志望者とコレクターを結びつける方法はないかと常日頃考えていた。回りくどくなったが、その流れで出てきたのがオンライン・ギャラリー構想だ。できるだけオープンな作品発表の場を提供することが目的。ただしアートとして作品を売るには、いくつかの要件を満たしている必要がある。多くの人はそれを知らないで、自分の感覚を重視したものがアート作品と勘違いしている。それらをアートとして通用するようにコーディネーションし直して公開することも役目だと考えている。
基本ポリシーは、レビュアーの趣味による作品評価を一切行わず、評価はすべて顧客にゆだねること。参加者へのしばりもない。完成した作品で個展を開催してもよいし、国内外の他ギャラリーに営業してもらっても構わない。完成したポートフォリオを新たな可能性へのステップにしてほしいのだ。ある程度参加者が増えたらグループ展を開催する予定だ。アート作品はリアルなものなので、現物を見てもらう機会は必要不可欠だからだ。
いままで準備を行ってきたが、まだ3人の作品しか揃っていない。しかし、重要なのは作品制作過程でのフォローだと考えている。参加料で稼ぐ他のあまたあるオンラインギャラリーとはポリシーが違う。だから、個別ポートフォリオのレビューにとことん時間をかけたいし、とくに焦って公開作品を増やす気もない。実はアドバイスができる人が少ないので時間的な制約もある。
コレクターには、今までにギャラリーで取り扱われなかった多様な表現と出会える場になってほしい。ライフワークとして作家活動を行っている人には、キャリア上の短期~中期目標になるようにと願っている。

オンラインギャラリーは、以下でご覧いただけます。
http://www.artphoto-site-g.com/

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2010年2月 2日 (火)

お金をかけるライフスタイルとの決別
アーティストは新しい生き方を提示する

現在の日本は低成長時代に突入したと言われている。政府やマスコミは新しい成長分野をつくらないと国が滅ぶとやたら危機意識をあおる。私たち庶民は、これからの世の中は成長しないのは当たり前で、仕事の安定などないし、収入も永遠に増えないのではと思っている。戦後ずっと続いていた経済成長の終焉で、私たちは生きる価値観の修正を求められている。いまだに新しいものが見つからないことが社会の閉塞感の一因と思われる。今後、様々な提言がなされ時代の中で検証されていくことだろう。

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© Jürgen Schadeberg

いまブリッツ・ギャラリーで、ヨーガン・シャドバークとハービー・山口の写真展「Two in one in England」が開催されている。私が作品を見て感じたのは、これからはフローでなくストックに頼ることが生きるヒントになるかもしれないということだ。もしかすると写真が撮影された1960年代~70年代の英国が参考になるのでないかと感じた。
私は時代性が反映された写真を広義のファッション写真と考えている。それらは時代の気分や雰囲気を伝えてくれ、時に私たちの頭の中に作られたステレオタイプの歴史観とは違う世の中の現実を垣間見せてくれるのだ。
歴史はあくまでも政府や学者により語られたもので、庶民感覚とかけ離れていることがある。本展の舞台となった英国は、まさに英国病が蔓延して経済と社会が停滞していたと言われた時代だ。しかし、本展でスナップされた、ブライトン、グラスゴーの人々には苦境で苦しんでいるような悲惨な雰囲気がない。たぶんキャッシュ・フローは少なかったなだろうが、案外庶民の生活はそれなりに幸せだったのではと思えてしまう。写真から読み取れる、笑顔、きちんとした身なりはまさにその現れだろう。不幸に感じていると自尊心がなくなる、顔から笑顔が消え、身なりにも無頓着になるのだ。どうして、国、政府が苦しくても個人がそれなりに幸せなのか色々考えてみた。私は経済や社会政策の専門家ではないが、たぶん公園、美術館、博物館などのインフラ施設、「ゆりかごから墓場まで」といわれた社会福祉制度の充実があるだろう。シャドバーグが撮影しているようなパブ中心の地域コミュニティーもあり、多くの人に社会での居場所があったことなどが想像できる。つまり、フローではなくストックを頼りに生きていたということだ。彼らはお金がなくても幸せに暮らせる術を知っていたのだろう。

翻って日本はどうか。いまの政府はかつての英国のように膨大な財政赤字を抱えている。経済も低成長時代を迎えている。マスコミはさかんに危機を訴えている。しかし考え方を変えれば、国が苦しくても国民が豊かに暮らすことはできるのではないか。高度経済成長期に蓄積された膨大なストック、社会資本、金融資産がある。お金のフローが増えない中で、ストックを有効利用した生き方はひとつの方法だろう。
私の全くの個人的な印象だが、都市部ではそのような感覚が生まれつつあると感じている。ブランドが売れなくなってきたのは消費で自己実現するような生き方が時代錯誤だという意識が芽生え始めてからではないか?自分のこだわる分野への選択的な消費も同様の流れだろう。

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© Herbie Yamaguchi

普段見過ごしがちな現象に気づかせてく れ、色々と考えるきっかけを与えてくれる、ヨーガン・シャドバークとハービー・山口の作品群。彼らは、1960年代~70年代の英国の写真作品を見せることで、現在の日本を考えて欲しいというメッセージを私たちに投げかけている。価値観の変動期はアーティストの存在がますます重要になるだろう。これからはアートが時代を引っ張るようになると思う。

ヨーガン・シャドバーク&ハービー・山口の写真展「Two in one in England」は、ブリッツ・ギャラリーで2月6日(土)まで開催中です。

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