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2012年3月27日 (火)

写真集を出版する方法
西山俊一氏(窓社)のメッセージ

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世の中にはアート作品を評価する基準となる膨大な情報が存在している。しかし、私たちがそれらすべて得ることは不可能。また人間は自分の信じたい情報だけに反応する特性も持っている。だからそれぞれの人の経験と情報量によって価値基準は全く違ってくる。写真編集者とギャラリーとは違うし、同じギャラリーでもディレクターによって基準はばらばらだ。この多様性こそがアートの面白さだと思う。

売れているから作品が優れているわけでは決してない。評価基準同様にお金の価値も人によって様々だからだ。売れない優れた作品は数多く存在する。
美術館で個展を開催したから良いわけでもない。美術館も様々なステータスがある。あまり知られていないが美術館は会場を貸し出したりする。予算があれば普通の写真家でも美術館での個展開催は可能なのだ。日本ではイベント業者主催による美術館の写真展は数多く行われている。
長期間に渡るオ―クション市場での継続取引は作家のステイタスになるだろう。ギャラリーで売れるのと違い、作品に多くの人が資産価値を認めていることになる。ただし、それは作家が亡くなった後のことが多い。現存作家の場合は、様々に存在する評価が今後も持続するかは誰もわからない。この点に関してはベテランのギャラリストも編集者も謙虚なのだ。彼らは独自の世界観や視点で最終的に写真史や市場に残る写真家探しを懸命に行っている。

広尾IPCで開催されていたセイリー育緒写真集出版記念展。
同書を刊行した窓社の西山俊一氏のトークイベントが先週末に開催された。窓社は細江英公などの写真集を刊行している出版社。写真集以外にも、カメラ毎日の伝説の編集者山岸章二のキャリアを紹介した西山一夫による「写真編集者」(2002年刊)など、写真業界にとって重要な本も出版している。
彼は写真が気に入れば新人の写真集でも出してくれる編集者として知られている。セイリー育緒も評価されたひとり。彼女は全くの無名写真家だが、ハリウッドで撮影した作品群が「酔いどれ吟遊詩人」として写真集化された。

以下に西山氏のトークの内容を簡単に再現しておこう。

・はじめてセイリー育緒の写真を見た時の印象
最初は作品のデータをディスクで送付してもらった。とても魅力的で勢いがある写真と感じてすぐに作品実物を見せてもらった。60~70年代の最も日本写真に活力があった時代のパワーを思い起こさせた。日本の社会で力を持ち、また読者との接点を持つためには何らかの仕掛けが必要と考えた。最近撮影しているサラリーマンの群像のシリーズと組み合わせることも考えた。テキストは自分の写真を後になって説明しようとしていたのでダメ出しをした。一種のドキュメンタリーなので撮影時の現実が活かされたものを求めた。

・写真家、作品ポートフォリオの評価について
写真家の人間性、人生と作品は切り離すことが必要だ。一方で写真集を作るには作家性とかけはなれることはできない。それらを総合的にみるのだが、写真家の情熱を重要視している。人生をかけて写真集を出したいという明確な目標を持っている人の作品だけをみる。ただ目的なく写真を見てくれでは意見をいいようがない。

・窓社について
編集、印刷、営業まで全てを一貫して行っている。写真集のクオリティーは高いと書店の信用を獲得していると理解している。小さな会社だが書店ではかなりのスペースを提供してもらっている。過去に出版した写真集では、ほとんどの写真家が賞をもらっている。

・写真家になるということ
写真は誰でも写すことができる。誰でも写真家になることはできる。しかし、写真を人に見てもらい、写真集を作り買ってもらうならある程度の知性が必要だ。つまり、写真を社会化して、商品にすることが必要だからだ。この段階では、写真家は目的を持って世の中と議論できるか、コミュニケーションできるかが問われる。そして、世の中に受け入れられるためには、純粋に写真を撮影していることが重要だ。写真バカかどうかということだろう。

・写真集におけるデザインの役割
写真を大事にしてくれるデザインが重要だろう。著名デザイナーはどうしても写真を素材として扱う傾向がある。

西山氏は何を基準に写真集を出版しているのだろうか?トークの内容だけだとやや分かり難いだろう。彼は長年にわたり信じる考え方、視点、理念を持っている人だと感じた。それが広まることで世の中が少しでも良くなるはずだと確信しているのだと思う。それと関連性を見出すことができる写真作品を情熱を持って世に送り出しているのだ。
それはアート系の人の基準とはやや違う印象もある。しかし基本となるのは写真家が何を考えて、世の中をどのように見ているかだろう。現実を重視する写真家とは相いれないことや勘違いもあるだろうが、これも写真を評価する側の個性だと思う。
ちなみに西山氏は今年65歳になるそうで、年内での引退を考えているという。彼の熱い語り口からは、最後にできる限り良い写真集を1冊でも多く世の中に送り出したいという情熱が伝わってきた。

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2012年3月20日 (火)

消費がアメリカ人を救ったのか?
ブライアン・ウールリッチの予見する未来の消費社会

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ブライアン・ウールリッチ(1971-)の"Is This Place Great Or What: Copia : Retail, Thrift, and Dark Stores, 2001-11"( Aperture 2011年刊)は、同じテーマで作品を撮り続けることの重要性を改めて感じさせる写真集だ。継続すると関連情報がどんどん集積され、テーマに対する問題意識が深まる。いままでに見えてこなかった新たな視点が発見できる。長期プロジェクトの場合、同じスタンスで作品と対峙していると、対象の変化を通して時代が見えてくるのだ。

ウールリッチは、ニューヨーク州ノース・ポート出身。彼が21世紀になってから作品テーマとして取り組んだのが「Retail(小売り)」(2001~2006)シリーズだ。彼がこれを選んだ理由が面白い。米国では2001年10月26日にテロ対策として愛国主義者法(Patriot Act)が成立した。当時のブッシュ大統領は署名したときの挨拶で、「米国経済の活力はアメリカ人の消費意欲による」と発言したという。ウールリッチは、買い物するアメリカ人が本当に愛国者なのかと疑問に思い、写真家として作品制作でそれを確かめようとしたそうだ。
人が多く騒がしい店舗内での撮影は難しい。彼は場所を選んで撮影タイミングを長時間に渡って待ったという。その行為はアートというよりも人類学の人間観察に近いものだったという。

ウールリッチは全米の大規模モールを撮影してまわり、商業施設がどの場所でも均質なことを発見する。 そしてグローバル経済進行のもとで米国人の消費が大きく変化したのに気付く。製造業者が労働コストの安い国へと生産をシフトしたことで起きたのが洋服価格の大幅な下落と大量消費。本書の資料によると、米国人が年間に購入するアウトウェア、アンダーウェアのアイテム数は、1991年には34.7点だったのが2007年には68点に上昇したとのこと。そしてかつては贅沢品だった服は大量消費、大量廃棄される商品になる。やがてそれが家具や電気製品にも広がっていく。イケアなどによる安い商品の登場で家具消費は1998年~2007年にかけて150%も上昇したとのことだ。
ウールリッチはその後の「Thrift」シリーズで消費現場の撮影をリサイクル・ショップや商業施設の裏側にシフトする。大量消費されたモノの行き末に興味を持ったからだ。そこに、価値がほとんどなくなった大量の商品の山、大量廃棄の現場を発見する。写真集表紙は、大量の中古服の中で呆然としている若い女性の写真だ。リサイクル店ではいまやグラム単位で服が売られているという。

そして2008年のリーマンショックをきっかけに消費を取り巻く状況は大きく変わる。大量失業と、不動産価格の急落が原因となり、買いものや消費よりも、節約や貯蓄に関心を持つ人が増加する。ガソリン価格の上昇、環境意識やリサイクルの機運の高まり、インターネットの普及なども影響している。多くが、商品の価値と値段と質を気にするようになり、必用品だけを購入し長く使用するようになる。本書の最終章の「Dark Stores」ではその現場を撮影。大規模商業施設があらゆる意味で過剰で、転換点を迎えていることを示唆している。テナントが撤退した大規模モールや商業施設の外観、そして荒れ果てた内部を醒めた視点で撮影している。

そして彼がこの先に見ているのは、景気回復の期待や施設の長期リースなどから動きは決して早くはないようだが、確実に始まっている米国人の意識変化だ。かつての大規模商業施設は、いまや短期店舗、リサイクルショップ、フリーマーケット、学校、ディケアセンター、医療施設、図書館に変わりつつあるとのこと。これはアメリカ人が、資源の無駄使いを問題視するエコロジーの視点を持ち始めたという事実。そして地域コミュニティーと与えられた環境の中で、消費以外の質の高いにライフスタイルを追求しはじめたことを示唆しているのだ。

本書で紹介されているプロジェクトを通して、優れた写真家はアーティストであり、作品で社会の問題点を発見し、それに対するメッセージをオーディエンスに問いかける存在であることがよくわかる。 美術館も彼の時代をとらえた作品を高く評価。本書は、クリーブランド美術館での個展に際して刊行されている。
さて、アメリカ発の消費スタイルはグローバル経済の進行とともに日本にも遅れて導入されている。最近は大規模モールの撤退のニュースなども聞くようになったが、日本の消費現場ではどのような変化が起きるているのだろうか。写真家の人にとって作品テーマとして魅力的だと思うが、どうだろうか?

"Is This Place Great Or What: Copia : Retail, Thrift, and Dark Stores, 2001-11"
Brian Ulrich, Aperture 2011年刊

出版社ウェブサイト
http://www.aperture.org/books/books-new/is-this-place.html

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2012年3月13日 (火)

"よくスナップしている 森山大道"
セイリー育緒写真集 酔いどれ吟遊詩人

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来週の3月20日(火)から25日(日)まで広尾のIPCでセイリー育緒・写真集「酔いどれ吟遊詩人」(窓社刊)の出版記念展が開催される。"よくスナップしている 森山大道"は森山氏によるシンプルな帯の推薦文章。
彼女との最初の出会いは、2007年のギャラリーが行っているワークショップだったと思う。華やかなイメージがあるハリウッド。その街の暗部をノーファインダーでとらえたコントラストの強い写真に強烈なインパクトを感じた。彼女は自分自身のことを撮っているなと感じた。一方で目の前の活発な性格の本人を見るに、いったん地獄を見たものの写真を撮ることで自分の精神をバランスさせ、そして這い上がってきたのが直感できた。写真撮影が人間を支えることに感動も覚えたものだ。当時の日本ははちょうど小泉改革の真っただ中だった。米国では日本より早く新自由主義の経済が浸透していた。成功する自由があるものの、落ちていくのも自己責任という厳しさを垣間見せてくれる優れた作品だと思った。
一方で、作品はまだ未完成だとも感じた。写真を通じて自らを客観視したまではよい。 しかし、それはまだ現状認識ができただけ。作家としての希望を提示しないといけないのだ。
その後、彼女は舞台を日本に変えて作品を展開し続けた。以下のエッセーにその変遷が書いてあるのだが、彼女は、人間はどんなにつらくても現実社会で生きていくしかない。そして、それを支えてくれるのは家族や仲間たちの愛ではないか、と最終的に気付いたのだ。だから、本作は彼女のいままでの人生という旅の序章であると理解して見てほしい。色々な経験を経て、いま彼女は生きる希望を見出した。だからこそ、その初期作をまとめた「酔いどれ吟遊詩人」は作品として意味があるのだ。

写真展ではモノクロ作品約70点が展示される予定。会場では、写真集とともに、プリント付き特装版も販売されます。期間中は、トークイベント(参加無料)を開催します。アート作品のポートフォリオまとめ方に興味ある人。写真集出版に興味ある人はぜひお出でください!

・第1回 3月20日(火・祝)14:00 ~
「写真でアーティストを目指すには」
でセイリー育緒 X 福川芳郎

・第2回 3月24日(土)14:00 ~
「写真集を出版すること」
でセイリー育緒 X 西山俊一(編集人)X 福川芳郎

以下が彼女の写真集刊行によせたエッセー。スペースの都合で、本のジャケットの折り返し部分にそのエッセンスが掲載されている。

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カメラとともに生きる
セイリー育緒の写真世界

セイリー育緒は、カメラのレンズを通して世の中の仕組みを解き明かそうとしてきた。それが少しでも分かっていた方が、不条理で生き難い人生を過ごすのが容易になると考えるからだ。それにはまず正しい現状認識が必要になる。セイリーの探求は、米国ハリウッドに住んでいた2003年頃から始まった。当時の彼女は理想と現実とのギャップに苦しんでおり、その行為はカメラを通して自らの人生を相対化することだった。
彼女は華やかなハリウッドの表層ではなく、街のダークサイドに目を向けた。目を凝らして見ると、ストリートの賑わいの片隅に競争に負けた人たちの影が幽霊のように見え隠れしていた。社会的役割を持たない人々には恥も外聞もない、ただ本能的に日々を過ごすだけ。行動の規範もなく、酒、ドラッグ、犯罪に走るのも自由だ。市場原理優先の米国社会では、希望をなくした人間は落ちるところまで行く。その先には死の匂いがする地獄が待っている。
セイリーはカメラを通して究極の自由の先にある地獄図見た。それが本作”ウイスキー・ドリンキング・トラヴァドール”だ。これがきっかけとなり、彼女は自らを客観視して現実を受け入れられるようになった。セイリー育緒の写真家の原点がここにある。
本作は米国中心の新自由主義経済のダークサイドを見事にとらえた作品だ。それは、かつてロバート・フランクが写真集「アメリカ人」で50年代の繁栄していた米国社会の暗部を暴き出したのと重なってくる。実は世代や背景が全く違うが二人には不思議な縁がある。セイリーは、ローリングストーンズ「メインストリートのならずもの」(1972年発売)のレコード・カバーに衝撃を受けて写真を撮り始めた。実はこの「見世物小屋の写真コラージュ」はフランクが撮影したものだった。二人の作品の流れにも不思議な類似性がある。フランクは上記写真集で当時のリアルなアメリカ像を批判的に提示した上で、最終的に人間愛、家族愛を信じることで現状を肯定している。一方、セイリーの作品も同様の展開を見せるのだ。ハリウッドでの撮影後、彼女は帰国して日本で作品制作を続ける。続編では、人工的空間で生かされている動物を人間に重ね合わせた動物園シリーズ、システムの中で生きる人間の仮面性を現わした、無表情な通勤客のシリーズなどを制作。最新作では自分の家族への愛がテーマになっているのだ。セイリーはいままで自分らしく生きようと人生と格闘しながら、ハリウッド、東京、伊豆長岡と旅してきた。カメラで現実を見続けてきた末に気付いたのは、人間はどんなにつらくても現実社会で生きていくしかないという事実。そして、それを支えてくれるのはフランク同様に人間の愛ではないか、ということなのだ。

その後、2008年のリーマン・ショックを経て経済状況は一変した。世界的な不況で貧富の差は更に拡大し、それまで経済成長が覆い隠していた暗部がより目立つようになってきた。自分の拠り所を持たない人間は生き残れない厳しい時代が到来したのだ。もしかしたら、セイリーがハリウッドで見た地獄は、現在そして更にその先の状況を予言した近未来図だったかもしれない。もしそうならば、その経験から生まれた写真家のメッセージはいま生きる私たちにとって重要な啓示になるのではないだろうか。

最後に現在の厳しい経済状況の中で、彼女の作品を評価し写真集刊行を決断した窓社および西山俊一氏に敬意を表したい。
作家本人が作品を信じて必死にアピールし続ければ、チャンスが訪れることを示してくれた。多くの写真家にやる気と希望を与えたと思う。
なお本作はセイリー育緒による現在も進行中のライフワーク的な作品の序章になる。本書が評価されることで将来的にポートフォリオ完全版が写真集化されることを願いたい。

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2012年3月 6日 (火)

日本のアート写真市場の将来
作家、ギャラリー、コレクターの共存は実現するか?

Blog2

新人発掘を目的としたグループ展「ザ・エマージング・フォトグラフィー・アーティスト2012年(新進気鋭のアート写真家展)」が終了した。期間中に約750名の来場があった。新人展なので期待はしていなかったが、作品も予想以上に売れた。

Blog1

今回、私は主催者の一員であることもあり、会場では全ての参加者に対しできるだけニュートラルな態度でいることを心がけた。毎日いたので、自作についての評価を求めたり、アーティストとして生き方について質問してくる積極的な参加者が多くいた。今回は、新人作家の中での自分のポジションを客観的に見極める絶好のチャンスだったはずだ。残念ながら自作のことだけで頭が一杯だった人もいたようだ。アーティストになりたいのなら狭い自分の殻から飛び出すことが必要。まず自分が作家ピラミッドのどこにいるかを正しく知り、いま何をすべきかを考えることだ。その上で、アート界の厳しい評価の中で生き残っていかなければならない。

今回は、トークイベントなどを通して参加者ができるだけ作品を語る機会を提供した。みなその重要性は理解しているようだ。しかし、何でそれが必要かを勘違いしている人もいたようだ。それは一方的に自分のことを語ることではない。アートはコミュニケーションだ。オーディエンスとのつながりを見つけるのが目的で、常に見る側との共通の感情のフックを探す努力が必要になる。ギャラリスト、ディーラーは客観的な立場からそのお手伝いをする存在なのだ。

Blog3

本展は将来性のある新人発掘が主目的だったが、アート写真分野のコレクター拡大、ギャラリストやキュレーター発掘も念頭に置いていた。実は作家だけ増えても市場は機能しない。この3分野の充実が活性化に必要不可欠なのだ。
ギャラリーをオープンしたい人にとって、いま一番大きな課題は新人発掘だろう。スペース探しは賃貸市場が低迷しているので容易なのだ。今回は展示作品すべてに推薦文章が掲示されていた。また、トークイベントでは推薦者に写真家の評価理由を語ってもらった。複数の専門家の写真を評価する基準がかなり明確になっただろう。期間中は何人かのギャラリー開設希望者に運営のお手伝いをしてもらった。ギャラリーが増えなければ作家を世に送り出すことができない。今後も彼らの活動を応援していきたい。

本展は、コレクター初心者にとっても有望写真家の作品を買える良い機会になったと思う。グループ展なので一度に複数作家のアーティスト・ステーツメントが読めて、メッセージが直接聞けたはずだ。買うつもりで真剣に作品と接すると写真家の実力の違いや自分の好みが分かった、という意見も多数聞かれた。作品購入者の多くは新人写真家の活動を個人的に応援する人だった。しかし写真家の将来の可能性を信じるコレクターの購入者が複数いたことは、本展の大きな成果だったと思う。それは新人作家にとって初めて自分のメッセージが顧客に伝わった体験になる。これ以上の応援エールはない。
実は一般顧客が自分たちの判断で有望と考える新人の作品をコレクションするのは欧米では普通の事象なのだ。主催のJPADSも将来的に幅広い新人作家が競い合う市場を日本で作り上げたいと考えて本企画に取り組んでいる。日本でもやっと新人の活動をサポートする欧米的なアート写真市場が生まれてきたようだ。
今後の課題は、将来的に競争に勝ち残った人の中からスターが登場してくることだと思う。開催期間中には、参加者の一人である川島崇志が東京フロントラインのフォトアワードでグランプリを獲得した。このような多方面からの評価の積み重ねがスター作家を作り上げていくのだ。
今回は、初めての開催で反省点も多々ある。しかし、多くの関係者が新人作家を世に送り出すシステムを求めているという手ごたえは感じた。来年は、推薦者の数を増やし、一人の推薦枠を少なくすることになるだろう。来年開催するのならぜひエントリーしたいという意見も多数あった。公募枠も設けることも検討していきたいと思う。
参加者、推薦者、来場者の皆様、ご協力ありがとうございました!

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