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2017年6月 7日 (水)

日本の新しいアート写真カテゴリー
クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(7)
見立ての勘違いについて

いままで日本写真の新しい価値基準として、クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(クール・ポップ写真)を提案してきた。それは鶴見俊輔による限界芸術、柳宗悦による民藝の写真版だと解釈可能で、また夏目漱石がエッセー「素人と黒人」で述べている、素人にも近いと紹介している。写真家が無心で撮影した作品と、買う側、評価する側の"見立て"がセットになって成立する。過去6回ほど書き続けながら考え方を展開してきた。興味ある人はぜひ読んでみてほしい。その考えは日々進歩・展開している。いままでの主張が一貫性を欠き、多少の矛盾点があるかもしれない。どうかご容赦いただきたい。今後も変わるかもしれないが、最新の考え方が最善だと理解して欲しい。今回はいままでに気付いた"見立ての勘違い"に触れたい。
 
写真の見立ての最初のステップは写真家の撮影スタンスを見極めることだ。経験の浅い人は、デザインやテクニック重視で制作された写真に惑わされしまう。表層に好印象を感じることが、本質の評価だと勘違いしてしまうのだ。第一印象が良い写真ほど直ぐに飽きてしまう、自分の印象による判断を疑ってみてほしい。写真に能動的に接してみよう。写真家が何を感じているのか、また何を伝えたいから撮影しているかに思いを馳せてみよう。撮影者の問いかけが読みとり可能かが判断基準になる。特にデジタル化進行で急増化している抽象写真には注意が必要だろう。

私はアマチュアリズムの徹底的な追及からこの分野の写真が生まれてくると考えている。ここにも勘違いが多いようだ。いまのアマチュアの中には、あわよくば写真家と認められたい、写真で生活の糧を一部でも得たいと考えている人が散見される。また写真での所属欲求、承認欲求を持つ人もいる。そうなると、どうしても自分のエゴが写真に反映されてしまう。アマチュア精神がプロ化して失われているともいえるだろう。アマチュアとは自由な精神性のことだ。純真に好きでやりたいことを追求し続け、プロ写真家のように写真界の評価を気にすることがなければ、真に主観的な撮影スタイルが実践できる。そのような写真が結果的に第3者から見立てられるのだ。ただし、自分のアイデアやコンセプトを自らが考えだして作品として提示する現代アート系写真はこの範疇に含まれない。ここの部分も混同や勘違いしないでほしい。

撮影や作品編集以外の写真の楽しみ方も紹介してきた。作品制作意図の見極めを行った写真を材料に、"設え"、"空間取り合わせ"を"見立てる"行為だ。ギャラリー空間のように、写真はシンプルな額にいれて、白い壁面に展示するのが一般的だ。しかし、どの写真を選んで、額装するかなど、展示方法を考える"設えの見立て"、それがどのようなスペースに合うのかを考える、"空間取り合わせの見立て"も可能ということだ。最初に展示したい場所があって、写真セレクションと設えを考えても良い。このような過程は古美術や骨董の世界では一般的。写真を素材としてもこのような一種の自己表現も可能ということだ。日本で真に写真が売れるには、欧米とは違うこのような買う側と写真との独自の関係性も必要かもしれないと感じている。
これには注意点がある。それは上記の行為はインテリア向けの写真のプロデュースと類似していることだ。多くのギャラリーやインテリア・ショップが販売手段として写真とフレームとの相性などを顧客に提案するのはよく知られている。インテリア向けの写真は、写真自体もインテリア・コーディネーションの素材でそのデザイン性を重視する。しかし、クール・ポップ写真は技術やデザインで制作された写真は評価しない。そこには"作品制作意図"の見極めが抜け落ちているのだ。インテリア・コーディネートと見立てとの混同や勘違いがよくあるので注意してほしい。

"作品制作意図"の見極めが、どのように"テーマ性の見立て"につながるかにも勘違いが多い。少し複雑なので整理整頓しておきたい。写真家にテーマ設定の意図があり、そのテーマ性を第3者が社会の価値観のなかで見立てるのが現代アート系の"テーマ性の見立て"。一方で、ここで展開しているように写真家が無心で作品を制作していて、そのなかにテーマ性を第3者が社会の価値観のなかで見立てるのがクール・ポップ写真の"テーマ性の見立て"となる。 テーマ性の見立てには見る側が能動的に写真に接するとともに、アート写真リテラシーの高さが求められる。日本では見る側にも写真のメッセージ性を読み解こうとする態度が強くないという状況もあるだろう。邪念がない写真家の内在的なテーマ性は、自分が語らないがゆえに現代アート系のように作品単体では顕在化しないのが特徴だ。長年にわたる作品制作の継続、また同様なパターンの繰り返しの中で育まれていく。

時間経過の末に、しだいに第3者から写真家本人や作品の社会との関わりのあるテーマ性が発見され、語られるようになるのだ。一人や少数の人の印象のようなものから始まり、それに共感する人がでてくれば、評価はより広く広がる。現代アートのように写真家自身の言葉でメッセージを発信するのではなく、作品の社会とのテーマ性が自然発生的に語られるようになるのだ。複数に見立てられた制作者の無意識のテーマ性が、外国人のキュレーター、評論家、コレクターに理解されようになれば写真家のブランド構築につながる。実際に過去の日本人写真家の多くはこのような過程を経て世界的に評価されたと考えている。
 
繰り返しになるが、ここに至るまでには写真家の作品制作の継続が不可欠になる。何10年もかかることもあるだろう。ここにも勘違いが多いので確認しておこう。それは商業写真家やアマチュア写真家が単に写真撮影を継続することではない。世界からの評価も認知もない中で、写真を通して何らかのメッセージの発信が継続できるかだ。それは何で写真を撮影するかを自分自身の問う行為でもある。それができるのは、写真家の継続の動機が何らかの社会との接点を持つからだろう。時間の経過の中でそれを誰かが発見して語ることになる。ただ写真を撮影しているだけでは、見立てられることはないのだ。
 
私どもができるのは、写真家の"作品制作意図"の見極めを行い、ライフワークとして写真に取り組むことを奨めるしかないと考える。クールでポップなマージナル・フォトグラフィーの価値基準を知ることが作品制作継続のモーチベーションになると期待したい。多くの人は、評価されることなく作品制作は継続できないだろう。それに気付いた人は、ぜひ写真を見立てる側での自己表現を試みてほしい。
 
いままで、ずっと予告していて実現できてないのが講座やワークショップでこの新分野の写真を解説すること。また実際に写真家の"作品制作意図"を見極め、それらをフォトフェアなどで展示したいとも考えている。決して忘れたり諦めたわけではなく、準備は着々と進行している。どうか今しばらく時間をください。

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