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2011年12月 6日 (火)

不自由の中にある自由
舞山秀一 フォトグラフス 1986-2011

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舞山秀一の写真展「Photographs 1986-2011」が12月6日から18日まで、広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで行われている。
展示内容は彼の写真家25周年を約130作品で振り返るものになる。このような区切りの写真展の場合、過去の広告や雑誌などの仕事が展示される場合が多い。しかし、舞山は商業写真家として活躍する一方で、常にパーソナルなプロジェクトに取り組んできた。今回もほとんどがパーソナルワークによる25年の回顧となる。
彼がキャリアをスタートさせた80年代中ごろは、写真家は仕事を行う一方で作品を作るべきだという考えがまだ残っていたのだと思う。90年代中盤以降に写真家になった多くの人は自分のキャリアを振り返ろうと思ってもパーソナルワークがないことが多い。デジタル化が進行したことで最近は写真での表現が広く一般化した。作品に取り組むのは写真家ではなく、アーティストになってしまった。

さて今回は大きく二つの対照的なパートに別れて作品が展示されている。
最初のパートは、初期のポートレートやストリート・スナップ、写真集「Alive」、「People」からのセレクション。それとともに、世界中の旅から生まれた膨大なポートフォリオの中から多数の未発表作が初公開される。一部に現代アート風のカラー作品もある。様々なサイズ、スタイル、テーマの写真を意識的に混在させることで、舞山の混沌としていた時代を象徴する会場構成を目指している。多様な作品の洪水なので複数写真家によるグループ展と錯覚してしまう。
次のパートでは、近年取り組んでいる動物園シリーズ、ヌード、最新のストリート・スナップからセレクション。ここでは、一転して混沌から見えてきたいくつかのテーマを意識し、未来を見据えた整然とした展示を行っている。

舞山のキャリアの転換点になったのが40歳代から始めた動物園シリーズだろう。動物園は人工的な空間だ。そこで動物たちは人間に守られ、食事を与えられて生かされている。一方で人間も、社会での肩書、役割、関係性のなかで存在する。人間社会と動物園は同じような世界なのだ。彼も、私たちの社会で起こるさまざまな状況を動物園の中に見出した。焼きこまれて檻から飛び出ているよう見える、ライオンやトラは人間社会によくいる、エゴが強い、権威主義で、自己中心の人を意識しているのだろう。 中には、まるで動物が現代美術家 杉本博司のジオラマ作品ように剥製に見える写真もある。杉本は剥製を生きているように実像風に撮る。舞山は逆に、生きている動物を作り物の虚像のように撮る。現実のように見える社会は、実は作り物となんら変わらない実体など不確かな所であることを示しているのだ。
舞山は最初、人工空間に閉じ込められた動物たちをかわいそうに感じたという。それを自分に重ね合わせたのかもしれない。しかし動物は、自由がない、餌が毎日同じだなどと文句を言わない。一方で人間は社会という不確かなシステムのなかで、様々な幻想を妄信して生きている。 それが数々の悩みを生む原因にもなる。もしかしたら不幸で不自由なのは人間の方かもしれない。撮影を続ける中で彼の見方が次第に変化していくのだ。
2004年刊行の動物園写真を収録した写真集「garden 1」の後記では、"撮影を続け動物たちと目が合う彼らの眼差しの奥に、気高く力強い野生を、そしてプライドさえも感じることがある"、と舞山は書いている。若い時は、だれしも自由でより良い場所が、まだ知らない外の世界に存在するはずだと信じている。しかし舞山は20年以上の写真家キャリアを続けた末の動物園写真がきっかけで、自由は抽象的なことでなく、より現実とともにあることに気付くのだ。写真家である自分は、健康でいまプロとして写真が撮れて生活できることが自由なのではないか、ということだ。
ゲーテは自由を以下のように現わしている。「自由とは不思議なものだ。誰でも足るを知って暮らすことができれば簡単に十分な自由を手に入れることとができる。いくら自由が余るほどあっても、使えなければ何の役にもたたない」(エッカーマン「ゲーテとの対話」1827年1月18日、から)これは彼の心境に近いのではないか。
また、禅の教えの中で出てくる「知足」、つまり現状を全面的に肯定することとも重なってくる。人間は動物園の動物と同じような存在かもしれない。しかし、その状況を理解した上で 確信犯でその環境で精一杯生きることが出来れば決して不自由でないのかもしれない?
動物園シリーズは檻の中の動物のように、不自由な現実社会の中で、気高く力強い野生、プライドを持って、確信犯で生きていこうという彼の意思表明なのだと思う。

もうすぐ舞山は50歳になる。この年齢を論語で知命と呼ぶ。それは天が自分自身に与えた使命を自覚したということ。彼はいまや写真家としてやるべきことが見え、いよいよキャリアの円熟期を迎えるのだろう。今後は写真家としてとともに、アーティストとしての活躍にも期待したい。

舞山秀一の写真展「Photographs 1986-2011」は広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで12月18日(日)まで開催中です。入場無料。営業時間は午後1時~7時(最終日6時)
素敵な写真展カタログも会場で限定数だけ販売中です。定価1,500円

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