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2015年3月17日 (火)

アート・ギャラリーの存在意義とは
都会のコミュニティになり得るか?

現在の日本社会、特に都会においては人と人とのつながりが希薄化し個人が孤立傾向を深めているといわれている。無縁社会といわれるように、人は数多くいるものの、隣人が誰か知らないような社会なのだ。更に悪いことに、戦後社会における日本人の共通価値観だった経済成長もいまや望めない状況だ。そのような状況で、多くの人はやむなくネット空間に自分の居場所を見つけようとしたりしている。
かつて「孤独な都市風景」という、グループ展を企画開催したことがあった。新人、中堅写真家中心の展示であったが、マスコミでの評判も良く非常に幅広い年齢層の人が来廊した。都会住民はみな孤独を抱えていて、それが反映された風景写真を見てみたいという気持ちにかられたのだろうと分析した。

アート・ギャラリーの社会での存在意義は、孤立した個人が住む都会でのコミュニケーションの場としてだろうと考えている。好きなアーティストや作品、被写体のことを語り合うことで他人同士がつながる可能性を持つ場所になり得るのではないか。まったくの他人どうしがギャラリー空間で初めて会い、いきなり作品について自由に語ることができる。

ただしそれには前提がある、来場者やギャラリー関係者がある程度の知識、情報量、作品理解力を持っていなければならない。いわゆるアート写真リテラシーを持つ人どうしの場所ということだ。このようなコミュニティとしての機能が働かないギャラリーは単にアート・テイストの商品を売るショップでしかないだろう。
また、いま存在する多くのギャラリーは、従来の共同体的コミュニティになっているとも感じている。写真展を見に行ったが、常連のような人が集っていて居心地が悪かった、ギャラリーの対応が冷淡だったという経験を持つ人も多いのではないか。アーティストやギャラリー関係者が中心になり、利害が同じであったり気の合う人たちだけで集い、外部に対して排他的な空間を作り上げているのだ。

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“Keith Richards, Brussels, 1976” (C) Gijsbert Hanekroot

ところで、現在ブリッツで開催中のギスバート・ハイネコート写真展「70’s ロック・フォトグラフィー」では、来場者との会話が弾むことが多い。彼らはハイネコートが撮影した60~80年代前半までの音楽を実体験しており、ミュージシャンに対する数々の思い入れがある。音楽を聞くだけでなく、ミュージシャンの楽曲制作の時代背景や互いの影響などの数々の情報を持ち、LPジャケットのグラフィック・デザインや写真を愛でている。
撮影年にその人がどのアルバムを発表して、どのような境遇だったかまでも知っているのだ。作品にはハイネコートによる英文のエピソードが添えられているが、多くの人がそれを読んで反応している。まさにロック音楽リテラシーが高い人たちが多いのだ。
店頭では写真集「ABBA to ZAPPA」を販売している。アーティストが日本では無名なのでそんなに売れないと見込んでいた。しかし、ロック音楽リテラシーが高い人たちは、ヴィジュアルを通してハイネコートがミュージシャンたちと高いコミュニケーションをとっており、音楽雑誌などで見るブロマイド的イメージを超える高レベルの写真を撮影していたことを理解してくれるのだ。ハイネコートは記録目的でロックシーンを撮影していたのではない。ミュージシャンのメッセージに共感して、彼らの生き方が好きだったから撮影していた。
それ故に80年代になりミュージシャンのメッセージ性が希薄になり、お金儲け優先になり、撮影の自由が制限されるようになるとロックシーンの写真撮影をきっぱりと止めているのだ。今回の来場者は、彼と同様のスタンスで当時の音楽に接していた人たちなのだろう。同類の匂いを感じるがゆえに彼の写真を愛でてくれてるのだと解釈している。なんと写真集の初期入荷分は直ぐに完売して慌てて追加分を取り寄せた。

アート写真リテラシーという言葉の意味は、このロック音楽リテラシーと同じようなことなのだ。写真展やフォトブックを継続してフォローする中で、自分がどんなテーマ、コンセプト、ヴィジュアルを持つアート写真に共感できるかを把握できるようになることなのだ。しだいにそれらが関連付けられて、好きなアーティストのリストが出来上がっていく。

ギャラリーは、何かが好きで、その情報を共有する人たちの、とてもゆるい繋がりの都会的なコミュニティになる可能性がある。誰しも自分の好きなことを、同じ趣向の人と話すのは好きだし、気持ち良いのだ。
ギャラリーがコミュニケーションの場になってもビジネス的にはどうだろうか。日本ではアートは鑑賞するものといわれているではないか、というツッコミもあるだろう。それは今後どれだけアート写真コレクションに興味を持つ人が増えてくるかによると考えている。ギャラリー店頭で日々多くの人と接しているが、アート写真リテラシーの高い人は確実に増加していると感じている。彼らは、単に商品として作品や写真集などを購入するのではない。知的遊戯としてのコレクションを楽しんでおり、ギャラリーという場と時間を消費しているのだ。
まずギャラリーが高いレベルの情報交換やコミュニケーションの場として機能しなくてはならない。ビジネスはその先に生まれてくるのではないだろうか。

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