« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »

2013年2月26日 (火)

"ジ・エマージング・フォトグラフィー・アーティスト 2013"
作品理解を深めるための解説

本展は様々なタイプの写真家が参加していることが面白い。
自分のフィーリングを投影した写真、アイデア・コンセプトがありそれを伝える目的の写真などは展示作品だけを見ても写真家の意図が理解できないだろう。週末に行われた参加者のトークイベントでは本人たちのメッセージを聞くことで、よりメッセージが明解になった作品、更にわからなくなった作品などがあり興味深かった。
以下にトークを聞いた写真家の作品解説を簡単に書いてみた。作品を見るとき、購入するときの参考にして欲しい。

石橋 英之 "Presage"

Blog1

石橋の展示は今回の参加者の中で一番目立っている。壁面にアットランダムに木枠をはりめぐらせ、そこに彼が住んでいるフランス北部の街リールで見つけたヴィンテージ写真、ポストカード類の複写を大量に貼りこんでいる。
その中に、5点の販売用額装作品も展示。数百枚はあるだろう複写シートは来場者が気に入ったものを持ち帰れる。最終的に全てがなくなり、作品も売り切れて木枠だけになるのが理想とのことだ。
彼はファウンド・フォトを使用してアート表現の可能性を探求している写真家だ。いや本作で彼は写真を撮影していないのでアーティストと呼ぶ方が適切だろう。ファウンド・フォトは無名な人が撮影した昔の写真。それらを展示したりコラージュすることでアート表現の可能性が出てくる。アートでは新しい分野なので定義は必ずしも明確ではない。
本展のアイデアは、リールの街で行ったファウンド・フォトを使用した展示がヒントになっている。オーディエンスの多くが、この地方で昔に写された写真の中にいま現存する場所とのつながりを見出したそうだ。ファウンド・フォトを通して現在の住民とコミュニケーションがとれることを石橋は発見したのだ。人の移動が活発でない欧州の地方都市だから成立したともいえるだろう。
今回の展示は遠く離れた日本で行われている。オーディエンスは遠い外国の写真に対して何らリアリティーを感じないだろう。そこで石橋が考え出したのが上記のような展示方法と複写シートを持ち帰れるというアイデアだ。自分の気に入った、また何か感じた写真を持ち帰ってもらいコミュニケーションをとろうと考えたわけだ。実際は、展示された複写シートはなかなか数が減っていないようだ。あえて床にそれらをばらまいて、取りやすくするなど様々な工夫を行っている。
やはり、日本人にとって写されているイメージに親近感が湧かないことが予想通りにシステムが機能しない理由だと思う。石橋は既にそのあたりのことは感じており、日本人がリアリティーを感じる素材探しのアイデアを考えているようだ。このようなコミュニケーションを活性化させる一連の試行錯誤の行為自体が石橋作品なのだと思う。
額に入れられている作品は、フォトグラヴュールのようなイメージを銅板の上に焼きつけて印刷する技法を行っているとのこと。それらのベースもファンド・フォト。さまざまなコラージュ作品をスキャニングして作られている。雰囲気は、本人も好きだというアイスランド出身のバンド、シガー・ロスの"Valtari"、"Hvarf/Heim"、"Takk" のCDジャケットの画像のようだ。
石橋作品はややコミュニケーション自体を目的化している感じもする。展示する場所ごとに、時代の中でのファウンド・フォトのポジションをもう少し整理整頓して語ることが必要ではないか。対象とその意味がより明らかになりコミュニケーションが活性化すると思う。

薄井 一議 "昭和88年"

Blog2
(C)Kazuyoshi Usui

本人によると、昭和がいまでも続いていたらどのような光景になっているかを意識したという。彼は高度経済成長前の昭和の残り香を21世紀平成の中に見出してフォトストーリーを紡ぎだしている。つまり、写真家の問題意識と視点をもってすると、平成の世にも昭和は生き続けているということだ。
写真集には大衆芸能を撮影したものが多めに収録されている。これは戦後日本は欧米的なファインアートと大衆芸術が共存した、アート的には非常にシュールな場所であることを提示しているのだろう。薄井は前作「マカロニキリシタン」(2006年、美術出版社刊)から一貫して自らの作家としての拠り所を日本の得体の知れないポップ的な背景に求めて裏テーマにしている。
彼は細江英公につながる写真家だ。薄井の作品を見ていると、もしかした昭和的ポップの原点の一つは細江でないかと感じてしまう。リアルな現実世界ではシュールでポップな日本はすでに無意識化していると思う。薄井はこの部分を強調することで日本文化の現状を意識化させようとしているのだ。

撮影は関西地方が多いとのことだ。トークイベントで質問したのだが、薄井はなぜ昭和にこだわるのだろうか?。私はこの時代は多くの日本人が、共通の明るい未来が来ることを信じられた最後の時代だからだと思う。いまや。価値感は本当に細かく多様化してしまった。また、不況が続いたことで将来の夢など見ている余裕などないだろう。それどころか、みんなサイバイバルに必死だ。
いま、70~80年代のファッション写真が人気の理由は、それらには古き良き時代の気分が反映されているからだ。薄井の本作の魅力もそこにあると思う。私たちは薄井の写真世界に浸り、古き良き時代を思いだし懐かしみ、そして生きる力を再生させる。そしてまた平成の現実的世界に戻っていくのだ。本作にはピンクやチープなプラスチックな感じを意識した写真が多い。これは現在の中国雑貨店でよく見られる雰囲気を思い出す人が多いのではないか。いままだ明日はより良い未来が来ると多くが信じている中国を意識しているのではないだろうか。懐かしとほろ苦さも感じるシュールな「昭和88年」だ。

佐々木 謙介 "In a room"

Blog3
(C)Kensuke Sasaki

壁面にグリッド状に並べられたフレーム入り写真9点が再撮影された不思議な作品だ。なんで、実際の作品を9点展示販売しないのか、と多くの人から指摘されていた。彼の意図を読み解くヒントは、グリッド状の展示方法と、9点の写真イメージの中にある。
それぞれの写真はインテリアにマッチすることを綿密に計算して撮影された確信犯のビジュアル重視イメージだ。そして、ベッヒャー夫妻がドキュメント作品をインテリアでも展示しやすくする意味で導入したグリッド状の展示。いまではインテリア用写真の展示手法として広く導入されている。
佐々木は、本作をとおして世の中で氾濫しているアート風写真を撃っているのだ。だから、個別作品で売られていたら欲しい、また売りたいという人がでてくるのは彼の作戦が成功したということだ。このアイデアは、多くの可能性を秘めていると思う。今後の作品展開が楽しみだ。特にグリッド状にしなくても、1点もの作品でも日本のアート写真界に対するメッセージ発信は可能だろう。

問題があるとすれば額装作品を複写するので作品ヴィジュアルのクオリティーがやや落ちる点だろう。ここに、インテリア向け写真をテーマにするアート作品であってもインテリアに展示しなければならないという興味深い現実がある。
実際に9点の作品を作り、それを大きなフレームに入れる、もちろんそのバックボードにはインテリアの壁紙を使う一種のオブジェ作品などにしてはどうだろうか?

遠藤 弘道  "Sacred Places"

Blog4
(C)Hiromichi Endo

古代に生きた日本人は岩、木、などの自然物に神が降臨すると信じていた。近代化が進んだ現代日本では神を感じるような原風景を見出すのは難しいだろう。しかし遠藤の写真は、開発されつくされたと思われるこの島国にも、まだそのような奇跡的な場所が残っていることを教えてくれる。最初に彼は自然の中に凛として存在する鳥居のビジュアル的な美しさに魅了された。次第にそれらを探し出し写真撮影する行為自体に意味を見出すようになる。それは紛れもなく古代人が神を感じた風景を写真で追体験することだろう。現代に生きる私たちにも日本古来の優美を愛でる美意識が流れているのだと思う。
21世紀になり、このような場所は急速に消えつつあるという。遠藤は古代人が神を感じたであろう風景を現代に見出すとともに、それを未来の日本人にも体験して欲しいと願って作品を制作している。それは、杉本博司の「Seascapes」と同様に時間表現をテーマとする試みであるとともに、価値観が漂流する現代社会で自然との共存が新しい生き方のヒントになるかもしれないというメッセージを含んでいる。
彼の写真制作の過程もユニークだ。デジタル・カメラを使用し、それからインターネガを制作して銀塩写真を制作している。デジタルとアナログの技術のメリットを共に生かした作品だ。デジタルとアナログは現代と伝統とのメタファーでもある。日本の伝統的美意識を現代に生かしたいというテーマが作品制作にも反映されているのだ。
最近、自然風景をモチーフにする多くの写真家が、日本の伝統的な美意識がテーマだと表明する。遠藤の撮影対象も同じだがテーマはより複雑に絡み合っている。単に優美を意識して自然を撮影した写真家とは一線を画している。

その他の写真家の解説も機会を見つけて行いたいと思う。
「ジ・エマージング・フォトグラフィー・アーティスト2013」展は広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで3月3日(日)まで開催中。時間1時~6時。
アーティストを目指す人、コレクションに興味のある人は必見です。
週末は参加者によるトークイベントも開催します。

http://www.instylephotocenter.com/exhibition/ce.html

| | トラックバック (0)

2013年2月19日 (火)

新人アート写真家の登竜門を目指す
"エマージング・フォトグラフィー・アーティスト 2013"スタート!

Exhi_026_3

前回好評だったアーティストを目指す若手、新人写真家をアート写真市場に紹介する"エマージング・フォトグラフィー・アーティスト 2013"-新進気鋭のアート写真家展-を今年も19日よりインスタイル・フォトグラフィー・センターで開催する。学校関係者、ディーラーなどの推薦、そして公募から選ばれた15名が参加する。

本展の特徴は、アート作品としての写真、またより広い意味で写真としてのアート作品に取り組んでいる人たちを選出している点。
日本ではこの分野の市場規模は非常に小さい。写真業界と呼べるものがあるとすればそれはアマチュア写真家中心にまわっている。アートという言葉で写真が語られることも非常に多いが、それは「表現」という広い意味に使われる場合なのだ。実際、歌手、建築家、イラストレーター、デザイナーから料理家までがアーティストと呼ばれることがある。アートと呼ばれて売られている写真は、ほとんどがインテリアへの展示を意識したもの、現代アート風のもの、外国人が好む和的要素を表層的に取り入れたものなっている。
やや複雑なのでわかりやすい例をあげてみよう。たとえばイベント会場などで販売されているカラフルな親しみやすいイメージの版画と、セザンヌ、ピカソはともにアートと呼ばれる。しかしこれらは全く違うものだと誰でもがわかるだろう。実は写真でも同じで、絵画同様の純粋にアート性を追求したまじめな分野も存在するということ。この分野の人は欧米と同じ価値基準で日本で創作活動をしているともいえるだろう。
そして、欧米よりもはるかに小さいがこの分野の写真をアート作品としてコレクションする人も存在するのだ。彼らのコレクションの中心はまだ外国人写真家だが、優れた日本人写真家に対する需要は存在する。

今回の参加者は展示趣旨からも経験の浅い新人や若手が多い。正直に言うと参加者、推薦者全員が上記のような思いを共有しているかはわからない。少なくとも主催者側にはそのような価値観の写真分野があって、市場活性化のためにそこで活躍する新人が育って欲しいという願いがある。
若い、新人であるということは頭がまだ柔軟だということ、そこに期待している。経験豊富な商業写真家やハイアマチュアの写真家は先入観で凝り固まっているので、どうしても自分の考えるアートの枠から抜け出すことが出来ないのだ。
特にいまのアマチュア写真家中心の写真界を変えようなどとは全く思っていない。ただし外国人作家だけの市場になると困るので、小さくても存在感がある分野として一人でも才能のある人を育てていきたいと考えている。

"エマージング・フォトグラフィー・アーティスト 2013"は2月19日~3月3日まで
東京広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで開催。
オープンは午後1時~6時(月休館)

2013年度の写真家推薦 学校関係者、ギャラリー・ディーラーは、
圓井 義典(東京工芸大学芸術学部)、吉田 成(東京工芸大学芸術学部)、田中 仁(京都造形芸術大学)、百瀬 俊哉(九州産業大学芸術学部)、 高橋 則英(日本大学芸術学部)、西垣 仁美(日本大学芸術学部)、北山 由紀雄(岡山県立大学)、松本 路子(写真家)、山崎 信(フォトクラシック)、福川  芳郎(ブリッツ・ギャラリー)、齋藤 俊介(キュレーター)、マーク・ピアソン(禅フォトギャラリー)。

参加者は、遠藤弘道、杉村知美、菅泉亜沙子、井上麻由美、嘉茂将幸、内山芳晴、薄井一議、佐々木謙介、加藤雄也、御代 歩、石橋英之、三善チヒロ、大門美奈、高木直之、米田 望の15名。

今回から、投票によりグランプリ、準グランプリも選出する。
写真表現でアーティストを目指す人たちの現在を知るためには格好のグループ展です。週末は参加者によるトークイベントも開催。 
写真でアーティストを目指す人、写真コレクションに興味ある人は必見です!

http://www.instylephotocenter.com/exhibition/ce.html

| | トラックバック (0)

2013年2月12日 (火)

アート作品アピールのヒント
小さなことにこだわる

私はアート写真の仕事を始める前は金融機関のサラリーマンだった。
まだ入社2~3年目くらいのときに上司から受けた叱責は今でもよく覚えている。それは確か企画書のような書類を大量に制作して取引先に送る仕事だったと思うが、ハンコをきちんと押していなかったことを理由に全ての書類をもう一度作り直させられた。私は数が多かったので単に機械的に適当に押していっただけだった。確かに一部は曲がり、かすれたりしていた。捺印に気持ちが入っていないようなことをいわれた気がするが、その時は何で怒られたのか意味が明確にはわからなかった。今思い起こすと、その書類を受け取った人の気持ちを考えてハンコを押せという指導だったことがわかる。

いまは全く違うアート分野にいるが、仕事が変わっても状況は金融機関と全く同じだと感じている。作品ポートフォリオ制作から、アーティスト・ステーツメント、ビジネス連絡、打ち合わせ、広報活動、事務手続き、などのなかに様々な些細だが重要なことが存在する。
さて上記で書類に押すハンコを紹介したので、アートでの書類関係の例をあげておこう。
例えば写真展関連の開催報道資料や案内情報だ。それらは美術館系のものとそれ以外の2種類に大きく分類できると思う。
だいたい大きな組織、歴史を持つギャラリー、団体が運営している写真展の資料は丁寧に作られている。また、企業系ギャラリーは広告宣伝の一環なので、例外なくきちんとしている。一方で写真家の個人主催や新進ギャラリーの写真展関連資料のなかには、明らかに手を抜いていると感じられるものがある。それらは文章執筆、書類制作、DMなどのデザイン、郵送、ウェブ公開の様々な過程で発生する。主催者の写真家、ギャラリーの気持ちの入れ方が小さな作業に怖いくらい反映されてしまうのだ。

内容が良ければそれらは些細のことだという意見もあると思う。しかし、ブランドが確立した有名作家以外の場合、たとえ中堅作家でも中身の判断がつき難い場合が圧倒的に多いだろう。その時の判断基準になるのが展示関係の各種資料なのだ。また東京などではアート関係の膨大な情報が存在する。新聞などの大手マスコミにはそれらの膨大な報道資料が集まるのだ。その中での情報選択は人間の作業になる。きちんと作られていない感じの報道資料は内容をみる前の段階でアマチュアの写真だと判断されてしまう可能性が高いのではないか。いくら良い作品でも見てもらえないかもしれない。
よく奇をてらったデザインや写真使用で目立とうという考える人がいる。私は地味でも正統法で仕事を行うべきだと思う。実は小さいことを的確に行っていない方が逆の意味で目立つのだ。

こうやって書き続けながら、本当につまらないことを言っているなと感じる。しかし、世の中は案外そんなつまらないことで動いている。競争相手の多いビジネス世界では相手の心証を悪くする行為は絶対に避けなければならない。ハンコの押し方だけでで会社の評価が変わることもあるのだ。そしてアートも特殊性はあるがビジネスに変わりない。また、作家を評価、コレクションで応援してくれるのは組織の側にいる人が多いことも忘れてはいけないだろう。小さな所作をきちんとこなすのが重要なのは、それに全てが反映されるという意味だと理解してほしい。私の経験則だが、小さなことにもこだわりを持っているアート写真展の内容は大体レベルが高い。

| | トラックバック (0)

2013年2月 5日 (火)

百瀬俊哉「サイレント・シティースケープ」展
いま明かされる撮影エピソード

Blog_2
ギャラリーでは百瀬俊哉「サイレント・シティースケープ」展を開催中だ。先週本人が九州より上京してくれて色々な撮影エピソードを聞かせてくれた。

撮影地は特に意識して決めるのではなく、単に行きたいところに行くという。現地に着いたらまず市内地図を買って全ての道路網を調べ、ひたすら歩いと通りをつぶしていく。それは場合によっては1日8時間にもおよぶ。彼の写真には夕方や夜が多い。日没寸前で風景を最も美しく表現できるマジック・アワーを意識的に狙っているというよりも歩いているうちに日が暮れてくるようだ。
日本との時差がある外国での撮影なので、当然昼間でも睡魔が襲うこともあるだろう。その上、4×5inの大判カメラを持っての移動は大変な重労働だ。途中で疲れ果てて意識が朦朧としてくるのではないかと想像してしまう。
写真家である以上、どうしても良い写真を撮りたいという気持ちが本能的にある。しかし、歩き続けるうちにエゴが消えていく。そのような心身状況の訪れの中で彼の写真作品が制作される。シャッターを押した瞬間は覚えてないかもしれない。彼にとっては作品以上に撮影過程が意味を持つのだ。撮影セッション中、彼は宇宙もしくは自然のリズムと一体化し、過去にも未来にも囚われずに真に今という時間を生きているのだ。彼の「サイレント・シティースケープ」はその記録でもある。
以前、この一連の過程は座禅や瞑想のような行為に近いのではないかと分析した。それは西欧心理学的では、20世紀を代表する心理学者ミハエル・チクセントミハイの唱える「フロー」のような精神状態に近いのではないだろうか。

百瀬の作品は私たちが抱く都市や街の魅力は人間が作り出す一種の幻想であることに気付かせてくれる。都市が魅力的に見えるのは、そこでは金銭力、社会的名声、愛情などを獲得でき私たちに幸せにしてくれると考えるからだろう。しかし都市は逆にそれらが獲得できないことで不幸にもなるところなのだ。実際のところ、私たちの人生では多くを望んでも全てを手に入れることなどない。幸せになれると考える都市で実際は私たちは悩みを抱え不幸になっているのかもしれないのだ。もう気付かれただろう。つまり都市とは人間の人生のことなのだ。
百瀬の「サイレント・シティースケープ」は人間が幸せになりたいと望む人生も実体のないものであることを示唆している。西欧の風景写真の伝統を踏まえつつ、 東洋の禅的な世界観を表現している点が彼の作品の大きな魅力なのだ。

撮影の苦労話も聞かせてもらった。
特に頭が痛いのは空港での荷物のX線検査だという。彼の経験則ではある程度の回数まではフィルムに影響が出ないとのこと。しかし、乗り換えが多いとどうしても検査の回数が増えてしまう。特にニューヨークの同時多発テロ以降は機械の精度も高くなり状況は厳しくなったようだ。確かに大判カメラと大量のフィルムを持ち込む旅行者は怪しく見えるかもしれない。デジタル時代に育った若い空港職員はフィルムの知識がないので説明に苦労するという。また彼は古く性能が悪そうな検査機械を探してその列に並ぶ工夫もするらしい。
実際に、「サイレント・シティースケープ」のなかで北米で撮影された作品はほとんどが90年代なのだ。百瀬の最近の撮影地が先進国ではなく、発展途上国が多いのはこのことによる。たしか現代美術家の杉本博司が代表作「Seascapes」シリーズを止めたのはX線検査の強化によると聞いたのを思い出した。

今月上旬から百瀬は南太平洋の小国ツバルに新作撮影に行くという。海抜が低く気候変動による海面上昇が問題になっている国だ。彼はたぶん海と夕焼けの写真は撮らないだろうと言っていた。ツバルは、シティースケープよりも自然風景という感じがする。もしかしたら「サイレント・ランドスケープ」のような新しいシリーズになるような気もする。今から楽しみなツバルの新作だ。

百瀬俊哉「サイレント・シティースケープ」展は3月23日までブリッツ・ギャラリーで開催中。
日曜、月曜休廊、営業時間 午後1時~6時、入場無料。

| | トラックバック (0)

« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »