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2011年8月30日 (火)

ブリッツ・ギャラリー今秋の予定
トミオ・セイケ写真展、Asian Photo Artsなど

Blog1
(C)Tomio Seike

残暑のお見舞いを申し上げます。
早いもので今週の木曜日からは9月。いままでは、夏場の節電などが不透明だったので非常時モードで静かに活動してきた。 9月からは平常時モードに戻って営業を行う予定だ。
9月2日(金)からは、トミオ・セイケ「Charleston Farmhouse」展を開催する。展示の見どころは以前のブログで書いたのでご参照いただきたい。作品展示はだいたい済んだが、ギャラリーはとても落ち着いた心地よい空間になっている。
本シリーズは英国人アーティストが20世紀前半に住んでいた農家のインテリアを撮影したもの。対象が室内の静物中心でも、いつものモノクロームで抽象化されたセイケ・ワールドが展開されている。オリジナルであることは決して奇をてらうことではなく、当たり前の表現をより洗練させていくことだと私たちに教えてくれる。コレクターはもちろん、作家を目指す人も作品表現の意味を考えるためにぜひ見て考えてほしい。
前回はコンパクトデジカメのシグマDP-2で撮影して作品制作を行ったのでかなり話題になった。今回は、銀塩のライカとデジタルのM8で撮影した作品が混在している。セイケ氏はほとんど見分けがつかないと断言しているが、その違いを確認するのもカメラ好きの人にとって本展の楽しみだろう。
セイケ氏は10月に重要なロンドンのハミルトンズ・ギャラリーの個展を控えている。写真展オープンの翌週には渡英される予定。ギャラリーに来れるのは、9月2日、3日だけの見通しだ。予定は変わる可能性もあるので、詳しくはギャラリーのウェブサイトをご参照ください。写真展の会期は長いが、作家と話をされたいお客様は今週末にぜひお出でください!

Blog2

インスタイル・フォトグラフィー・センター(IPC)では若手の写真家Asian Photo Artsのグループ展が9月11日まで開催中だ。このグループは東京を拠点に活動を行っている、20歳代の日本人、韓国人、ロシア人写真家たちのゆるい集まり。
彼らの多くはアートとしての写真作品作りを目指しているとのこと。ただし、作品を見るとその意味の解釈がばらばらなのがよくわかる。他の若い世代の写真家と同じように、写真を感覚的、グラフィカル・デザイン的にとらえる傾向が見られる。
しかし、彼らは少なくとも見る側に自分のメッセージを届けることが必要だと意識している点が違う。これから彼らにとって重要なステップは、自分自身がどんな人間なのかを知り、メッセージの意味を正確に把握すること。自分がどのように感じ、何を伝えたいかが発見できないと、見る人と真のコミュニケーションはできない。それは感覚の共有とは違うことを理解しているか、また気付いているかが、私が注目している点。彼らの将来の可能性はこれで決まるからだ。
私が20歳代の時のことを思い返すと、それがかなり困難であることは想像できる。しかし、彼らは他の若者よりも、オープンな心と欧米的アートへの志向を持っている。 何人かは、グループ展での専門家や観客の意見で、気付かなかった自分の視点を見つけることができるかもしれない。つまり将来に自分が歩むべき道の方向に気付くということだ。
IPCでは、キュレーター、ギャラリストがセレクトしたアートを志向する若手写真家のグループ展を来年に企画している。Asian Photo Artsの中からも候補が出てくることを期待したい。彼らの表現やテーマはまだ粗削りだが、見る人は将来の可能性を踏まえて総合的に評価をしてほしい。
アート写真に興味のある若手写真家にはぜひ見てもらいたいグループ展です。http://www.instylephotocenter.com/exhibition/ce.html

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2011年8月23日 (火)

「ART NAGOYA 2011」
猛暑の名古屋の熱いアートフェア

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8月5から7日にかけてウエスティンナゴヤキャッスルで開催された名古屋のアートフェアに参加してきた。
同ホテルは名古屋では最も伝統と格式が高い場所とのことだ。名前通りに名古屋城の正面にあり、客室から素晴らしいキャッスル・ヴューを楽しむことが出来る。スポンサーも、ジャガー・ランドローバー・ジャパンやぺルノ・リカール・ジャパンなどの高級品を扱う企業。主催者の狙いは、高級ホテルで中部圏の富裕層を相手にアートを紹介するという感じだ。
このホテルは東京のホテル・オークラのように交通の便が悪いところにあるのが特徴。自家用車かタクシーを利用するのが一般的で、地下鉄の浅間町駅から歩くと15分くらいもかかる。本当に目的意識がないと暑い夏の日に行こうとは思わないだろう。多くのフェアは観客動員数を多くして入場料収入で利益を上げるビジネスモデル。交通の便のよい場所での開催が肝になる。本フェアも商業地の栄、伏見、錦あたりのホテルで開催する選択肢もあったと思う。それをあえて不便だがステイタスの高いホテルで開催したことからは、主催者の"アートに本当に興味を持つ人に来てほしい"というポリシーが明快に感じられる。参加ギャラリーにとって、鑑賞目的の人が多いと本当に買いたいお客様との接客が出来なくなることがある。本フェアの趣旨には100%賛成だ。主催者によると期間中約1870名もの人が来場してくれたそうだ。酷暑の中でも中部圏のアートに興味のある人はちゃんと来てくれるのだ。私ども関連では、名古屋に引っ越したお客様や、ワークショップ参加者との再会があったのが収穫だった。

しかし来場者がコレクション購入までの目的意識を持っていたかは別問題だろう。色々なところで書いているように、日本のアート・フェアは作品を鑑賞するイベントという意識を持つ人が多い。今回も、多くの来場者は鑑賞目的だった印象だ。もしかしたら高級デパートの上客向けのアートの特別鑑賞会という意識の人が多かったのかもしれない。
とくに私どもが展示した写真関連作品に関しては、まだ多くの人に鑑賞やコレクションの対象であることが認識されていないようだった。実は、写真ファンは現代アートに興味のない人が多い。今回は現代アートのフェアと銘打っていたので写真ファンはかなり少なかったのだと思う。もし来年開催するのであれば、写真分野のギャラリーをまとめるなどのアイデアを考えてほしい。近くの場所で写真だけのサテライト・フェアを行ってもよいだろう。そうすれば、写真ファンの集客につながると思う。写真関連のスポンサー企業候補は数多いのではないか。

さて今回は初めてのフェアだったが、主催者の運営オペレーションや広報活動は非常によかったと思う。搬入、搬出もスムーズにできた、観客動員やマスコミの反応も良好だった。しかし、一人前のアートフェアを目指す時に重要なのは、参加ギャラリーや展示作品のクオリティー維持なのだ。ハード面だけでなく、ソフト面の運営オペレーション力が問われるようになる。
海外の有名フェアの場合、事前にギャラリーの展示作品やテーマを審査する場合が多い。 新規のフェアは、最初は珍しいからギャラリーや顧客を集めることができるだろう。しかし、フェアの目玉作品や何らかのテーマ性がなければ話題性の維持や更なる集客は期待できない。ギャラリー側としても、多額の経費をかけている以上、ある程度の売り上げがあり、新規客の開拓が期待できなければ継続して参加しないだろう。景気見通しが悪い中、もはや広告宣伝目的で参加できる余裕があるギャラリーは数少ないのだ。
長きにわたって継続できるかどうかは、主催者の高い企画能力が求められるということなのだ。高いクオリティーが担保されていればフェアはブランド化する、良質なコレクターが集まり、売り上げも伸びるのだ。これが出来ないと、継続できてもよりローカル色が強い低価格のインテリア・アートの新作披露イベントになってしまう。もちろん地元密着のこのような選択肢もあると思う。

本フェアは、上記のように富裕層相手の高級路線を意識している。器やスポンサーは立派だったが、展示作品のレベルにはかなりばらつきがあったと感じた。現代アートをあまり知らないような高齢の来場者が、展示会場の窓越しの名古屋城の眺めが一番良かったと言っていたのが印象的だった。歴史や時代とのつながりが感じられないアート作品は作者の自己満足になるリスクがある。アートの門外漢の人の素直な意見は案外ポイントをついていると感じた。

主催者や実行委員の皆様、たいへんお疲れ様でした。今回の貴重な経験を生かして、来年以降に内容をよりレベルアップしたフェアを開催してください。酷暑の中、来場してくれた多くのお客様に感謝します。

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2011年8月 2日 (火)

阿部高嗣・写真集「しまなみライフ」
家族の愛をささえに"いま"を生きる

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今回の大震災をきっかけで、普段は気付かない世の中の様々状況を知ることができた。
都市部にはもう存在しない共同体的なコミュニティー。東北には完全に崩れていない地域が残っていることが分かった。
優れた写真集も自分の知らなかった世界を教えてくれることがある。例えば古き良き時代の親子関係。もはや日本には存在しないと多くの都会生活者は考えているのではないか。
ところが、阿部高嗣の写真集「しまなみライフ」(雷鳥社、2011年刊)の中には笑顔あふれるかつてのステレオタイプの子供たちの姿があった。編集作業により現代的な背景のある写真は除かれたのだと思うが、何十年も前の昭和期の家族写真と言われても違和感は感じない。
彼の写真家キャリアはアマチュアにとってまさに理想なのではないか。撮影しているのは多くの人と同じように自分の家族。撮りだめた家族写真が出版社の目にとまり今回写真集化されたのだ。この手の本は自費出版が多いのだが、出版社の企画ものとして刊行されている。来年春には新宿のエプサイトでの個展開催も決まったという。明治安田生命マイハピネス銀賞を取って、コマーシャルの一部に写真が使用されている。

彼に絵心があるのはもちろんだが、それを簡単に引き出すことが出来たのはデジタルカメラの技術進歩がもたらした利便性によるところが大きいだろう。スナップ的な写真はプロでも難しい、デジタルの力がその敷居を低くしていることがよくわかる。阿部の写真の一番の魅力は、3人の子供たちから自然な態度と表情を引き出している点だ。私の自宅の周りに小中学校が多いが、東京ではあのような表情で走り回っている子供を見た記憶がない。彼の写真を読み解くヒントは彼が貨物船の船乗りであることだと思う。いったん海に出ると3カ月も自宅に帰ることはないという。長く離れている時間があるからこそ、親子互いの愛情が高まるのだろう。これが案外重要で、船に乗るという事実で強制的に彼らの中では時間が分断されるのだ。だから久しぶりに再会しても過去や未来にあまり引きずられないのだと思う。また離れ離れになることを互いに知っているからこそ、親子はいまという時間を精一杯生きようとする。愛情の押しつけがないので、カメラを通して親子がうまい具合にコミュニケーションするのだ。のっぺりした日常の中で様々なことを引きずりながら過ごす都会の親子の家族写真ではありえないシーンが生まれる。本書の著者は船乗りだが、案外単身赴任のお父さんにも同じような状況かもしれない。
それに作品の背景になる瀬戸内しまなみ街道の美しい自然風景と四季の移り変わりが写真の魅力を倍増させる。中年日本人が誰しも持つ、古き良き昭和時代の田舎原風景がそこにあるのだ。

いま生きる指針が見つからないで思い悩む日本人が多い。それに対する答えは様々あるだろう。不安感から、何らかの集団やコミュニティーにすがろうという人も増加している。それは、ある程度の心理的な安心感は与えてくれるが、個人の自由を制限する可能性も忘れてはいけない。本書の親子の写真は、ありきたりだが「愛」の可能性を提示している。 私も集団の空気を読みながらそこにすがるよりも、無償の家族愛のほうが個人を支えてくれると思う。阿部の場合は、偶然に船乗りの仕事がそれに気づくきっかけを作ってくれた。人間は、いまという時間にこの社会の中で生きるしかないと悟ると、救いになるのは家族の愛だけだと気付くのだ。あのロバート・フランクが全米の旅の末に最終的に家族愛に行きついたことを思い出してしまう。
この種の、ハッピー系に見える写真集はアート性がないように思われがちだ。しかし、本書はいまという時代を生きるためのメッセージを明確に発信している。1枚のオリジナル・プリントとして売れるかどうかは別にして、写真集として十分に作品になっている。表層はスタイリッシュだが、中身が空っぽな一見アートっぽい写真よりもはるかに魅力的だと思う。

デジタルカメラ、船乗りの仕事、生活環境。本書は様々な偶然が重なって出来上がった写真集なのだ。撮影は彼にとって愛情表現であり、自らを支える行為でもある。そこに本人の邪念がないがゆえに、見る側もごく自然に写真世界に入り込むことが出来る。そして清々しい気持ちにさせてくれる。写真は、見る側、撮る側をともに幸せにする可能性があることを本書は教えてくれる。

阿部高嗣の写真集「しまなみライフ(船長が撮るふるさとの子供たち)」(雷鳥社、2011年刊)1,500円(税別)

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