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2010年5月11日 (火)

ソウル・フォト2010
韓国アート写真の現在

Blog1

ゴールデン・ウィークにはソウル・フォト2010に出展してきた。本当は現地の写真事情などを詳しく調べたかったのだが、朝11時から夜の8時まで展示ブース内での接客が忙しく、あまり情報収集に動き回れなかった。とりあえず、韓国のアート写真市場の大雑把な印象を書いてみたい。

市場をとりまく状況はかなり日本に近いという印象だった。富裕層は間違いなく存在するが、特に写真分野のコレクター層がまだ育っていないのだ。オーディエンスのレベルは日本の1990年代後半~2000年代前半くらいとほぼ同じなのではないだろうか。

欧米アート写真市場は約25年~35年くらいの歴史がある。70年~80年代に銀塩写真中心の市場が立ち上がった。オークションが定期開催されるようになり、ギャラリー店頭で多くの写真作品が売買されるようになる。やがて購入対象が、カラー作品、ドキュメンタリー、ファッションに広がっていった。 時間経過の中で戦後世代の写真作品がアートと認められる。その一連の流れの延長線上で現代アートと写真が出会うことになる。  日本では、80年代くらいまでは年長者の美術品収集家は写真にほとんど関心を示さなかった。それが他のアート作品との割安感からブランド写真家の作品が90年代に売れるようになる。洋書写真集が売れるようになり、その後に写真を本格的にコレクションする新しい層が徐々に育っていく。しかし、海外の有力作家がコレクションされる一方で、日本人写真家の市場はいまだに発達途上だ。

では韓国の状況はどうだろうか。現地の人によると、もともと絵画を買う人はいて、彼らが10年くらい前から写真を買うようになったという。しかし、それらは写真表現には違いがないが絵画の代替物として買われたようだ。写真の独自の歴史的背景はなく、一気に現代アート的な写真が登場してきた感じだ。この点はかなり日本と共通していると思う。立ち帰るべき原点や歴史伝統がないことから表現に制約が一切なく、作品はアヴァンギャルドだ。これは存在基盤が脆弱とも感じられるが、現状認識が出来て、理論構築が出来れば逆に特徴になり得ると思う。日本、韓国の両国でアート写真が社会に根付くための課題だろう。

韓国作家の表現は、多少なりとも銀塩写真の歴史を持つ日本以上に自由だと感じた。その前衛性は地元ギャラリーの作品を見れば一目同然で、絵画と同じように色彩が豊かで巨大作品が中心に展示されていた。グリーンやピンクのフレームには多少驚かされた。モチーフは多種多様。風景、花、静物からデジタル加工されデフォルメされた人物、動物も多かった。
立体的なレンティキュア作品、LEDを使用した作品も見られた。全体的なヴィジュアル・センス、プリント・クオリティーは日本と比べてやや劣っている印象。作品レベルにはかなりバラつきがみられ、アマチュアの写真を単に大きくしただけのような作品も散見できた。モノクロ写真の技術力はもともとあまり高くないそうで、最近のデジタル化進行でアナログ写真の質低下傾向は強まっているという。美しいプリントを見た経験が少ないことからクオリティーにこだわらない人が多いらしい。
小振りのモノクロ写真を展示していたのは、私ども以外では日本から参加していいたツァイト・フォトサロン、MEMなどしかなかった。しかし、ブックマットを依頼した現地業者は非常に手慣れた様子だった、仕事のミスはほとんどなかった。地元ギャラリーは単価が安い小振りな銀塩作品をあえてフェアーに展示しなかったのかもしれない。欧米で確立しているファイン・アート・フォトグラフス分野は現代アートの一つのカテゴリーとして存在している感じなのだろう。

ソウル・フォトは今年から国際的なイベントになった。しかし来場者はほとんどが地元の人、中国や欧米のコレクターはほとんどいないようだった。
フェアーで売れていたのは、韓国ギャラリーの作家が中心だった。上記のように絵画の代替物的な作品だ。やはり、ヴィジュアル、クオリティー的に優れた作品しか売れていなかった。作品テーマははどうかというと、言葉の問題で作家と話す機会はあまり多くはなかった。しかし、躁鬱病を持つ作家が自分の心が和むからと、何気ない毛糸を丸めたものを撮影して大きくしていたシリーズはかなり売れていた。儒教的な精神が強かった韓国でも、核家族で育った若者の中にはドライな人間関係を求める層も増加しているという。大家族的な伝統的な文化との軋轢があることは容易に想像できる。文化的背景が異なっても、心の癒しはグローバルなテーマなのだろう。

現時点では韓国内でブランドが確立していない外国人写真家はかなり不利だと感じた。ゲスト国スペインのギャラリーは実力のある中堅作家を展示していたが、作品が理解されないと不平を漏らしていた。大きなカラー作品を好むという地元事情を意識して現代アート系作品を持ち込んだ海外ギャラリーも苦戦していたようだ。親しみのない外国人作家よりも作品制作の背景がわかりやすい地元作家が有利なのだ。
しかし国際的な知名度が確立している作家は売れていた。やはり作家のブランドだろう。私どもでも、世界的に活躍しているマイケル・デウィックの大判作品には引き合いがあった。その他、ホルスト、リンドバークなどは価格の照会がかなりあった。ネット普及で有名作家の情報は世界のどこでも共有しやすい環境があるのだ。
ちなみにソウル市内の一等地にあるギャラリーでは、世界有数のブランドであるデミアン・ハーストの展覧会が開催されていた。

Blog2

日本人写真家の作品はおおむね地元客に高く評価されていた。日本のギャラリーのブースの展示作品は非常に洗練されているという意見が多かった。
彼らは展示作品の写真撮影を普通に行う。ただ記録するのではなく自分が気に行った写真を記念に撮影するようだ。彼らの行動を観察していると、日本人作家はかなり気はいっていた様子。人によっては作品の背景まで読み解こうとする人もいて、ナオキ、トミオ・セイケ、高橋和海、丸山晋一などについてはかなり質問を受けた。しかし、イメージや作品アイデアは好きだが、まだ写真自体を買うものという認識はなく、当然のこととしてその価格が適正なのかも判断できないのだ。これは日本もほぼ同じで、 違いはその中から購入したいという人が多少出てきたというレベル。韓国ではまだその割合が低いのだ。
写真集に対する関心は非常に高かった。写真集なら買いたいという段階なのかもしれない。持ち込んだトミオ・セイケの写真集は現地レベルでは決して安い金額ではないと思うが完売してしまった。また、持参しなかった丸山晋一の写真集「空書」を買いたいという人は何人もいた。このような状況は5年くらい前の日本とかなり重なってくる。

また地元の人に韓国人作家の作品をどのように感じるかも聞いてみた。面白いことに、私が文化の違いで理解不能と感じていたような作品を彼らも解らないと発言していた。つまり、韓国作家の表現にリアリティーを感じていない一般人も多いようなのだ。これは同じく日本でも起きている現象。理解できないものに誰もお金を払わない。もしかしたら、韓国でも一般の人が欲しいと思う作品が市場に提供されていないのかもしない。これについてはもう少し調べてみたいと思う。

Blog3

主催者からの正式発表はないが、観客動員数は非常に多かったと思う。隣で開催していたカメラ関係のフォト&イメージング見本市からアマチュア写真家が流れてきたこともあるだろう。東京で開催されるアート・フェアーと同様に、市場が発展途上の国では鑑賞目的の人が多数訪れる傾向があるようだ。一方、多額の売り上げを記録するニューヨークの・フォトグラフィー・ショーの入場者数合計は1万人にも満たない。アート先進国では見る目的の人は美術館へ、購入目的の人がアートフェアーに行く。だから、両者のビジネスモデルはかなり違うと感じた。
東京やソウルのフェアーは主催者売り上げに占める入場料比率がかなり多いのではないだろうか。ニューヨークのフェアーは元々ディラーが作品販売するために企画された。ギャラリー参加者の出店料はかなり高額。しかし、多くのコレクターが真剣に買いに来るプロ同時の場なので割にあうのだ。
アジアのアート・フェアーはアマチュア写真家中心の集客で多彩な作品を見るためのイベントになっている。コレクターは観客の中から次第に育っていくということだろう。ソウルの場合、市場が発展過程であることを主催者は考慮して出店料を低く抑えている。ブースのスペースが非常に広いので割安感はある。参加する側も、韓国の大手などはギャラリー紹介という広告宣伝的な効果を優先させていた印象が強かった、販売面では中長期的な視野に立っているのだろう。それに比べて、狭いブースで高額な参加料のアートフェアー東京などは単価の安い写真中心のギャラリーにかなり重い負担を強いている気がする。

さて韓国で写真作品を売るにはどうすればよいだろうか?アート写真市場は日本に非常に近い発展段階にある。今後は従来と違う、新しい世代のコレクターが育っていくと思われる。まずどの分野で勝負するかを絞り込む必要があるだろう。国際的な知名度が高く、既に資産価値のある作品には需要がありそうだ。プライマリーの場合、韓国人が伝統的に好むカラーで大きな作品か、新しい世代へ中間から小振りサイズの写真作品を紹介していくかだろう。テーマはどうだろうか。文化的な違いがあるものの、グローバル経済が進行する中で共感できるアイデア、コンセプトも存在するはずだ。そのようなテーマを追求している作家の作品は両国ともに受け入れられるはずだ。
どちらにしても作家のブランド構築が欠かせない。日本からただ持ってきて展示するだけではだめで、あらゆる機会を利用して、作品と作家のメッセージを継続的にアピールしていくことが必要だろう。
将来的に日韓のギャラリーが交流をはかり、共通の市場を見つけだせれば素晴らしいと思う。アート・フェアーは異なる文化がコミュニケーションを開始する重要な機会になるだろう。

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