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2010年7月27日 (火)

メイキング・ギャラリー・スペース
広尾にアート写真の情報発信拠点がオープン

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7月30日にグランド・オープンするインスタイル・フォトグラフィー・センター(IPC)の内装と展示がほぼ完成した。全体が約52.5坪あるスペースにギャラリー空間を設置。 折りたたみ式のパーテーションで二つのギャラリーに分けることができる。
グランド・オープンのハービー・山口「街角の天使たち」展では全体スペースを使い約65点の作品を展示する。同展は、7月29日(金)~9月12日(日)まで開催。入場料300円、オープンは金、土、日、営業時間は1時から6時(金曜は7時まで)となる。

それ以降の予定は、9月下旬に押田隆好の「Phase dance(新古典主義)」、10月は6人の日本人写真家のグループ展「Imperfect Vision(ポジティブな侘びの視点)」を開催する。
会場オープンとともにアーティストを目指す人向けの11月以降の会場レンタル募集を開始する予定。使用規定はほぼ完成したのでIPCのウェブサイトで近日中に公開予定。肝心の使用料金だが、2つのスペースともに2週間単位の貸し出しで各約13万円を予定している。ただし、アート作品の条件を満たしているかの審査も行う。アート写真普及を目指す為のスペースなので、利用方法は写真展だけに限らない。現在、小規模でシンプルなアート・フェアー、アート・コレクターのコレクション展なども開催候補になっている。アイデアを持っている人の相談は大歓迎だ。新しいタイプのアート写真の情報発信拠点になればよいと考えている。

IPCおよび運営するアート・フォトグラフィー・アソシエーツ・ジャパンの良いところは、NPOであるがゆえに経営上の焦りがあまりないところだと思う。現在は、不況なのでギャラリーも写真家もあまり余裕がない。時間をかけないで作品を高く売ろうとする気持ちが強くなりがちだ。一部のアート・フェアーでは、写真史で知られる有名作家の作品よりも、全く知名度がない日本人写真家の大きい作品の方が高額であるような奇妙な現象が散見される。高額な出店料、運営経費などを考えたら気持ちはわからないでもない。
しかし、欧米では約35年かかってプライマリー市場が拡大し次第に価格が上昇してきた。その時間の積み重ねが背景に厚みのあるセカンダリ・マーケットが育ってきたのだ。日本でも、まずギャラリーの店頭で幅広い作家の作品が、低価格から売り出される状況が生まれないといけない。そして個展の回数を重ねて、市場での高い評価を得た作家の作品は上昇するのだ。作家活動の積み重ねで作品の値段を決まるのだ。低価格だと、作家もギャラリーもあまりもうからない。しかし、その過程なしでいきなり数十万円の価格で作品が売れ続けることなどありえない。
アートはバーゲンセールがないので、一度値段設定をまちがえるとその作家のポートフォリオを死蔵させてしまうことにもなりかねない。市場を拡大させるには、まず最初の段階では関係者がやせ我慢しながら優れた作品を供給する努力が必要不可欠。IPCは低価格で写真展会場を提供することで市場拡大のお手伝いを多少でもしたいと考えているのだ。

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2010年7月20日 (火)

何でライアン・マッギンレーはすごいのか?
「Photography After Frank」から読み解く

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ライアン・マッギンレー(1977-)が米国では絶賛されていることは知っていた。わずか24歳で、ホイットニー美術館で個展、翌年にはMoMA P.S.1で新作展示するなどまさに写真界の若きスーパースターだ。日本でも、雑誌などで海外の若き人気写真家として紹介されている。
マッギンレーを絶賛する数人の広告写真家に、どこが良いのかと聞いたことがある。旅行しながら撮影しているところがよい感じ、というような抽象的な返事しか返ってこなかった。日本人は農耕民族なので、移動への憧れがDNAに刷り込まれている。彼のそんな撮影スタイルが日本人の感覚に訴えかけているのかという印象も持った。
しかし、アメリカでは、「いい感じ」のイメージだけでなく、見る人を引き付ける写真家の視点が明確に提示されなければ評価されない。何でマッギンレーが評価されているのか?この点がずっとわからなかった。

その疑問が写真解説書「Photography After Frank」(Aperture、2009年刊)に収録されていた、彼に関するエッセー、「A Young Man With an Eye, and Friends Up a Tree」を読んで氷解した。著者のPhilip Gefter氏は米国人の写真評論家、ニューヨークタイムズで約15年間勤めて写真エディターとして活躍した人。2003年から写真関係のエッセーを同紙に書いていた。同書は彼がニューヨークタイムズやアパチャーなどに寄稿したエッセーを1冊にまとめたものだ。
米国では、写真を含むアートを見る視点がこのように一般紙で普通に紹介されているのだ。最近は写真もコンセプト重視の現代アートの一分野のようになっている。作品を読み解くナビゲーターとしての評論家が重要な役割を果たすのだ。新進作家が出てくれば、その評価軸を専門家が解説し、オーディエンスはギャラリーや美術館で作品を体験する。評論家はアート写真でのシステムの一部のようなもの。日本で一番遅れている分野でもある。

本書掲載のインタビューでマッギンレーは自分の基本的なスタンスを以下のように語っている。
「私はこの仕事に全てを捧げている。他人の期待など関係ない、すべて自分のための作品を作っている。自分が見たい写真を撮影している。私はいままでにない写真を制作している」
まず、同書に書かれている内容を基に彼のキャリアを簡単に要約しておこう。
マッギンレーはパーソンズ・スクールオブ・デザインでグラフィック・デザインを学んでいる時から写真撮影に魅了される。グリニッジ・ヴィレッジに友人と同居していた1998年から2003年には、 全ての訪問者をポラロイドで撮影。被写体の名前、日時を記載したポラロイドで部屋中を埋め尽くしたらしい。
初期のマッギンレーはマンハッタン下町に住む友人たちライフスタイルの写真で知られている。生き急ぐかのように、常に動き回っているスケートボーダー、ミュージシャン、グラフィティー・アーティスト、ゲイなどの若者が彼の被写体。昼間は、走り回り、スケートボードに興じ、夜はパーティー、ドラッグに明け暮れる彼らの日々をドキュメントしている。それらの動きのあるヴィジュアルが彼の写真の特徴なのだ。当時は、写真のためにパーティーに出かけていたそうだ。
2000年、まだ学生だったマッキンレイは、「The kids Are All Right」という手作りの写真展を建築中のビルの空きスペースで行う。そして、学んでいたグラフィック・デザインの才能を生かして自費出版の写真集を制作。 50冊を20ドルで販売するとともに、50冊を尊敬する写真家、編集者に送っている。自分のことをまだ誰も知らないから、本を送ったとのことだ。
ここからマッギンレーの嘘のようなサクセス・ストーリーが始まる。インデックス・マガジンが興味をしめし、ポートレートの写真を彼に依頼。そして「The kids Are All Right」はホイットニー美術館のウォルフ氏の目に留まることになる。2002年には、写真集「Ryan McGinley」をインデックスから出版。そして2003年にホイットニー美術館での個展となる。

ホイットニー美術館はマッギンレーの何を評価したのだろうか?同館元キュレーターのシルヴィア・ウォルフ氏は以下のように彼を語っている。「(マッギンレーの作品では)被写体が写真を撮られるという意味を知っている。彼らは、カメラの前で演じており、それを通して自らの存在を探求しようとしている。彼らはヴィジュアル文化の意味を心得ていて、それらを通してコミュニケーションが生まれるとともに、アイデンティティーが作られることを自覚している。つまり写真家と被写体がコラボしている。」
どうもキュレーターはテクノロジーに精通した若者世代を代表する作品だと見抜いたようだ。またグラフィック・デザインのバックグランドがマッギンレーと他の作家との明確な違いだったという。
彼の作品は、ユーチューブのように、多くの人が見てくれることを意識した個人的なヴィジュアル・ダイアリーの登場を予感させる。のぞき見的、告白的なイメージは彼の世代を代表する表現だとも評価。
あまたある、個人のブログや写真日記との違いは、彼の厳格な、作家としての作品と向上心という。アメリカの美術館キュレーターは常に社会の流れを意識していて、時代を代表する才能を探し求めている。21世紀のアート、特に写真表現は同時代に生きる人がリアリティーを感じることが求められる。その代表者としてマッギンレーを評価したのだ。しかし、キュレーターの目利きは必ずしもオーディエンスの持つリアリティーとは重ならない。まして、上記のウォルフ氏の見立ては一般レベルにはやや難解だ。

それではマッギンレーの何が多くの人々を魅了したのだろうか?
初期作品が美術館キュレーターの目にとまってデビューを果たしたのだが、私はマッギンレーのその後の作品展開が多くの人に受け入れられたのだと思う。実は、彼の作品はホイットニー後に大きく変化しているのだ。このあたりの状況も、「Photography After Frank」にエピソードが紹介されている。彼は、2003年に郊外のヴァーモントに家を借り、ニューヨークからクラブなどで知り合った仲間たちを招待して日々をともにしている。彼らをモデルにして、様々な状況で撮影を行っている。最初は従来と同じドキュメンタリーだったが、次第にシャッターチャンスが来るのを待てなくなり、映画のように自分で撮影をディレクトするようになるのだ。その後、彼は8人の友人たちと大陸横断のドライブ旅行に出る。これはアシスタントも2名同行する撮影旅行なのだ。事前に撮影に適したセッティングを調査し、モデルにも資料を見せて自分の望む動作をイメージさせている。一日に20~30本のフィルム分を撮影しアシスタントがその過程を記録していったそうだ。
撮影するモデルグループは頻繁に入れ替えられ、マッギンレーは、全てのモデルに、ギャラ、食費、交通費を支払ったそうだ。3か月の撮影旅行で何と約10万ドルの経費がかかったらしい。何か自由裁量を与えられた上でブルース・ウェーバーが行うファッション写真の撮影のような感じだ。

それでは、このプロジェクトで彼は何を伝えようとしているのだろうか?マッギンレーの以下の発言がPhilip Gefter氏のエッセーのまとめになっている。
「私の写真は人生を謳歌するもので、その喜びで、美しさだ。しかし実際の世界にはそれらは存在しない。私が生きていたいと思う、本当に自由で、ルールがない、つまりファンタジーの世界なのだ。」
彼が初期インタビューで語っていた、「いままでにない写真」とはこのことだったのだ。

アメリカは自由で夢と希望の国と言われていた。しかし、「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤 未果著、岩波新書2008年刊)を読むとわかるように、最近は中流の人たちでさえ没落し社会の二極化が進行しているという。マッギンレーは、自分が非常にアメリカンな環境に育ったと語っている。彼はニュージャージー出身。その幼少時代、都市部で暮らす中間層にはまだ古き良きアメリカの伝統的なライフスタイルが存在したのだと思う。彼が大人になるにつれて郊外から都市部も巻き込んで深刻な社会問題が起きていく。マッギンレーの一連の作品はかつてのアメリカンライフへの憧れが詰め込まれているが、いまのアメリカにはそのような世界は存在しない。だからこそ、いま自信を失いがちで昔を懐かしむアメリカ人の心をつかんだのだ。アメリカの夢と希望の挫折を彼は逆説的に表現しているとも言えるだろう。同じアメリカ人作家のマイケル・デウィックがロングアイランドで取り組んだ、「The End: Montauk」と重なる部分があると思う。ムラ社会のメンタリティーが残る日本社会にとっても、自由のアメリカン・イメージはあこがれの対象だ。特に中高年が好む雰囲気を持った写真だと思う。

感覚重視で写真を撮影しているような印象が強いマッギンレーだが、実は明快な作品コンセプトを持った作家なのだ。また彼はやや意外だが写真史も明確に意識している。2005年のスタジオ・ヴォイス誌には、彼が2000冊以上のレアな写真集をコレクションしていることが紹介されている。オリジナルであることのベースは過去の写真家たちの仕事(写真集)の延長上にあることを理解しているのだ。掲載インタビューでは、写真を撮っていく上で、何を目指しているかの質問に対して、「写真の歴史に少しでも貢献できればと思っている」と答えている。若き写真界の成功者はただのラッキー・ボーイではないようだ。確固な考えを持った写真史の流れを受け継ぐ正統派ともいえる写真家なのだ。

今回ご紹介した"Photography After Frank"は、以下で詳しく紹介しています。

http://www.artphoto-site.com/b_568.html

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2010年7月13日 (火)

アート写真作家のキャリア形成
あなた作品制作を30年間続けられますか?

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将棋の羽生善治氏は、「才能とは、同じ情熱、気力、モーチベーションを持続することである。以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、10年とか20年、30年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている」と、自らの著書「決断力」(2005年、角川書店)で語っている。これは、まさにアート写真の作家を目指す人にも当てはまることだと思う。

今の日本には、10年以上に渡って作家活動を継続している人は非常に少ない。キャリア初期に高い志を持って優れたポートフォリオを制作する人はいる。しかし、現実は厳しい。数回の写真展開催くらいでは周りの世界は大きくは変わらない。 最初に熱い思いを持つ人ほど理想と現実のギャップに心が折れてしまうようだ。
これは作家キャリアのどのステージに自分がいるか、明確に把握できてないことが原因ではないかと思う。アマチュアから作家デビューまでのキャリアはだいたい3つのステージに分けられる。自分がどの段階にいるかを明確に知っといれば、そこでのやるべき目標はおのずと明確になる。活動継続には複数のテーマを常に追う姿勢と、短期、中期、長期の具体的な目標設定が重要。それが明確でないと忙しい日常生活に流されてしまう。

まずキャリアの第1ステージ。趣味の写真なら自己満足でよいが、アートとしての写真は、作品が自分の満足とともに、見る人の満足と重なることが必要だ。まず取り組んでほしいのが、自分の伝えたいメッセージがオーディエンスに伝わっているかの検証作業。最初は、自分の想像している通りの反応が見る側からは返ってこないものだ。具体的には個展などを開催して、生の情報に接して行うことになる。この段階では個展はキャリア上の到達点ではない。見る人とのコミュニケーションが出来ているかの確認を行い、悪い点を改善して自作にフィードバックさせる場なのだ。どれだけ見る側から有効な情報を入手できるか、写真家のアイデアが求められる。また感覚や感性のみを優先して制作された作品は見る側からの共感が生まれにくい。ここでは注意が必要だろう。
前回に紹介した、7月末にグランド・オープンするインスタイル・フォトグラフィー・センター(IPC)はそのような作家志望者を支援する目標で設立されている。自分の作品が一人よがりなのか、他の人とつながっているかの検証の場にして欲しい。

写真展現場での情報収集と反省の繰り返しを通して作品の完成度が高まっていく。この段階を経た作品は、もはや自己満足の写真ではなくなっている。次の第2ステージで取り組むのは作品の営業活動。国内外の商業ギャラリーへのアプローチ、写真集化の可能性探求などだ。より広い世界に自分のレベルアップした作品をぶつけていくステージだ。自分の伝えたいメッセージが明確で、人並み以上のビジュアル・センスがあればここまで来るのは決して難しくない。アート業界は常に新しい才能を探しているので継続すればチャンスは必ず訪れる。
そしてキャリアの第3ステージでは、はれて商業ギャラリーの取り扱い作家となって市場にデビューすることになる。実は本当の勝負はここから始まる。それ以降は作家間の長くて厳しい競争に生き残らないといけない。目標は最低でも10年で3回程度の個展開催。羽生善治氏が語っている、同じ情熱、気力、モーチベーションの持続が真に求められるようになるのだ。

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2010年7月 6日 (火)

新しいスペースが7月末にオープン!
アート写真の情報発信拠点となるか

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(C)Herbie Yamaguchi

7月下旬に東京広尾に新しいアート写真を展示するスペースのインスタイル・フォトグラフィー・センター(以下、IPC)が誕生する。運営は非営利団体のアート・フォトグラフィー・アソシエイツ・ジャパン(以下、APAJ)が行う。設立発起人S氏のアート写真への熱いパッションに心動かされ、私もボランティアの一人として運営に協力することとなった。

このスペースの特徴は優れたアート写真を見たい人、コレクションしたい人の視点で運営されることだ。日本には様々な写真が氾濫している。思い浮かぶだけでもアマチュア写真、広告写真、インテリア用写真、グラフィック・デザイン系写真、アート写真などがある。写真を展示するギャラリーも様々な種類が乱立している。
つまり、日本にはあまりにも様々な価値観の写真が混在していて、その評価軸が一般人には解り難い状況なのだ。
いざ写真作品を買おうと思っても、欧米のように一貫した基準で値付けが行われていない。アート・フェアーでは、写真史で名前が知られた人よりもキャリアの浅い写真家の作品の方が高額であるという光景も見られる。いくら富裕層でも統一した評価基準が不明で、価格の正当性が判断できないものにお金を使わないだろう。
したがって日本では売れる写真が偏っている。フレーム付きの低価格帯の写真は売れている。また、ブランドが確立して国際的に資産価値が認知された写真家の作品もコレクターの需要がある。しかし、その間の価格帯の作品が上記の理由から売れないのだ。実は欧米では一番大きな需要がある市場なのだ。

IPCの基本構想は、アート写真の要件を満たし、適正価格が付けられた新進作家の作品を、出来るだけ多く市場に紹介していくこと。将来的に、中から優れた作家が一人でも育っていけば良いといったスタンスだ。
具体的には、APAJは、優れたアート写真を制作している人にIPCのスペースを低コストで提供することで活動支援を行う。運営面では、アート写真としての要件を満たしていることを条件として、その審査を行う予定だ。単なる写真発表の場ではなく、写真を通してメッセージを世に問う場として機能することを想定している。
審査といっても、作品が良い悪いの判断は最終的にオーディエンスに委ねるようにする。多種多様な写真表現の中でアート作品としての必要十分条件を満たしているかどうかを仕分けるイメージだ。非営利団体が運営するので、質の高い写真のみを選んで紹介できることが特徴だ。
企画の持ち込みは写真家だけに限らない。優れた写真展のアイデアを持つキュレーターやギャラリスト志望者にも低コストで会場を提供する予定だ。志の高い企画は概して商業的な採算が厳しいものだ。そのような企画の実現に協力する。
中間価格帯の市場育成を目的とするので、当然展示作品は値段をつけて販売も行う。値段設定も写真家のキャリア等を考慮したうえで、欧米の基準を参考に客観的アドバイスを行う予定にしている。

新しいスペースなので最初は知名度の浸透が必要となる。ちょうどハービー・山口氏がIPC設立の趣旨に賛同し、作品を提供してくれることになった。グランド・オープン企画はハービー・山口写真展「街角の天使たち」に決定した。彼のロンドン時代から現在までの約35年のキャリアの中で、女性を撮影したイメージのみをセレクションしてもらった。彼が心が美しいと感じて撮影した女性は、若い女の子だけでなく、様々な年齢、国籍、職業などにおよぶ。全てモノクロ作品約65点を展示する予定だ。
非営利団体の運営なので利益を追求しないことはもちろんだが、写真展には多額の開催経費がかかる。誠に申し訳ないが入場者には300円をご負担いただくことになる。
写真展は7月30日~9月12日(日)まで開催。今回は週末の金、土、日だけのオープンとなる。
期間中には、ハービーズ・カフェ、ポートフォリオ・レビューなどを開催予定。
詳細は以下をご覧ください。
http://www.instylephotocenter.com/index.html

なお、IPCでは近日中に11月以降の会場レンタル希望者の募集を開始予定。出来るだけ早く説明会を開催します。

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