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2011年7月26日 (火)

トミオ・セイケ「Charleston Farmhouse」展
戦前英国のアーティストたちの生き方に学ぶ

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(C) Tomio Seike

アーティストにとって作品のテーマ探しは永遠の課題だろう。大きな物語がなくなった21世紀の世の中では多くの人が共有する視点は存在しない。様々な価値観が点在しており、その中でのテーマの絞り込みは困難極まりないと思う。 しかし、あまり大きなテーマを追い求めてしまうと視点が散漫になる。場合によっては写真家のエゴの押し付けになりかねないので注意が必要だ。

現在の日本の大きな問題点は、社会の変化を恐れる気分が強くなっていることだろう。 その背景には、終身雇用の終焉による労働市場の流動化と、長引く不況により自分の将来に不安定に感じる人が増加していることがあると思う。結果的に、周りを見渡してみると既得権益が以前から変わらずに温存されている。何度か個人がもう少し自由に生きられる社会が来るような予感を感じた時期もあった。しかし、その前提には経済成長があったことが明らかになった。実力があれば学歴など関係ないなどと言われたが、いまでも有名大学から一流企業や政府公共機関に入る方が生活が安定する。だだし、経済のグローバル化などの環境変化で従来の既得権益を享受できる人の数は減少し、そこに入る競争は激化している。就職難と言われるが、大学生が増えてみんなが有名企業に就職しようとするから起きているそうだ。全体的には多くの人の所得が減少しているわけで、個人の置かれた状況は真綿で締められているように徐々に悪化している。そんな諦めのような沈滞感が社会全体を覆っている。存在が不安定で未来に希望が持てないから国に活力なんて感じられない。当たり前だろう。

アーティストはこのような状況からどのようなテーマを導き出せるだろうか?
9月2日から開催する、トミオ・セイケの新作「チャールストン・ファームハウス」は現在の日本の閉塞感を打開するヒントを戦前英国のブルムズベリー・グループの活動に見出した。
歴史的背景を簡単に見てみよう。産業革命を成功させた英国は19世紀の末までいわゆる「世界の工場」といわれて世界経済をリードしてきた。それが、当時の新興国のアメリカやドイツに追い上げられて、第1次大戦後には世界経済のリーダーをアメリカに奪われるのだ。高度経済成長を謳歌してきた日本が衰退していった状況と見事に重なってくる。
ブルムズベリー・グループとは、1905年から第二次世界大戦期まで存在した英国の芸術家、知識人、学者からなるグループ。19世紀の古い道徳観念に批判的で、新時代にふさわしい自由な文化を探求しようとした。ロンドンのブルームズベリー地区でのケンブリッジ大学の友人の集まりがはじまりで、第一次大戦の開始後、同グループの多くの参加者は、当人の良心に基づく信念で兵役を拒否する「良心的兵役拒否者」の立場をとり、農家に従事するためにイースト・サセックスに移住したのだ。メンバーには、経済学者ジョン・メイナード・ケインズ、作家ヴァージニア・ウルフ、画家ダンカン・グラント、画家ヴァネッサ・ベル、伝記作家リットン・ストレイチー、美術評論家・画家ロジャー・フライ、作家デイヴィッド・ガーネット、作家E・M・フォースターなどがいる。
今回、セイケが撮影したチャールストン・ファームハウスは、アーティストのダンカン・グラントとヴァネッサ・ベルが1916年から約半世紀以上に渡り生活していた農家なのだ。この家は二人が生活していたままの状態で保存され一般公開されているが内部撮影は厳しく制限されているという。セイケは特別に許可を得て2008年から2009年にかけて撮影を行っている。室内には花瓶などの陶器、置物、小物類が残されている。それらコレクション類と、彼らの手による壁などのデコレーションとが相まって、インテリアは意外にも南欧的テイストにコーディネートされているのだ。

現在の日本は、失われた20年に続く今回の大震災の影響で、ライフスタイルの選択肢がとても少なくなっている。将来の明るいヴィジョンが描き難い状況は、もしかしたらヴァージニア・ウルフとヴァネッサ・ベル姉妹が生きた時代に似ているかもしれない、というのがセイケの見立てではないだろうか。彼らが変えようとした19世紀の古い道徳観念は、日本社会に残る「世間」とそれが形を変えた「空気」に当てはまるのではないか。本作でセイケは、社会の趨勢に背を向けてチャールストン・ファームハウスで創造的なライフスタイルを追求した人たちの精神を提示している。作品を通して現在の日本を考えるきっかけにして欲しいというセイケのメッセージなのだろう。厳しい社会、経済状況の中でも、個人が少しばかり強くなり、また同じ志を持った仲間がいれば、自由に自分らしく生きる選択肢が見つかるかもしれないことを私たちに示しているのではないか。

トミオ・セイケ「Charleston Farmhouse」展は、9月2日(金)スタート!
営業時間は1時~6時、日、月休廊。
震災以降、ブリッツはチャリティー写真展やフォトブック関連の展示を行ってきました。9月からは通常モードで営業を行います。(節電対策もあり、営業時間は引き続き18時までです。)
なお8月は、5日~7日に名古屋開催される、アート・ナゴヤ(会場:ウェスティンナゴヤキャッスル)に参加します。マイケル・デウイックの新作などを展示する予定です。中部圏にお住まいのアート写真ファンはぜひお立ち寄りください!

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2011年7月19日 (火)

まず写真集からは始めよう!
アート写真コレクションへの誘い

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先週末に、I.P.C.のサマーレクチャーで写真集コレクションについて話をした。猛暑の中、10名余の熱心な人が来てくれた。参加者の皆さん本当にありがとうございました。
実は、写真集関係のレクチャーはずっと温めていた企画だ。アート写真と同様に、写真集を買ってみたいがその入り口が分からないという声が多くずっと気になっていた。 しかし、レクチャーの新プログラム構築にはとてつもない時間がかかるのでなかなか実現できなかった。

写真集といっても実は様々な種類がある。その中で作家の視点が明確に構築されており、それを見る側に伝えるために制作された本がフォトブックとして区別されている。
つまり大きく分けると、写真集は作家の自己表現としてのフォトブックと、作家のキャリアを参照する資料的な本がともに存在するのだ。集めるのはもちろん前者のフォト・ブック。最初は両者の区別は難しいかもしれない。最近は写真集のガイドブック本"The Photobook: A History Volume 1 & 2"(Phaidon刊)などが刊行されている。ここに収録されているのがフォトブックと考えればほぼまちがいがない。

フォトブックはどこが違うのだろうか。以前も紹介したが、フォトブックの代表作といわれる「The Americans」の著者ロバート・フランクの言葉がよく説明している。少し長いが引用してみる。「写真家は社会に無関心ではだめだ。意見は時に批判的でもあるが、それは対象への愛から生まれている。写真家に必要なのは博愛の気持ちで状況に対すること。そのように撮影されたのがリアリズムだ。しかしそれだけでは不十分で、視点を持つことが重要だ。この二つがあって優れた写真が生まれる」
視点の原点となる感情は様々あるだろう。その一つは、個人が持つ違和感だと思う。欧州のスイスから繁栄している戦後のアメリカに来たフランクは、その文化を目の当たりにしてなんかこの国はおかしいと感じたのだろう。その原因を探るべく情報収集を行って考えを深めたのが、グッゲンハイムの奨学金で行った全米の旅だった。彼は撮影後、1年間かけて作品セレクションを行っている。問題点を総合化して視点を明確にして発表したのが「The Americans」なのだ。「決定的な瞬間」から解放されたフランクの撮影アプローチだけが注目されがちだが、重要なのは彼が写真で探求した違和感を見る側に伝えようとした姿勢や精神なのだ。

写真集コレクションに興味ある人は、作家の視点を共有したいと考える人たちだと思う。たぶん作家と同じ問題意識を持って世界を眺めているのだ。生きていて自分のいだいた強い感情に対する答えを写真集の中に探しているのだろう。さて、フランクの精神を受け継いでいるのはどのような写真家だろうか。現代人は、「The Americans」の歴史的評価は理解できるが、時代が違うのでリアリティーを感じることはできないだろう。個人的な好みでいうと、ジェフ・ブロウス(Jeff Brouws)、エドガー・マーティンス(Edgar Martins)、アレック・ソス(Alec Soth)などは、カラー撮影だがフランクの流れを引き継いでいると思う。このあたりは様々な意見があると思う。今後、何らかの機会を設けて興味のある人と意見交換をしてみたい。

現在は、市場環境的にも写真集コレクションを始めるのに絶好のチャンスだ。長引く不況で、相場自体がかなり安くなっている。特に、数年前まで人気が高く高額だった和書はかなり安くなっている。円高と不況で外人コレクターが買わなくなったのが大きな要因と言われている。欲しかったが手が出なかった写真集でも入手できる可能性が高まっている。しかし、売る側も高値を見ているので、安くは売りたがらない。しばらくは取引が大きく減少する時期が続くのだ。時間が経過すると、必ずいまの相場でも売りたい人が出てくるもの。欲しい人にとって、これが買い場だと思う。また洋書も、80円近くの円高でかなり割安になっている。欲しかったが高くて諦めていた写真集があったなら、いま一度現在の相場を調べてみるとよいだろう。

ブリッツでは30日(土)まで、"ブリッツ・フォトブック・コレクション2011"を開催中。 好評につき1週間会期が延長されました。写真集コレクションに興味のある人はぜひおいでください。専門家が出来る限り色々な相談に乗ります。オープンは1時~6時、日、月は休み。

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2011年7月12日 (火)

目指せアート写真の世界
地方在住写真家の可能性

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最近、地方の写真家の作品を見てアドバイスすることが多い。私が出張することもあるし、わざわざ上京してくれる人もいる。彼らは地元で活躍する商業写真家や、ハイアマチュアの人たちで、キャリアの一環としてアート作品に取り組みたいと考えている。だいたいの人が生活ベースを持った上で、自分のペースで地道に活動を続けている。作品を見る前に、市場の現状解説や、アート写真の価値観のことを一通り説明する。都市部の人よりも真剣に聞いてくれる印象だ。

彼らは全般的に心がオープンで、素直な気持ちで写真に取り組んでいる感じだ。そしてアドバイスを積極的に受け入れてくれる場合が多い。何か新しい分野のことを学ぶときには、自分を空っぽにして専門家の意見や解説を受け入れてみるのが有効だ。それにより、いままで気付かなかった自分が発見できたり、新しい価値観が生まれる。アート写真を目指す人の作品自体のレベルは、都市部でも地方でも大きくは違わない。それらの背景にある感動を、収集、集約して、さらに考えていく過程が重要になる。最終的にテーマを明確化して作品ポートフォリオとしてまとめていく。地方在住写真家の場合、シンプルなアドバイスで、テーマが顕在化したり、視点がひらめいたり、ステーツメントの内容が飛躍的に改善したり、作品作りの方向性が突然見えてくることが多い。たぶん、自分の心を開いて素直な気持ちで取り組んでくれるから、見えなかった色々なつながりが顕在化するのだろう。それは、複雑なパズルが解けたような感じで、写真を見る側にとって極めて心地より瞬間だ。

一方、地方在住写真家とは全く逆のタイプの写真家にも遭遇することがある。都市部に比較的多いだろう。彼らは、自分の中に凝り固まった考えや、好みの感覚があってそれを認めてもらうため、補強するために写真を見せにくる。アドバイスをしても、自分に都合のよいことだけを受け入れる。アートの世界は、個人の存在と自由が重んじられるはずだ。しかし不思議なことに、彼らは自分が感覚で良いと感じる写真を、他人も良いと感じるはずという思い込みを持っている。これは、多くの人が同質の価値観やモラル観を持っていた時代の名残を引き継いでいるのかもしれない。
戦後に自由と民主主義が導入されたことで、"同質性を前提とした日本人の文化"はもはや存在しない。同様に、個人の(美的)感覚も人によって様々になっている。90年代以降はさらにばらけている。日本社会でいま起きている様々な問題は、同質性は崩れているのに、多くの人が自分と同じモラル基準を持っているはずで、それに従うべきと考えるからだ。
アートは作品を通して人間どうしのコミュニケーションが行われること。そのコミュニケーションは、それぞれが違うことを認め合うのが前提だ。従って、みんな同じと考える人とは会話が成立しない。アートとしての写真を語りあう場で、永遠に不毛な平行線の会話が続くのだ。あるキュレーターは、運悪くそのような人と出会ったら、場の雰囲気を壊さないため逆に作品を徹底的に褒め倒すという。やや極端な対応だと思うが、気持ちはよく理解できる。

上記のように、作品制作の過程では思い込みにとらわれることなく、自由な気持ちで周りの意見を聞きながら、自分の内面を深く探求する必要がある。しかし、作品が完成するとこんどはまったく別の素養が求められる。一転して外界への積極的な働きかけが必要となるのだ。シャイな地方在住の人はこの部分が弱いことが多い。作家を目指すなら、これらの外向きの活動は仕事の一部であると認識してほしい。社会に存在する仕事には営業系が多いだろう。知らない人に会ってと話すのが苦手でも、営業活動に従事して実績を上げている人は数多くいる。なぜできるかと言えば、生活のために必要な仕事と割り切っているからだろう。作家を目指す人にとって、営業活動は作品制作と同じくらい重要な仕事だと理解してほしい。
特に新人の場合は、どれだけ自分を広くアピールして、多くの人をギャラリーに動員できるかにかかっている。最初はだれでも作品は売れないもの、興味を持って見に来る人の数が作家の将来性を占う目安になる。本人が行動して、それにギャラリー、友人、仲間の営業努力が重なることで、情報が広く多くの人に伝わるようになる。

日本のアート写真界の問題点は、プライマリー市場で継続的に活躍する作家が育たないことに尽きる。上記の理由から、新たな新人は東京だけでなく、地方部からも出てくる可能性が高いのではと感じている。今後も、東京以外でのワークショップ開催や、その後の作品フォローアップに取り組むとともに、彼らの作品を一番大きな東京市場に紹介するシステムを構築していきたいと思う。

地方都市での、レクチャーやワークショップに興味ある人はぜひご連絡ください。

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2011年7月 5日 (火)

ブリッツ・2011年後半の予定
フォトブック、"ART NAGOYA"など

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早いもので2011年も残り後半になってしまった。今年の夏のスケジュール作りは、過去に前例がない節電による社会への影響度合いが想像出来ずに苦労している。

7月8日から24日までは、"ブリッツ・フォトブック・コレクション2011"を開催する。7月に写真展が開催できるか不透明だったので、思い悩んだ末に考えた企画だ。これは、アート写真コレクションの一部としてのフォトブックをより多くの人に知ってもらうための試み。フォトブックのコレクションを始めようとしても、分野がとても広いのでどこから買い始めてよいかわからない、という声が多い。趣味として楽しめるかどうかは自分が本当に好きな分野に出合えるかどうかなのだ。写真史で紹介されている有名写真集をきっかけに始めるのも悪くない。しかし、なにか勉強しているみたいな感じで行っても、つまらないので長続きしない。写真を見てワクワクする感じが必要なのだ。
今回は約100冊くらいの写真集を紹介する。ギャラリーが面白いと感じたものだけを独自にセレクションしている。どうしても、ファッション系が多いのだが、その意味は"時代性を持ったカッコいい写真"と広く解釈してほしい。自分の好みが不明確な時は、とりあえず専門家の好みに乗ってみるのも悪くないだろう。
また現代のフォトブックは作家のメッセージが読み解けないと理解が深まらないことも多い。そのためには、第3者による視点の解説が有効の時もある。写真集は、情報提供とともに販売するのが理想と考えている。週末は、できる限りギャラリーにいて来廊者との対応を行いたいと思う。
なお関連して、IPCのサマーレクチャーで"フォト・ブック・コレクションへの誘い"を7月17日(日)に開催する。フォト・ブックの魅力を多方面から探求する予定だ。興味のある人はぜひ参加してほしい。
http://www.instylephotocenter.com/events.html

8月は、名古屋初のアート・フェア、"ART NAGOYA"に参加する。フェアにJPADSが協力しているのだが、アート写真専門ギャラリーの参加がないことから急遽出展を決めた。8月5日~7日まで、ウェスティンナゴヤキャッスル9階のエクゼクティブフロアで行われる。会場はホテルの部屋なので、どうしても小さめの作品の展示が中心になるだろう。マイケル・デウィック、ヘルムート・ニュートン、ハーブ・リッツなども展示する予定だ。ギャラリー・オーチャードが写真展開催を中止して以来、しばらく中部地方へは行っていない。今回はブリッツの最新取り扱い作品を凝縮させた展示を行いたいと思うので、同地域の写真ファンの方々はぜひお立ち寄りください!再会を楽しみにしています。
http://www.artnagoya.jp/

9月以降は、トミオ・セイケ写真展、マイケル・デウィック写真展"Habana Libre"を開催する。デウィック展は、もうすぐ出版される同名の写真集からのセレクションになる。一部は"ART NAGOYA"で紹介したいと考えている。詳しい日程などが決まったら改めてご案内します。
節電の夏が早く終わり、秋風とともに消費者心理が改善していくのを願うばかりです。

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