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2011年1月25日 (火)

アート写真鑑賞方
感動との出会いを求めて

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目黒のインテリア・ストリート近くに移転してきてから10年を超えた。
最近はギャラリーの写真展に来る人が多様になってきた印象がある。以前は圧倒的に写真関係者が多かった。カメラマン、アシスタント、デザイナー、学生、カメラ趣味の人などだ。それが最近は、美術館などの展覧会に行くような一般の人がギャラリーにも来てくれるようになった。企画によっては、週末に50名超える来廊者がある。なかには写真を買ってみたいとお客様の方から声をかけてくれることもある。

ギャラリーにいるときは来廊者の動きを観察している。時間があれば鑑賞の手ほどきをするようにしているが、来客数が多いとなかなか対応しきれない。最近は定期的にフロア・レクチャーを開催している。
私たちは作品を売る商業ギャラリーなので、鑑賞目的の人は相手にしないと思われがちだ。しかし顧客が作品に心が動かされ、作家の視点を理解しない限り販売にはつながらない。来廊者が写真展に感動し楽しんでくれることは非常に重要なのだ。そのような人が将来のコレクターに育っていく。

作品を鑑賞する時、まず心で感じるべきか、頭で理解感すべきかは議論が別れるところだろう。脳科学では、人間は心、つまり感情で良い悪いの判断をしているという。これを写真に置き換えると、いくらコンセプトやイメージが優れていても感情が反応しない作品は良くないということだ。アート写真を鑑賞する時、まずは何も情報なしで見ることをすすめている。そして、自分の感情に何か訴えるものがあるなら、作家やキュレーターのメッセージを読んでみればよい。何かを感じた作品は、視点の明確化とともに更に気に入る可能性がある。しかし、何も感じない写真は文章を読んでもあまり興味は湧きあがらないだろう。
現代アート系の写真作品を制作する若手の中にはこの点を勘違いしている人が多い。自分が良いと考えるテーマが人の心をとらえると思い込んでしまうのだ。感動が希薄なアイデア中心の写真作品は壁紙と同じになってしまうリスクが伴う。同じように、写真イメージやプリント・クオリティーだけの作品も、ただきれいな高品位印刷のポスターと同じようになってしまうかもしれない。

さて以上を意識して能動的に写真展を鑑賞しても作品の評価軸が見えてこない場合があるかもしれない。特に最近は写真作品でもアイデアやコンセプト重視の現代アートの一部となっている。 見る側の考える力、ある程度の情報量も作品理解には必要なのだ。作品のオリジナリティーは写真史とのつながりで語られることも多い。歴史を勉強しないと、評価の前提の知識不足から作品が理解できないこともあるのだ。1冊の本の価値を知るためには、それ以前の知識の蓄積が不可欠なのと同じことだろう。

実はここがアート鑑賞の面白さでもある。つまりアート体験を重ね、知識を増やすほどにその価値が分かるようになるということ。最初は気付かなかった視点が発見でき、より広い考え方が出来るようになる。アート経験を通じて人間として成長できるのだ。それは自分なりの作品評価の基準が持てること。作品価格の正当性が判断できるようになるのだ。アート鑑賞は、一生をかけて楽しむことができる高度な知的遊戯なのだ。

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2011年1月18日 (火)

写真をどこで売るか?
多様化する販売チャンネル

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プロ、アマチュアでも写真を売りたい人は多いと思う。しかし販売経験のない人は、どこでどのようにして売ればよいか分からないことが多いだろう。ワークショップや講演会ではこの手の質問を非常に多く受ける。今回はどのように販売チャンネルを見つけるか簡単にアドバイスをしてみたい。

まず思い浮かぶのは顧客に直接販売する方法だろう。現在はほとんどの人が簡単にウェブサイトを持つことが出来る。ネットを通じて直接顧客に販売できれば中間業者に手数料を払わなくてもよいことになる。一番効率的のように感じられるだろう。
しかし、ウェブサイトの大衆化は集客が難しいということでもある。かつての電話のようなものだ。電話帳に番号が記載されていてもビジネスにつながらないように、サイトがあるだけでは販売はおろか集客も難しいのが実情だ。
それゆえ多少費用がかかるが専門のオンライン・ギャラリーで作品を公開して販売するのが実際的だろう。しかし世界中にはオンラインギャラリーが数多くある。そのほとんどは、販売を謳っているものの、実は参加者を多く集めてその手数料で利益をあげる仕組みなのだ。本気で売りたいなら、腕試しだと思って審査があるサイトに挑戦してほしい。審査がないものは手数料依存のビジネスモデルのサイトの可能性が高い。実は作品審査には経費と時間がかかる。非常に労力の多い面倒な仕事なのだ。それをあえて行うところは真剣に顧客に良い写真を提供しようと考えている。

では作品販売を専門家に委ねる場合はどうだろう。販売業者は大きくはアートとして写真を扱う商業ギャラリーと、商品として扱うところに区別できるだろう。しかし、その違いはかなり分かり難い。インテリア・ショップやレンタル・ギャラリーでも時たま企画展を開催する。商業ギャラリーのなかにも、グラフィックやデザイン重視の作品をアートとして販売するところもある。企画ごとに展示趣旨が異なる場合も珍しくない。
だいたいの目安だが、インテリアやデザインとアートとの融合というようなことをキャッチコピーにしている業者は写真を取り扱い商品の一部として考えている。一方、継続的に一定レベルの企画展を開催しているギャラリーはアート系と考えて良いだろう。

どの種類の業者に自分の作品を委ねるかは写真家の制作スタンスによる。収入目的で販売を考えるのなら、商品として扱っている業者がよいだろう。それらのギャラリーやショップはデパート内、ショッピングモール内、都心一等地など立地の良いところにある場合が多い。ただし、イメージ中心で販売するので作品価格は安めになってしまう。また写真家の取り分が少ないことも多い。 ある程度の収入を得るためには巧みなマーケティングを行い薄利多売の実現が必要になる。また個別性が強いアートと違い、均一の商品として販売されるので品質の高さと一貫性が強く求められる。コレクターではなく一般消費者に販売されるということだ。写真家は商品の納品業者という弱い立場であることも特徴だ。最近は、欧米同様にインテリア向けの写真を集めたフェアも開催されるようになってきた。

もし、自分が写真を通して世の中に伝えたいメッセージがあるならば、アート系ギャラリーやディーラーを選んで欲しい。これらの業者は写真家のメッセージというソフトを写真を通じて伝えようとしている。作家のキャリア形成とともに長期的なブランド構築を目指している。ただし収入的にはかなり厳しい。最初は新人作家の低めの相場で販売することになるので、制作費で赤字になることも多い。しかし作家のブランド力向上とともに作品価格も上昇する。グローバルに認められる可能性もある。写真家だがアーティストととしてリスペクトされるようにもなる。ただし継続には強いパッションが必要不可欠だ。
またギャラリーの中には作品販売よりもプロモーションや展示自体を重視するところもある。ステータス・アップを求める写真家にはこの手の業者が向いているだろう。

昨年、JPADSというアート写真を扱うギャラリーのグループを設立させた。これには写真を売りたいと考える人の販売業者探しの指針になればという思いもある。欧米では、どこの組織の一員かによってギャラリーやディーラーのスタンスが明確なのだ。実はまだJPADSメンバー内でも考え方が様々だ。活動の継続を通じて日本の写真市場での販売業者の緩やかな棲み分けが出来ればよいと考えている。また商業ギャラリーに作品を持ち込む時は、大まかなプレゼンのスタンダードが決まっている。残念ながらまだ知らない新人写真家も多いようだ。今後はワークショップなどを通してこれらの啓蒙活動も行いたい。

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2011年1月11日 (火)

パワー・スポットの写真展
小林伸幸「Nature Feel」

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(C)Nobuyuki Kobayashi

木々の深い緑に囲まれた神社を訪れると、なぜか身が引き締まるような感じをしたことが誰でもあるだろう。日常生活の喧騒から離れ、凛とした空気の中でなぜか心が落ち着き、癒された気分になっていく。
「八百万の神(やおよろずのかみ)」という言葉がある。日本人は古来から、太陽、山、草木、海、川、岩石などの自然に神が宿ると信じてきた。その土地の神を祀る場所が神社の原型なのだ。明治以降はそのような自然に神を見出す精神は急激に衰退していく。キリスト教では自然は神が創造したものととらえている。工業化の進行とともに、自然を人間がコントロールする西欧合理主義的な考えが支配的になっていく。
しかし、私たち日本人の記憶のどこかにはかつての精神のなごりが残っている。だから、神社などに行くと精神が洗われたような清々しい印象を持つのだ。また、各地で愛でられている、ゆるキャラや、鉄腕アトム、ドラえもんなどのロボットに親しみを感じるメンタリティーは、全てのものに神がやどるという考えがベースにある。神を感じるというと、やや違和感を感じる人も多いかもしれない。しかし、昨今はやりのパワー・スポットを愛でるような意味と解釈すればしっくりくるのではないか。

いまなぜ自然に神やパワーを感じる精神なのだろうか?もちろん、生活に疲れた現代人が癒しを求めていることもあるだろう。実は自然崇拝の精神が経済成長と環境保全を両立させる知恵として注目されているのだ。西欧的な近代工業文明の問題点は資源の一方的な消費と環境に与えるダメージにあると言われている。昨今の世界的な異常気象のように地球環境のバランスは大きく崩れてきた。その対処法として、自然と共存するという考え方の可能性がフォーカスされているのだ。

小林の作品を見ると日本はまだまだ自然豊かな国であることがわかる。環境が保存されている神社だけではない、21世紀日本に残る風景の中にも神を感じるような美しい草木、水の流れ、巨石のある自然環境が残っているのだ。その場所は生命の源でもある。私たちは、原初の記憶のなごりを感じるのだ。自然の中にあるパワー・スポットの原点でもあるのだろう。都市部のスーパー・フラットだけが日本の風景ではないのだ。
かつて杉本博司は、名作「Seascapes」シリーズの空と海の写真作品で、太古の昔と変わらない、そして未来も同じであろう時間の流れを表現した。同じようなスタンスで、小林はいま古代人が神を感じた風景を撮影しているのではないか。そして、未来の日本人が見る風景として残っていて欲しいとも願っているのだろう。
全作品は、個性的な質感と色合いを持つ伝統的な和紙と、19世紀の古典的手法プラチナ・パラディウム・プリントにより制作されている。写っているのは、今なのか過去なのか不思議な感覚が去来する。作品の風合いが観客の持つ時間軸を揺さぶるのだ。商業写真家が作品制作する時に、大型カメラで撮影してプラチナプリントで制作することは少なくない。しかし、撮影アプローチとプリント制作自体が目的化してしまい、見る側が作品にリアリティーを感じない場合が多い。本作の場合、プラチナ・プリントと作品コンセプトとは深く関わっているのだ。

彼の作品は一種の風景写真なのだが、その距離感覚が興味深い。 ステレオタイプの風景写真は雄大な自然を撮影しているが、彼は風景をスナップしている。ドラマチックとはかけ離れた、何気ないシーンだ。理想化された雄大な風景ではない、普通の中にある神やパワーを感じるシーンを見つけている。それゆえ撮影場所は重要ではないのだろう。特定地域のドキュメントではなく、一種のフィクションなのだ。ジョン・ゴセージの写真に近い視点を感じる。

都会生活者は気軽に神社や自然の中に身を置くことは難しいだろう。小林の作品を通して古代人が感じたであろう森羅万象に宿る神がみに心をはせて欲しい。一人ひとりの自然を敬う気持ちの意識化が環境保護の原点になるのだ。
本展は視点を変えると作家が発見した日本中の知られざるパワースポットを展示する写真展でもある。パワースポットについての解釈は様々あるので考えを強制することはしない。しかし、個人的には自然のリズムと一体化することは何らかの癒し効果はあると思う。
幸運をもたらす写真展のような、トンデモ説を唱える気はまったくない。しかし、来廊者が少しでも心が洗われるように感じてもらえれば幸いだ。

小林伸幸写真展「Nature Feel」の開催情報はこちらをご覧ください。

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