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2011年10月25日 (火)

歴史の重みとブランド力
アート市場の二極化の先

最近の日本経済新聞の記事、「高価で長持ちに向かう消費」を興味深く読んだ。不況が続いているなかで、最近のデパートでは高価な腕時計、宝飾品、美術品が売れているという。この記事は、高額品は従来好景気時に売れるもの、いまのような株価低迷と長期不況時代に売れるのは新しい傾向ではないか、という問題提起だ。その理由を、高価でも長持ちするものに向かう新しい消費者心理と分析していた。記事によると、3500万円の横山大観、500万円の棟方志功が売れたという。10月に開催されたあるデパートの絵画催事の売り上げはきわめて好調だったという。

横山大観、棟方志功という巨匠の作家名をきいて感じたのは、日本のアート市場でも消費の二極化が進んできたということ。二極化は、一般的に高級ブランド品と価格の安い商品しか売れない状況。実は私の専門のアート写真界では、リーマンショック以降その傾向がずっと続いている。
2011年秋のニューヨーク・アート写真オークションではその傾向がさらに強まった印象だ。
ちなみに、今シーズンの最高額は、フィリップス(Phillips de Pury & Company)で落札された、リチャード・アヴェドンによる1967年撮影のビートルズ・ポートフォリオの$722,500.(@80、約5780万円)。巨匠アヴェドンとビートルズというダブルネームの作品だ。
2位が同じくフリップスのNadarとAdrien Tournachonによる19世紀作品"Pierrot with Fruit,1854-1855"の$542,500.(@80、約4340万円)。
次が、ササビーズが取り扱った写真季刊誌カメラワークの50冊セット。これはスティーグリッツが編集に携わった写真史に残る代表雑誌。フォトグラビア、ハーフトーンによるエドワード・スタイケン、ポール・ストランドなどの写真が多数収録されているもの。 カメラワーク・セット最高価格の$398,500.(@80、約3188万円)で落札された。
マン・レイの"Untitled(Self Portrait of man Ray)1933"もフィリップスで同金額で落札されている。
上記の作家以外には、アンセル・アダムス、ピエール・デュブレイユ、アルフレッド・スティーグリッツなどが目立って高額落札されていた。作家名を見るに、まだ現代アート系やファッション系が未評価だった90年代のオークションを思い出す。作家のブランドとともに、古い時代の作品であることがより注目されている印象だ。

歴史的作品を愛でる傾向は、ブランド作家だけにとどまらない感じがする。古い時代の作品であることが一種のブランド価値になっている。実際、同業者の話では19世紀の古いダゲレオタイプ、ティンタイプ、ヴィンテージ・ポストカードなどの写真は無名作家だが良く売れているとのことだ。
また、写真制作の技法に関しても同じような傾向がみられる。多少高額になるが、古典的手法のシルバープリントやプラチナプリントを好んでコレクションする人がここ数年明らかに増えている。

不況が続くと人は安定を求めて保守的になる。どうしても新しいことよりも基本に戻るようになる。時代の価値観が多様化し評価軸が不安定になっていることもあるだろう。アートの基準を、作家のブランドと歴史の重みに求める人が増えているのだと思う。現在の市場では、中間価格帯の、特にブランドが未確立で歴史的背景がない作品が苦戦している。このような流れだと、一時期高額で取引されていた現代アート系写真、コンテンポラリー系ファッション写真には厳しい時代が続くような予感がする。
2011年秋のアート写真オークションの詳しいレビューは、11月のロンドン・オークション終了後にアート・フォト・サイトに掲載します。

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2011年10月18日 (火)

ファッション写真の現在
日本人写真家の挑戦

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ファッション写真は時代の憧れを提示するメディアだった。戦前は上流階級に憧れる中流階級の憧れを、戦後はしがらみから自由になり社会進出する女性の理想像を表現するものだった。それが90年代に入り、欧米から始まった高度情報化、グローバル化が進むとともに変化していく。大きな物語が消失して、ファッションもブランド一辺倒から、個人のセレクト、着こなしなどの表現が注目されるようになる。つまりファッションにおいて、服以外の世界とのつながりが重要視されるということ。人々の生き方がばらけてくる中で、ファッション写真は、時代のライフスタイルや若者文化、大衆文化を語るメディアへとなっていくのだ。

2004年にMoMAで開催された、"Fashioning ficition in photography since 1990"展(カタログは上のイメージ)では、それを表現する手段として、シネマティックとスナップ、ファミリー・アルバム的なアプローチが増えていると分析している。簡単に説明すると、映画的なテクニックは見る人の記憶とつながりやすい、スナップや家族アルバム的写真は見る側の感情と結びつき、リアリティーを感じやすい点が指摘されている。
それから7年くらいが経過している。前回の「カッコいい写真が見たい、欲しい!」、で書いたように、私はファッション写真の意味がより広く解釈されるようになった考えている。いまという時代が語られている限りにおいて、その拠り所は、歴史だけにとどまらず。パーソナルワーク、現代アート、他分野の表現や思想などにも求められるということだ。

先週末にinifinityに参加している3人の写真家とのトーク・イベントに参加した。写真家が感じている時代性と、それを語るアプローチが様々で非常に興味深かった。
北島明はシネマティックなアプローチで若きシンガーソングライター加藤ミリヤを起用して日本のいまのユースカルチャーのリアリティーを伝えようとする。撮影時には、詳細なストーリーとキャラ設定をモデルとの間で作り上げるという。まさに上記のシネマティックのアプローチを実践している。
舞山秀一は動物園の動物たちの撮影を通して、人間社会のありそうもなさを明らかにする。彼にとって撮影する行為自体が自分を確認する行為なのだと思う。やや難解なコンセプトなのだが、会場では多くの人が意味を読み解こうと作品と対峙している。舞山の策略はうまく機能しているようだ。12月に開催される個展が楽しみだ。
半沢健は、シュールな非現実的な世界を様々なプリント技法やセッティングで構築する。不思議なヴィジュアルで現実とは何かを意識させ、現代社会の嘘っぽさを撃つ。前回のinfinityの作品"blink"とは印象がまったく違うがメッセージは一貫している。
3人の写真家とも無意識のうちに、いまや多様化したアートとしてのファッション写真の流れとつながっている。彼らがそれを意識することでアーティストとしてのキャリア展開に踏み出してほしいと願う。

"infinity2"展は広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで10月23日まで開催中。
詳しくは以下をどうぞ。
http://infinityphotographer.com/

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2011年10月11日 (火)

カッコいい写真が見たい、欲しい!
"infinity2"が開催

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コマーシャル・フォトの最前線で活躍する写真家たちが、写真作品を販売する試みとして今年5月にスタートしたinfinity展。早くもその第2回が10月23日までインスタイル・フォトグラフィー・センターで開催されている。今回は参加者の入れ替えが行われ、新たに鶴田直樹、Rrosemary、設楽茂男が加わった。ゲストとしてハービー・山口も作品を展示している。ゲストを迎える趣旨は、知名度の高いベテランを招くことで上の世代の写真家との接点を持つとともに、支援を期待してとのことらしい。
私は一貫して、多くの写真家がアーティストのキャリアに挑戦することを歓迎するというニュートラルなスタンスだ。それぞれの写真家の考えは様々なので、基本的にはそれらに敬意を表している。自分の考えを強制しないように注意している。将来的には、彼らの中から一人でも二人でも次世代のアート市場を担う人が生まれることを期待している。
前回は、ギャラリーが写真を売ってくれないから写真家が作品を作らないなどという意見も聞かれた。つまり売る側の営業力がないことの指摘だ。これは、一般商品として写真を売ることと、アート作品として売ることの意味を混同している意見だ。写真家がアーティストか、商品開発者になるかの違いだ。私の役割は、写真家の人たちの様々な勘違いを直し、不明点への答えを提供することだと考えている。それらは、複数作家の写真が一堂に展示されるグループ展の現場でしかできないことも多々あるのだ。
基本的には、写真家本人のやる気にかかっていると考えている。重要なのは、作家の表現したい、伝えたい世界観。技術力やイメージ表現はプロで活躍している人に大差はないのだ。本当にアーティストとしてのキャリアを歩みたい人にはできる限りの援助を惜しまないつもりだ。今回は、解説文の依頼をいただいたので、商業写真分野で活躍する写真家がアート作品に取り組む意義がどこにあるかを、写真史の流れから説明した。ここの部分を語ることが彼らの作品をアートとして評価する上での基準になると考えているからだ。
以下に本文を転記するので参考にしていただきたい。
実は、本文中の商業写真の部分を、アマチュア写真家に置き換えることも可能なのだ。 つまり、ハイアマチュア写真家がプロの商業写真家になることは不可能だが、プロのアーティストになるのは可能だということだ。詳細は未定だが、週末には参加写真家によるトークイベントも開催される予定とのこと。
参加写真家のサインが入ったポスターも限定数だけ販売される予定だ。また、書店では入手が困難な写真集も集められている。詳しくは以下をどうぞ。
http://infinityphotographer.com/

○カッコいい写真が見たい、欲しい!
私たちがいま見たい、欲しいのは、単純にカッコいい写真だ。それは広告写真のような、表層的にオシャレで、スタイリッシュで、デザインされた写真とは違う。カッコいいというのはいまの時代との接点があること。それは時代の価値観が反映された、目で楽しめて、心を動かし、頭で考えさせられる写真だ。この種類の写真はファッション系のアート写真と呼ばれている。
ファッションといっても、洋服ではなく時代感覚を持つという広い意味に解釈してほしい。洋書店で人気の高いのはこのカテゴリーの写真集なのだ。だがこの分野の写真はほとんどが外国人写真家によるもので、日本人写真家の作品はあまり存在しなかった。今回の"infinity"展は、主に商業写真分野の第一線で活躍する日本人写真家たちによる、アートとしてのファッション写真への初めての挑戦なのだ。

作品理解を深めるために少しばかり歴史的背景を説明しておきたい。
米国人作家スーザン・ソンダクは、"優れたファッション写真は単なる洋服の写真を超えている"と語っている。それは、優れたファッション写真はアート作品になりえるという意味だ。アートの作品評価は歴史との比較で行われる。実は欧米でもファッション写真の歴史が系統だって書かれたのはここ20年くらい前。オークションで頻繁に取引されるようになったのは最近になってからだ。いままで日本にソンダグが語るようなファッション写真が存在しなかった理由は、この国にはファッション写真の歴史が書かれていなかったから。つまり日本人写真家の作品がオリジナルであるかの判断基準がなかったのだ。
また自分の拠り所を海外の写真史に求める写真家も少なかった。多くは、欧米の表層的なスタイルを取り入れるか、外人好みのフジヤマ・ゲイシャ的なモチーフを追求してきた。ファイン・アート写真と商業写真との関係は日本と欧米ではまったく違う。単純にファッション写真だけを欧米の流れの中で評価するのにも無理があったのだと思う。また戦後から20世紀末にかけて高度消費社会が進行し、個人の感覚や気分によるイメージ消費が一般化したのも影響しているだろう。感覚重視は、価値の序列を否定する。一方でアートはオリジナルであることで値段の差別化を行う。従って、日本のファッション写真は広告のように消費されるだけで、アートと接点を持つことが出来なかったのだ。

しかし、世紀末から21世紀となり状況は大きく変わってきた。国によりスピードは違うものの、90年代から情報化、グローバル化が進み、大きな物語がなくなっていった。人々の価値観、あこがれ、夢が多様化して、ファッション写真もより広い意味でとらえられるようになったのだ。米国人写真家ブルース・ウェーバーは、多様化するファッション写真を意識して以下のような発言をしている。
「優れたファッション写真は、単に洋服を着ている男女を撮影したものではない。自身のライフスタイルが反映されているか、とてもパーソナルな格好をしている人のイメージのことだ。それは、新聞、ナショナル・ジオグラフィー、アウグスト・ザンダーの写真集の中にも見つけることができる」 彼は、ファッション写真を、ブルース・ウェーバー写真にした写真家として知られている。

21世紀のいま、ファッション写真は時代性が反映された写真をすべて含むようになってきた。それは、作品の基準を歴史だけでなく、他分野の写真や美術表現、コンセプト重視の現代アート、パーソナルワークに求めることも可能になったということ。社会のグローバル化により、国を超えた共通の価値観も容易に見つかるようにもなった。極論すれば、写真家が拠り所とする何かとのつながりを認識でき、そのメッセージが時代との接点を持っていれば、すべてが広義の"アートとしてのファッション写真"になりえるのだ。いままで商業写真家がアート作品に取り組む時、ファイアートの定番だったドキュメント系のモノクロ写真にシフトすることが多かった。 しかし、もはやその必要はない。広告、ファッション、ポートレートなどの経験を生かし、その延長上での作品制作が可能になったのだ。

今回の参加写真家は、舞山秀一、北島明、半沢健、中村和孝、Rrosemary、設楽茂男、小林幹幸、鶴田直樹、ハービー・山口(ゲスト)の9名。
彼らは上記のような時代環境の変化を感じ取り、アーティストとしてのキャリア追求を始めたのだ。今後の作品制作の中で心に留めておいてほしいのは、アーティストのブランド構築には時間がかかるということ。いままでは短期的な結果出ないことから多くの人が途中で諦めてしまった。アーティストを目指す写真家は自分の存在に対してリアリストであってほしいと思う。夢見るロマンチストは決して集中して高いレベルの作品を作り続けられないのだ。それは自分自身を客観視できるかどうかによる。誰にも負けない素晴らしい作品を作るために頑張るが、同時に弱い自分や孤独も知っているということ。自分は決して天才ではないが、できる範囲で創作を極めようという姿勢が重要なのだ。

"infinity"展はこれが2回目の開催となる。同展は写真家がこれだと考えるアート表現を実践する実験場として機能し始めていると思う。今後も様々な新陳代謝を繰り返しながら発展していってほしい。将来的にはアーティストを目指す人にとっての登竜門になることを期待したい。展示を通してオーディエンスとのコミュニケーションが実感できた人は、次のステップとして本格的な個展で自分の世界観をより多くの人に問いかけてほしい。
"infinity"展は、単なる写真家のグループ展ではない。私たちが日本における"アートとしてのファッション写真"の誕生に立ち会える現在進行形のプロジェクトなのだ。
写真界の最前線で活躍する写真家たちが考えるカッコいい写真をぜひご高覧いただくとともに、ぜひそれぞれ人の心で感じて、頭でお考えいただきたく思います。

(福川 芳郎 infinity2のための解説文)

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2011年10月 4日 (火)

横木安良夫「Glance of Lens レンズの一瞥」
究極の作品コンセプトを実践する

Guide073
(C)Alao Yokogi

横木安良夫「Glance of Lens レンズの一瞥」が品川のキャノンギャラリーSで11月8日(火)まで開催されている。
これは、ブリッツで今春に行った写真展の拡大版といえるものだ。展示写真は約40点だが、かなりの作品が重複している。今回は販売目的ではないので、思い切り巨大な作品が制作されている。また数々の展示方法のチャレンジが見られる。一部作品は、バックライトで照らしだす巨大作品。また、キャンバス地へのインクジェットプリントも行っている。このスペースは壁が黒色で、展示が難しい。事務所のなかの作品展示みたいになることが多い。しかし本展はバックライト作品を導入したり見事な会場レイアウトに仕上がっている。 会場のディレクションは横木が懇意にしている原耕一氏が担当したという。納得である。
ブリッツの個展では、スタート直後に東日本大震災が起きてしまい写真展どころではなくなった。実は阪神淡路大震災の写真も展示していたので奇妙な偶然性を感じた。今回も、横木は震災後の東北地方に入り撮影している。本展では、宮城県名取市で撮影された大量のクルマの残骸の写真など新作数点も紹介されている。彼の、「Glance of Lens 」は現在進行形で続いているのだ。

多くの人は、横木の「Glance of Lens 」を解釈しようとすると頭を抱えてしまう。彼は展示を通して、「写真て、いったい何なのだろう?」と、私たちに問いかけてくる。 以前も述べたが私の理解を繰り返しておきたい。少しばかり小難しくなるがお付き合い願いたい。
まず彼には、いまのアートシーンにおける、アイデア重視の現代アート系写真偏重に対する疑問がある。頭でっかちの写真作品。その前提は、人の内部に自我のようなものがあって、そこから様々な判断を下し、アイデアを生み出しているという感覚があるだろう。彼はその自己意識そのものを疑うのだ。自分がいるという感覚は、脳の中にある心的モデルの一種かもしれないという気付きがある。
横木の撮影時の感覚は心理学の「フロー状態」に近いのだと思う。米国の心理学者ミハイリ・チクセントミハイは、子供が遊んでいるとき我を忘れて熱中する状態の「フロー状態」とよんでいる。それはアーティストが創作活動の中で集中して自らを失う状態とおなじ。チクセントミハイによると、行為の難易度と自分の技術が合致して、自己意識がない時にそれを経験するという。

横木は、写真家は写真を撮る行為自体にもっと価値を置かないといけないという。しかし、これは単に自分の感覚を重視して撮影すればよいというのではない。彼の写真を理解するもうひとつのポイントはエゴがないことなのだ。そこには、自分はプロの写真家なので、センスが良いとか、高い技術力を持つとか、優れた構図・デザイン力を持つとかがないのだ。まして売名行為で写真撮影することはない。彼は、自分には不気味な写真が多いと語っているが、意識して不気味な写真を撮ることはできないだろう。つまり写真バカになれることが大きな強みなのだ。それも確信犯でなりきっている。凡人はつまらないプライドがでてきてなかなか徹底できない。
アイデアを生み出す自我自体の存在に対する違和感。そしてエゴがなく、撮影自体に集中する。私の理解は、「Glance of Lens」は作品コンセプトがないこと自体がコンセプトということ。まさに究極のアイデアだろう。
普段の横木は非常に人間的だ。それがカメラを持つと撮影に徹することができる。その積み重ねが究極のライフワークの「Glance of Lens」というわけだ。神戸淡路大震災や、東日本大震災などの作品は公開に微妙な配慮が必要な写真だろう。しかし、「Glance of Lens」の流れの中ではそれらも同列に横木自身の作品になるのだ。 私は、「Glance of Lens」に禅の悟りと同じようなニュアンスを感じている。つまり、頭で分かっていてもダメで、生活なかで常にそれを実践していかないといけないのだ。
横木にとって作品制作の継続自体がコンセプトということだろう。

横木安良夫「Glance of Lens レンズの一瞥」は、品川のキャノン・ギャラリーSで11月8日(火)開催中!
開館時間 10時~17時30分まで。
入場無料。ただし日曜、祝日は休館になるのでご注意ください!

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