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2012年5月29日 (火)

写真集連載 (第3回)
日本のファッション系フォトブック・ガイド
浅井慎平 写真集
「WINDS」、「海流の中の島々」など

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画家谷川晃一の著書「視線はいつでもB級センス」(1981年、現代企画室刊)に浅井慎平に関するエッセー「ジャマイカを見つめるロンリーセンス」が収録されている。
これは元々はフォトテクニック誌別冊(1979年刊)の「浅井慎平/人と作品」に書かれた小論。そこに篠山紀信が浅井の写真をドキュメント写真と誤解しているエピソードが紹介されている。谷川は「クソリアリズムともいうべき奇妙な発言」と篠山をやんわりと批判。谷川は浅井の写真を、自己の存在に対するリアリズムの写真と評価している。自由の論理は、日本的な共同体的なセンチメントでは存在せず、個人主義的な考え方が前提になることを主張。彼はその視点を浅井の写真に見出しているのだ。
ちなみに谷川は戦後の進駐軍文化に影響を受けた、デザイン感覚あふれるポップな写真、イラストなどを「アールポップ」という一種のアート・ムーブメントとして評価している。彼はそれを「アールポップの時代」(1979年、皓星社刊)にまとめ、1979年の6月には池袋パルコで「アールポップ展」を開催している。浅井の写真もその中に含まれていた。ちなみに美術評論家の椹木野衣は「アールポップ」を村上隆の唱える「スーパーフラット」の先駆けと評価している。

以前、横須賀功光の写真集 「射」を紹介した時に、「70年代後半から80年代にかけて、特に米国では写真はよりアートへと接近していくが、 日本は高度経済成長による消費社会の拡大により広告写真が中心になっていく。実際、好景気により広告予算拡大によりコマーシャル・フォトの中にも写真家に自由裁量を与えられる幻想を多くの写真家が見てしまったのだと思う。アートとコマーシャルフォトとは分断してしまい現在にいたっている。」と書いた。今回、谷川の浅井評を読んで、当時の日本美術界では、欧米と同じ視点で写真をアート作品と評価する土壌が存在していたことを発見し感動した。
上記のように、その後の経済成長につれて日本人は消費中心のライフスタイルを追求するようになる。谷川の評価とは裏腹に浅井の写真はまさに篠山が批判したヴィジュアルの表層部分で愛でられるようになるのだ。つまり広告写真的な流れの中で評価されるようになる。実際に彼の写真は多くの広告に採用されている。

当時の若者は日本的でウェットではない西欧的なドライな人間関係を志向し始めていた。浅井もフォトテクニック誌別冊掲載のインタビューで、「僕の中には日本がしがみついているのね。湿度が、家が。そいつから離脱しようというのが、ビートルズであり、カリブ海であり、思ったことはやってみるということだったんでしょうね」と語っている。しかしこれはフリー・カメラマンの浅井だから実行できたこと。実際は、ほとんどの若者にとって従来のムラ社会の枠組みが会社組織に移り変わっただけだった。しかし当時は高度経済成長による余裕から表層上は組織の締め付けは強くなく、多少の自由も容認されるような環境だった。洋楽ポップス、片岡義男の小説、浅井慎平のヴィジュアルなどを消費することでうわべだけの自由を享受できる気分があったのだ。会社という共同体に身をゆだねながらも、個人的には消費の延長上に自分らしい生き方があると多くの人が妄信してしまった。

そしてバブル崩壊後の失われた20年を経験して、私たちはその前提に安定した経済成長があったことを実感している。いま70年代の日本人が思い悩んだのと同じ問題に私たちは再び直面している。当時とは状況が変わり、現代人は過剰に空気を読むことを強いられて苦しんでいる。
昨年の東日本大震災という天変地異が更に私たちを本能的に不安にさせた。未来が不透明で存在自体の不安感が高まる中、何らかの共同体の価値観に身を任せた方が楽と考える人が増えている気がする。しかし一方で、70年代の浅井の写真が持っていた眼差しのように、孤独な自分の存在を見つめ、個人として少しだけ強くなり、自由を優先して生きていくという選択肢もあると思う。価値が単一化する傾向が強いこの時代だからこそ、本当に再評価が待たれる浅井の初期写真集だ。

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・「海流の中の島々」(1977年、れんが書房新社刊)
海外旅行があまり一般化していなかった当時、世界中を旅して仕事をする写真家は自由の象徴だった。一般人は、エキゾチックな場所のヴィジュアルを消費することで自由な感覚を持つことが出来たのだ。当時は欧米のミュージシャンがレゲエなどの要素を曲に取り込み始めた時期でもある。 浅井がジャマイカ、ハイチに行ったのはその影響による。
そして若者は、人の聞いていない新しい種類の曲を聞くことが個性的だと信じていた。ちなみに、日本にレゲエブームを持ち込んだ一人が浅井とのことだ。
初版定価3500円。

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「ISLANDS」(1978年、角川書店刊)
1976年5月に浅井がジャマイカのモンテゴ・ベイで収録した波の音は1977年にレコード化される。いまでは環境音楽の古典といわれ、CD化もされている。前作と本書はそのビジュアル版という意味合いがあるのだろう。本書には有名な、「Bird Watchers' Bar」の写真も収録されている。初版定価2900円。82年、84年に再版されており、たぶん発行部数は一番多いのではないだろうか。

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「ウィンズ 風の絵葉書」(1981年、サンリオ刊)
スリップケース入りの豪華本。定価はなんと1万円。しかし、古書市場での現在の評価は決して高くない。いまでもアート系ではなくコマーシャル系写真集と思われているのだろう。
たぶんややベタすぎるサブ・タイトルの「風の絵葉書」が誤解を生んだのだと思う。しかし、当時としては高額な値段設定を考えるに少数販売のアートブックが意識されていたのではないかと思う。ちなみに1980年に刊行されたアーヴィング・ペンの洋書写真集「Flowers」は50ドルだった。その時の為替レートは1ドルが約210円位だったので、ほぼ同じくらいの10,500円になる。収録写真は海外で撮影されたものなのだが、高度経済期の日本の若者の気分や雰囲気が色濃く反映された一種のファッッション写真としても評価できると思う。

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2012年5月22日 (火)

社会変化を作品テーマに取り込む
現状認識の次に未来を提示できるか?

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(C)Terri Weifenbach /RAM

テリー・ワイフェンバックの新作は中間層の没落を意識した作品だ。その社会的状況については専門家が様々な解説を行っている。個人的には、サラリーマンの経験から次のように理解している。
私の新入社員時の仕事は事務が中心だった。コンピューターは存在したが、大型の企業向けのものでデータの入力や情報検索も仕事の一部だった。当時の事務はかなり複雑。それをこなすのには熟練が必要で会社ごとに人材を育成するのが一般的だった。それは工場の労働者も全く同じ構図だったと思う。それゆえ、当時のサラリーマンは長期雇用と年功序列をもとに安定した生活を享受出来た。これがいわゆる中間層。中流も同じ意味だ。いま思い返すと驚くべきことだが、当時の労働者は時間を企業に売っているという感覚があった。自由時間には消費で自分らしさを追求できると本当に信じていた。いまの中国はそんな感じなのだろう。
その後、資本主義がニューエコノミー、いわゆるポスト工業社会へと移っていく。労働者をとりまく環境が変化するわけだ。それは国境を越えて資本や人材が移動する、グローバル経済であり、インターネットやパソコンが普及する高度情報化社会の到来なのだ。社会とともに消費者も変化する、それまでの一元的な大量消費、大量生産から、より多様で個性的な生産と消費が主流になる。生産は、機械化、IT化が進み、労働コストの安い場所へとシフト。結果的に一般商品の販売価格は下がり続けることとなった。先進国では、それまで中間層が担っていた業務が減少。仕事は、新しい価値を生み出すものと、定型的な単純労働へと二分されるようになった。 しかし、いままでの中間層は誰でもが創造できる労働者になれるわけではない。多くは貧困層へと没落していったのだ。
この世界経済の大きな流れは1980年代に米英で始まった。そして90年代後半から2000年以降には日本社会も巻き込まれることになる。構造改革を目指した小泉改革はその流れを推し進める試みだった。米英社会が日本の未来図とすると、日本の中間層没落はまだ始まったばかりだろう。

さて写真家は常に社会の変化を作品テーマとして取り上げる存在だ。欧米では、上記変化をテーマにした作家が数多くいる。私の知る範囲でも、全米に広がるロードサイドのモールやショップなどのドキュメントを通して消費社会の変化を問うジェフ・ブロウスや、ブライアン・ウールリッチがすぐに思い浮かぶ。この変化をより世界的に俯瞰的にとらえているのがアンドレアス・グルスキー。彼はグルーバル経済の進行と最新の消費の現場をテーマにしている。その影響を南欧に見出すのがエドガー・マーティンス。彼はその後、米国の住宅サブプライム・ローンをテーマにした"This Is Not a House"を発表している。オリボ・バルビエリも自然観光のツーリズムを消費の一環としてとらえている。広く解釈すると、ワイフェンバックの新作もこの流れの延長上にあるといえる。

このテーマに取り組む写真家の多くは、社会変化の現状認識とその提示で終わっている場合が多い。はたしてワイフェンバックはその先になにかを伝えようとしているのだろうか。私の気になるのは、軽くないテーマに反して作品群が明るくて心地よいことだ。このギャップは何なんだろうか。彼女はフォーカスが一点に合い周辺がぼやけているスタイルで、一貫して自然を取り込んだ写真を撮影し続けている。本作でもそのスタンスが不動だ。私はこれが明るい庭での瞑想に近いと感じている。その行為は目を半開きにするので彼女の写真のような雰囲気になる。瞑想は過去や未来に囚われている自分を現在に取り戻す行為。私はそこに、いまこの時間に集中すること、そして自然の一部としての人間が強く意識されていると感じる。何らかの理念に囚われるよりも、その方が自由な精神で社会生活を送れるという見立てではないか。理念とは、たぶんアメリカン・ドリームであり、宗教だと思う。アーティストとして、資源を消費して経済成長を続けるいままでのシステムに限界を感じていることもあるだろう。本作では彼女の一貫して発していたメッセージがより明確になったと感じている。

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2012年5月15日 (火)

中間層の没落でアメリカが何を失ったのか?
テリー・ワイフェンバックの新作
「Between Maple and Chestnut」

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(C)Terri Weifenbach /RAM

来週の23日(水)より米国人写真家テリー・ワイフェンバック(Terri Weifenbach)の新作写真展「Between Maple and Chestnut」を開催する。彼女の個展は、「Lana」、「Another Summer」についで3回目だ。本来は連休明けに開始予定だった。Nazraeli Pressのこだわりの写真集制作が遅れスタートが5月下旬にずれ込んだ。素晴らしい出来栄えの写真集も無事に到着、現在展示の最終準備を行っている。

彼女の作品の多くは自宅のあるワシントンD.C.郊外の裏庭、公園周辺で撮影されている。撮影対象も、空、花、木、昆虫、木葉、小枝、草などが中心。ピンボケ画面の中にシャープにピントがあった部分が存在する、何か夢の中のような瞑想感が漂うイメージで知られている。様々な焦点距離のイメージが普通のシーンを魅力的にする。写真によっては草や飛んでいる昆虫にフォーカス。身の回りのありきたりのシーンも決して静止しているのではなく、風や昆虫たちの動き、光の変化で、まるで万華鏡のように常に変化している様子を表現している。しかし、彼女は自然を美化した作品を目指すロマンチストではない。あくまでリアリストの視点で自然を観察して自分なりのアプローチで作品に仕立てている。欧米ではナン・ゴールディンと同様のアプローチの作家だと評価されている。つまり誰でもが共感できる日常生活の一部を観察し、まるで写真日記のように抽出しているということ。ゴールディンは個人的で性的体験に向かっている一方で、ワイフェンバックは自分の周りの自然風景に向かっているのだ。

彼女のいままでの作品は、時代との接点がややわかり難いものだった。それが、前回の「Another Summer」あたりから社会の価値観変化を意識したものになってきた。新作も米国社会が経験している中間層の没落という大きなテーマが意識されている。本作タイトルに含まれる「メイプル」と「チェスナット」の名前が冠されたストリートは、かつて米国全土で見られたありふれた光景だった。それは新しい生活を始める中流アメリカ人の郊外生活の象徴でもあったという。私はビル・オーエンスが1972年に発表した写真集「Suburbia」(郊外)(Straight Arro Books刊)を思い出す。同書は戦後の米国消費社会の頂点の時期をとらえた貴重なドキュメント作品。ここには、写真と住民たちのコメントを通して郊外生活を満喫する中間層の幸せな気分が表現されている。消費生活を楽しんでいる住民たちのコメントと現実を忠実に写す写真とに皮肉っぽいギャップがみられるところも興味深い。家、家具、電気製品、クルマ、ペットなどのモノに囲まれて幸せそうにしているこの時代のアメリカ人のポートレート、家族写真は、消費での自己実現に目覚めた80年代の日本人、そしていまの中国人と重なってくる。

しかし21世紀の米国では、かつての田舎風の家に、木々が生い茂り、緑の芝の庭が広がるような郊外シーンはほとんど見られなくなった。特に90年代以降、新自由主義的な経済が浸透し、中間層が急激に没落していった一方で、古い不動産が修繕されて状況は様変わりした。
本作にワイフェンバックが取り組んだきっかけは、彼女が友人の新しい家を探している途中に行き止まりの道に迷い込んだことだった。そこは自動車が通ることもなく、外の世界の影響から完全に隔たれた孤島のような場所で、50年代以降の郊外の雰囲気や歴史を残していた。彼女は古き良き時代の気分を感じるその地を約1年半に渡って撮影。やがて住民たちは年老いたかつて中間層世代ではなく、若い富裕層家族に移り変わっていることを発見するのだ。
ワイフェンバックが今回撮影した新しい「メイプル」と「チェスナット」は、裕福な若い世代が住む場所に変わっていた。しかしこれは変化の断片でしかないのだ。いま全米では、かつて中間層が住んでいた場所で様々な変化が起きている。
本作で、彼女はただ古き良き時代の残り香を現在に紡ぎだしたのではない。テーマに取り上げているのは、中間層の没落によりアメリカが何を失ったかを問うことなのだ。彼女は、一種の希望である純真さをアメリカはなくしたと述べている。それは、誰でも成功のチャンスがあるというアメリカン・ドリームがもはや存在しないという意味なのだろう。
本作には光り輝く、美しい郊外の写真が数多く収録されている。しかし、いまやそれらは普通の情景ではない。きれいで何気ないシーンの背景に、アメリカ社会の変化をとらえた作家の冷徹なリアリストの視点があるのだ。

本展では、「Between Maple and Chestnut」からカラー作品約16点が展示。会場の一部では昨年刊行された写真集「Some Insects」からカラー4点も同時展示される。
ちなみに新作の撮影は全てライカM6。レンズは、Noctilux 50、Summicron 35、Dual Range Summicron 50とのこと。

テリー・ワイフェンバック写真展「Between Maple and Chestnut」は、5月23日(水)~7月21日(土)まで開催。時間は午後1時~6時、休廊は日曜、月曜です。期間中にギャラリストのフロア・レクチャーも開催予定です。

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2012年5月 8日 (火)

2012年春のアート写真市場
ニューヨーク・オークション速報

景気の先行指標である株価。ここ数カ月に渡り、NYダウは13,000ドルを挟んで上値と下値が限られたレンジ内取引が続いている。景気回復の経済指標が続くとレンジ上限に向かうが、雇用や小売売上の改善が遅れているニュースでレンジ下限に向かう。そうなると今度は金融緩和期待が浮上し株価の下値を支える。もう一つの不安定要因は欧州情勢。短期的に状況が改善しないのは市場のコンセンサスで、スペインなどの先行き不安なニュースが出ると株価はレンジ下限に向かう。
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さてニューヨーク春のアート写真オークションは4月第1週目に行われた。株価は13,000ドル超えのレンジ上限あたりの取引が続いており、市場のセンチメントは悪くはなかったと思う。主要3ハウスの売り上げは、ササビーズ約378万ドル(約3.8億円)、落札率約69%、クリスティーズ約688万ドル(約5.5億円)、落札率約82%、フィリップス(Phillips de Pury & Company)約610万ドル(約4.88億円)、落札率約81%だった。ササビーズの不落札率が上昇したことで全体の売り上げは昨年秋より減少。他2社はほぼ前回並みの数字を達成している。主要3社の総売り上げはリーマンショック後の2009年春に急減。その後、株価同様に回復トレンドが続いた。2010年春以降は1600万ドルから1900万ドルの範囲内に落ち着いている。今回のオークションもほぼそのレンジ内に収まる結果だった。

市場の売買トレンドも変わらない。質の高い希少作品へのコレクター需要は強い。しかし中級から普通レベルの作品ではコレクターは高値を追わないのだ。ただし、美術館で展覧会が開催されている作家に関しては、資産価値の再評価による上昇もみられた。
この傾向を象徴していたのが、ササビーズに出ていた、ダイアン・アーバスの"A Box of Ten Photographs"が不落札だったことだろう。これは、エディション50点の10作品入りポートフォリオ作品。作家の死後に制作され、娘のDoon Arbusによるサインがあるエステート・プリントだ。作家本人のサイン入り作品が非常に高額なことから、エステート・プリントも通常では考えられないほど値が上がっていた。今回のセットの落札予想価格は40万~60万ドル(約3200万~4800万円)。冷静に考えるに本人のサインがなく、エディション50点のエステート・プリントは決して希少作品ではない。作家人気先行によりつけられた落札予想価格が高すぎるとコレクターは判断したのだと思う。しかし、ササビーズによると同作品はオークション終了後に売れたとのことだ。落札予想価格下限以下に設定されているリザーブ価格を引き下げたのだろう。
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SOTHEBY'S Catalogue

さて今シーズンの高額落札を見てみよう。フィリップスでは、シンディー・シャーマン"Untitled Film Still #49,1979"が626,500ドル(約5012万円)で落札。これが今シーズンの最高額だった。ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催中の回顧展や現代アートオークションでの度重なる高額落札が影響していると思われる。ルイジアナ美術館で回顧展開催中のアンドレアス・グルスキーの人気も不動。"Taipei, 1999"が302,500ドル(約2420万円)で落札されている。2011~2012年にかけて全米の美術館で回顧展が開催中のフランチェスカ・ウッドマンの "Untitled, Room, 1977"が170,500ドル(約1364万円)という作家のオークション落札最高値をつけている。サリー・マンも、"Candy Cigarette, 1989"が266,500ドル(約2132万円)という、作家のオークション落札最高値で落札された。

ササビーズでは、アンセル・アダムス作品が落札上位を占めた。明らかにクラシック作品が復権している。約84X97cmの大判サイズの、"Mount McKinley and Wonder lake, Danali national Park, 1947"が266,500ドル(約2132万円)、また約101X72cmのサイズの、"White House Ruin, 1942"が122,500ドル(約980万円)で落札されている。同じくロバート・メイプルソープの美しいプラチナ・プリント"Calla Lily,1984"も、 122,500ドル(約980万円)で落札されている。

クリスティーズでは、写真集"アメリカ人"の表紙にもなっているロバート・フランクの代表作"Trolley, New Orleans, 1955"が落札価格上限の15万ドル(約1200万円)をはるかに超える434,500ドル(約3476万円)で落札されている。また、アーヴィング・ペンの代表作"Black and White Vogue Cover, 1950"も同額で落札。これは1968年にプリントされた貴重なプラチナ作品。ちなみに落札予想価格上限は30万ドル(約2400万円)だった。
ウィリアム・エグルストンのダイトランスファー作品"Untitled, 1973"は242,500ドル(約1940万円)で落札。これは落札予想価格上限は9万ドル(約720万円)の約3倍近い。明らかに3月の単独オークションの成功が影響していると思われる。
今回のクリスティーズで注目されたのはヒューストン美術館のコレクションからのセールだった。欧米の美術館は将来の作品コレクション用の資金調達のために重複作品を市場で売却することがある。一般コレクターにとってこれは最高の来歴の作品となる。予想通り、出品71点のうち67点が落札。売り上げ総額は当初予想の上限を超えたとのことだ。

さて、ニューヨークのオークション終了後、米国では雇用者数の伸び悩んでいる統計結果が発表された。欧州でも南欧財務危機問題の再燃、財政再建に反する選挙結果などが明らかになるなど、 経済、社会情勢はふたたび不安定になってきた。どうもふたたび株価も上記のレンジの下限をためすような雰囲気だ。中長期のチャートを見ていると、いまはリーマンショック後の安値からの上昇トレンドチャンネルの中にいる。しかし上限を突き抜ける力はない。個人的には何かのショックで支持線を下に抜ける可能性の方が高いのではないかと感じている。
5月写真オークションは規模は小さくなるがロンドンに舞台を移して行われる。不安定な外部状況が続く中、アート写真市場の質と希少性追求の傾向はまだ変わりそうもないだろう。

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