2016年11月15日 (火)

デヴィッド・ボウイ"The Bowie/Collector" 評価された高い見立て力

"アートは、本当に真剣に、私が心から所有したかった唯一のものだ。それらは私に安定した栄養を与えてくれた。私はそれを利用した。私の朝の感じ方を変えてくれることができた。何を経験しているかによって、まったく同じ作品が全く違う私に変えてくれたのだ"
これはデヴィッド・ボウイのアートに対する姿勢があらわれている、としてよく引用される1998年のニューヨーク・タイムズのインタビューでの発言。下手な和訳で申し訳ありません。
11月10日、ササビーズ・ロンドンで彼の膨大な数のアート・コレクションのオークション"The Bowie/Collector"が開催された。マスコミ報道によるとロンドンで開催されたササビースのオークションで最も多くの入札希望者が登録したとのことだ。ロンドンで開催された内覧会には約5万人が参加、カタログは約2万冊が売れたそうだ。その結果は、予想をはるかに超えていた。356点の作品が全部落札されるホワイト・グローブ・オークションで、トータル売上は事前予想の約3倍の3290万ポンド (約44.41億円)だった。
オークションで最も話題になったのはジャン・ミッシェル・バスキアの2点だ。"Air  Power、1984"が710万ポンド(約9.58億円)、"Untitled、1984"が280万ポンド(約3.78置く円)で落札された。近年のバスキアの再評価の流れと、ボウイ所有という最上の来歴から高額落札が実現したのだ。
Blog
Frank Auerbach" Head of Gerda Boehm, 1965"Sotheby's London
今回のオークションで、ボウイはミュージシャンであるとともに、情熱的かつ真剣なアートコレクターだったことが明らかになった。彼はアートを評価する目を持っていた多彩なアーティストとして新たに認められたのだ。今まで過小評価されていたアートに光を当てる行為は一種の自己表現だと考えられている。実際に彼はキャリアを通して絵画を描いてきた。また1990年代はアート雑誌で文章も書いている。
今回、今まであまり市場で知られたいなかった20世紀英国アートやイタリア・デザインの作品が高額で落札されている点が重要だ。その背景には彼の知名度とともに、その見立て力に対する信頼と評価がある。なんと20世紀の英国人アーティスト11人のオークション最高額落札が記録されたのだ。上記の画像はFrank Auerbachの" Head of Gerda Boehm, 1965"。約378万ポンド(約5.1億円)という、落札予想価格上限の約7.5倍で落札された。
イタリアの建築家・デザイナーのエットレ・ソットサス(Ettore Sottsass)とメンフィス・グループのデザイン関連の出品作などは、軒並み落札予想価格の何10倍で落札。ステレオ・キャビネットの"Achille and Pier Giacomo Castiglioni RADIO-PHONOGRAPH, MODEL NO. RR126"は落札予想価格上限1200ポンドの約200倍を超える25.7万ポンドで落札。また赤色のオリベッティー製で1969年デザインの"Ettore Sottsass and Perry King、Valentine"タイプライターは、落札予想価格上限500ポンドの約90倍の4.5万ポンドで落札されている。
ササビースは、特にデザイン関連の出品作に関してはボウイの見立て力を過小評価していたといえるだろう。今後、同オークションで落札されたアートやデザインの関連作品はボウイ見立て品という輝かしい来歴を持つことになるだろう。

さてデヴィッド・ボウイといえば、2017年1月8日からは、英国ヴィクトリア&アルバート美術館企画による"David Bowie is"の巡回展が、東京のテラダ倉庫GIビルディングで開催される。同展は、いままでに世界中を巡回し8会場で約150万人の来場者を動員したという。ちょうど1月8日は、彼が生きていれば70歳の誕生日、1月10日はボウイ1周忌に当たる。新年の日本はボウイ関連の話題で持ちきりになるだろう。

Bowiefaces
Terry O'Neill/ Iconic Images
実は、私どもは同美術館展に作品を提供している、テリー・オニール、ブライアン・ダフィーなどを日本・アジアで取り扱うギャラリーでもある。それに合わせて、テリー・オニール(Terry O’Neill)、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーブ(Justin de Villeneuve)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko) 、ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)による、"Bowie : Faces"展を開催する。
開催場所は、代官山 蔦屋書店 2017年1月6日(金)~2月7日(火)、アクシスギャラリー・シンポジア 2月10日~11日、ブリッツ・ギャラリー 2月17日(金)~4月2日(日)を予定している。
また、ブリッツではブライアン・ダフィー(Brian Duffy / 1933-2010)の写真展「Duffy/Bowie-Five Sessions」(ダフィー・ボウイ・ファイブ・セッションズ)を2017年1月に開催する。「David Bowie is」では、メイン・ヴィジュアルにダフィーによるアラジン・セインのセッションで撮影されたボウイが目を開いたアザーカットが使用され話題になっている。これらの展示を通しては、ボウイのヴィジュアル・アートへ与えた多大な影響の軌跡を見てもらいたい。
(為替レート/1ポンド・135円で換算)

| | トラックバック (0)

2016年11月 8日 (火)

オークション・セールの最前線
キュレーション力が問われる時代

いままで各オークション業者は、アート写真を売るために多くの優れた作品を集め、写真史を意識しての作品提示に力を注いできた。これは作品のエディティングなどと呼ばれていた。取り扱いが20世紀写真だけの時代はそんなに難しいことではなく歴史の流れに沿って、ばらつきなく並べればよかった。20世紀の写真オークションはまさに写真史が反映されていた。オークションの下見会は下手な写真展よりも歴史的な名作を一堂に目にすることができたものだ。
90年代になりファッションやドキュメントがアートとして認められ、さらに21世紀になると現代アート分野の写真も登場してくる。オークションの出品作品のエディティングはどんどん複雑化してくるのだ。
2010年代になると、作品供給面でも壁にぶつかることになる。優れた作品の委託獲得が困難になるのだ。特に19世紀から20世紀初頭の名作写真は、ほとんどが美術館や有名コレクションの所蔵となり市場出品数が非常に少なくなった。
また、オークションに参加する顧客層も変化した。いままで写真を買っていたのはある程度の経験と知識を持つ中間層のマニア的コレクターが中心だった。彼らは自らの眼でアート史で過小評価されていたカテゴリーやアーティストを見つけ出していた。彼らの活動によりアート写真の価値観が多様化してきたともいえる。
それが急拡大した現代アート市場がアート写真を飲み込んでしまい、主要な客層が変化する。オークション参加者の中で経験や知識が蓄積されていない富裕層の比率が大幅に高まっていったのだ。またグローバル経済の進行により、従来の中間層コレクターの勢いがなくなっていく。
このような状況でオークションハウスには、作品の"見立て"と"提案力"が求められるようになってきた。いままで誰も気づかなかった視点で写真史や写真家を評価して新たな価値を創出し提案するということだ。アート写真オークションのセレクトショップ化ともいえるだろう。オークションの落札結果は、業者のキュレーション力の優劣により大きく左右されるようになってきた。当然それは人的能力により違いがでてくる。優秀な人材が豊富な大手が圧倒的に有利になる。
そのような状況が明確に見られたのは今秋にロンドンで行われたフィリップスとDreweatts & Bloomsburyのアート写真オークションだろう。

 

Phillips
Phillips London Catalogue
 
フィリップスは大手の中でも極めて明確にオークションのいままでの流れに新しい輪郭を作り上げようというキュレーションの意志が感じられる。複数の委託者の作品を集めるのが一般的の中で、作品のテイストが同じになる単一コレクションを積極的に導入したり、ULTIMATEという新セクションを構築し、様々なカテゴリーの作品からフィリップスのオークションでしか買えない作品を集めて毎回提示している。

オークションの格は、どれだけ過去の出品歴が少ない高額落札が期待できる有名作をメイン作品に採用できるかで決まってくる。今回、フリップスが持ってきたのはドイツのベッヒャー派の最重要人物の一人のトーマス・シュトルートの美術館シリーズから出品。90年にコレクションされてからずっと収蔵されていた逸品だ本作は、何と落札予想価格の上限の約4倍の、63.5万ポンド(約8572万円)で落札された。

またアーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ウィリアム・エグルストン、アニー・リーボビッツ、ニック・ナイトなどを持つGeorges Bermannコレクションを紹介。全体で89%という非常に高い落札率だった。特にウィリアム・エグルストンの"Untitled 1971-1974"は、落札予想価格の上限の約2倍を超える、19.7万ポンド(約2659円)で落札された。これは2012年に制作された 80.8 x 121.8 cm サイズのピグメント・プリント作品だ。リチャード・アヴェドンの"Blue Cloud Wright, slaughterhouse worker, Omaha, Nebraska, August 10, 1979"落札予想価格の上限の約2倍の、16.1万ポンド(約2173万円)で落札されている。
またフランス人コレクター所蔵の珍しい南アメリカ写真12点のオークションにも挑戦。こちらも12点中10点が落札されていた。
ULTIMATEでも、ヴォーグ誌のエクゼクティブ・ファッション・エディターを長年勤めるピュリス・ポゾニック(Phyllis Posnick)に焦点を当てている。今秋に刊行される"Stoppers: Photographs from My Life at Vogue"とのコラボ企画が実現。"stopper"とはヴォーグ誌の伝説的なアート・ディレクターのアレクサンダー・リーバーマンがアーヴィング・ペンの写真を表現したもの。彼の写真を見た人は、その際立った魅力で急に立ち止まらされる、という意味。アービング・ペンの"Bee on Lips, 1995"をはじめ、スティーブン・クライン、パトリック・デマルシェリエ、ティム・ウォーカー、マリオ・テスティノという5名の超有名写真家のアートになり得るファッション写真をセレクションしている。今秋はファッション系はあまり元気がなかったが、今回の全作品は落札予想価格内で見事に落札された。全体の結果は最近のオークションでは異例の76.3%という高い落札率を記録した。総売上高も、予想落札価格上限合計額を超える274万ポンド(約3.69億円)だった。
 
Bloombury
Dreweatts & Bloomsbury Catalogue
一方、Dreweatts & Bloomsburyロンドンで行われた低価格帯作品中心262点の"Fine Photographs"オークションは総売上高14.1万ポンド(約1903万円)、落札率36%という対照的な結果だった。知名度の低い英国や欧州の写真家が多かったことが一番影響していると考えられる。
またこのオークションは20世紀から続く複数委託者の作品を並べるだけの従来型のもので、特に専門家によるキュレーションが積極的に行われた形跡はない。このような状況はかつては一般的で、従来は地元のシリアスなコレクターやディーラーが積極的に入札していた。やはり英国経済の先行きの不透明さからだろうか、どうも彼らはあまり積極的ではないようだ。
ただし世界的に美術館がコレクションするジュリア・マーガレット・キャメロンは、出品された4点がすべて落札予想価格を超える価格で落札されていた。また世界的に人気のあるセレブのアイコン的なポートレートも確実に落札されていた。これらはポンド安を享受している英国外からの入札ではないだろうか。
 
今週はパリ・フォトに合わせて、パリでクリスティーズとササビーズのオークションが、また12月かけて欧米の中小業者のオークションも開催される予定だ。2016年アート写真オークション・シーズンはいよいよ終盤を迎えつつある。
(為替 1ポンド/135円で換算)
 

| | トラックバック (0)

2016年8月30日 (火)

アート写真市場レビュー
2016年前半を振り返る

まだ夏休みが続いているが、海外ではこの時期に業務から撤退するギャラリーや関連業者も多い。つまり秋になっても休みが続いているのだ。ギャラリーは個人経営が多いので倒産はない。アート・シーンから知らぬ間に消えていくのだ。
ドン・トンプソン氏のアート業界を分析した著書"The $12 Million Stuffed Shark"によると、裕福なスポンサーのない現代アート・ギャラリーの4/5は5年以内に撤退し、5年以上継続しているギャラリーの10%が毎年廃業しているという。アート関連業務の運営には多額のコストがかかる。売上の見通しが立たないとすぐに撤退を余儀なくされるのだ。
最近はギャラリー以外でも、オンラインでのアート販売を目指すベンチャーのネット関連業者もすぐに撤退する。特にマンハッタンやロンドンなどは家賃が高く、冷徹に市場原理が働く場所なので、非常に新陳代謝が激しいのだ。今年の前半のアート市場を振り返るに、どうも永遠に夏休みが続く業者が多いような予感がする。

2016年の前半のアート・オークションの決算が発表されはじめている。クリスティーズは、前期の売り上げは約30億ドルで、前年同月比で約33%減少。特にコンテンポラリー・アート部門の売り上げが約45%も減少しているという。ライバルのササビーズの売り上げも同様に減少している。これらの要因として指摘されているのが、市場の不安定要因から委託者が希少作品の出品を見合わせている状況だ。欧米での売り上げが低下している中で、中国関連のみの売り上げが上昇している。Artpriceによるとこの地域は約18%の上昇とのこと。色々な分析が行われているが、これは中国景気が他地域よりも良いという訳ではないらしい。どうも長期的な景気低迷と為替下落傾向を予想して、富裕層の資産が香港などを通してアートなどのオフショアの実物資産に移されているからだそうだ。

アート写真市場は昨年秋から明らかな変調が見られるようになってきた。私どもがフォローしている中小を含む欧米のオークション売り上げは、2016年前半は前年同月比で約2.5%増加した。しかし2061年前期には特殊要因がある。例年は閑散期の2月17~18日にクリスティーズ・ニューヨークで"MODERN VISIONS (EXEPTIONAL PHOTOGRAPHS)"という、貴重なヴィンテージ作品が目白押しの大注目のオークションが開催されたのだ。イーブニング・セールとデイ・セールにわかれて279点が入札され、252点が落札。なんと落札率は驚異的な90.32%トータルの売り上げは、なんと最近では珍しい落札予想価格上限の約800万ドル(約9.2億円)を超え、約889万ドル(@115/約10.2億円)を記録した。同オークションを除くと、売り上げは前年同月比で約23%減少している。前半の平均落札率は約64%、ほぼ2015年通年の63%と同じレベルだった。しかし出品作品の1/3は落札されないのだ。オークションの世界では35%以上の不落札率(落札率65%以下)は危険水域といわれている。特に低価格帯の不落札率が高くなっている。
中間から高額価格帯を中心に取り扱うニューヨークでの大手3社の結果だけを比べると、売り上げは前年同期比で約32%減少している。昨秋と比べると約17%増加しているものの、これはリーマンショック後の2009年春を除くと、ほぼ2004年秋のレベルとなる。直近のピークは2013年春で、同期と比べると約61%減だ。平均落札率はかろうじて危険水域以上の67.8%に踏みとどまっている。ちなみに2013年春は81.8%だった。
このような状況では、オークション業者は落札予想価格の下方への変更を行ってくる。日本の顧客には昨今の円高傾向によりさらに割安感がでてくるといえるだろう。為替のドル円が120円を超えていた2015年と比べると、約10~20%程度は購入コストが安くなると思う。興味ある人はぜひ相談してほしい。
秋の大手業者のニューヨーク定例アート写真オークションは、クリスティーズ"Photographs"10月4日~5日、フィリップス"Photographs" 10月5日~6日、ササビーズ"Photographs"10月7日の予定で開催される。

| | トラックバック (0)

2016年7月19日 (火)

2000年代の洋書写真集ブームを振り返る
なぜコレクションは定着しなかったのか?

Parcoevent
レアブックコレクション 2008年& 2009年のDM

2000年代の日本では、洋書写真集のコレクションがミニ・ブームだった。
私どもも2004年から6年間に渡り、毎年5月の連休明けに絶版写真集や貴重本約150~200冊を販売する「レアブック・コレクション」というイベントを、渋谷パルコのロゴスギャラリー(現在は閉廊)で企画開催していた。同ギャラリーは洋書販売の洋書ロゴスの横にあるパルコ主催のイベントスペースで、新刊とレアブックの相乗効果を狙った企画だった。2週間の会期で毎年それなりの売り上げを達成していた。この期間中は洋書写真集がブームだったことは明らかだろう。

いま思い返すに、このブームのきっかけはネット普及によりアマゾンで洋書がかなり割安で購入できるようになったからだと分析している。90年代、洋書店で売られていた写真集は高額の高級品だった。よく雑誌のインテリア特集のページ内でお洒落な小物として使用されていた。私は約30年くらい洋書を買っているが、かつてのニューヨーク出張ではスーツケースの持ち手が破損するくらい膨大な数の重い写真集を持ち帰ったものだ。

アマゾンの登場は衝撃だった。とにかく重い写真集が送料込みで、ほぼ現地価格で入手可能になったのだ。最初は欧米のアマゾンでの購入だったが、2000年11月に日本語サイト"amazon.co.jp"が登場して日本の一般客も今まで高価だった洋書写真集がほぼ現地価格で購入可能になったのだ。2008年のリーマン・ショックまで続いたブームは、高価で高級品だった洋書写真集が信じられないような低価格で買えるようになったから起きたのではないか。一種のバブルだったのだ。今まで高額だったカジュアルウェアをユニクロが高機能かつ低価格で発売してブームになったのと同じような現象ではないか。時間経過とともに、洋書が安く買えるという驚きがさめ、低価格が一般化し始めたころにリーマンショックが起きたのだ。アート系商品は、心は豊かにするが、お腹を満たしてくれない不要不急の際たるものだ。それ以降は、本当にアート写真が趣味の人が興味を持つ写真家の本を購入するという従来のパターンに戻ったのだ。2010年代には、アベノミクスによる円安で輸入価格が上昇して、景気の長期低迷とともに市場規模は縮小均衡してしまった。

ブームが過ぎ去ったもう一つの理由は、写真集コレクションの本質が多くの人に理解されなかったからだろう。自分の感覚にあったビジュアルが収録されているお洒落な商品として本を買う傾向が強かったのだ。欧米では、アート写真コレクションの一分野として写真集の一分野のフォトブックが存在している。写真集とフォトブックとの違いは色々なところで解説しているので今回は触れない。さてコレクションとは高度な知的遊戯として一面を持つのだ。フォトブックはアーティストがメッセージを発信して、読者とコミュニケーションを図ろうとするもの。そのメッセージを理解するためには、読者も経験を積みアートの歴史を勉強して理解力を高めることが必要になる。ただ単に写真を見て、好き嫌いを表明することではないのだ。そしてアーティストの写真作品が評価されるのとまったく同じ構図で、フォトブックで表現されているオリジナリティーは写真史やアート史との比較、デザイン性や印刷のクオリティーなどが加味されて総合的に判断されていく。読者は、いわゆるアート写真リテラシーが高まることで、いままで見えなかったアーティストの訴えようとする時代の価値観が理解できるようになる。それを通じて自分自身をより良く理解できるようになる行為なのだ。知的好奇心を満たし、かつ自分を高めてくれる手段として取り組むことができれば、フォトブックのコレクションはライフワークとなる。
よく考えてみれば、日本では写真自体もあまりアート作品として理解されていない。デザイン感覚で評価する、アマチュアが趣味で撮影する、家族や友人間でコミュニケーションを図るツールとして認識されている。写真集の一種のフォトブックは、編集者やデザイナーが関わるので、アート作品とはより理解されにくい事情もあったのだろう。

 
その中で、唯一だが多少浸透してきたと思われるのは、フォトブックの持つ資産性だろう。アート・コレクションの対象ということは、良いものを買っておけば価値も上がるということ。値段はオリジナルプリントよりも安いもののフォトブックにも当てはまるのだ。実際に2000年代に発売されたものの中で、テリ・ワイフェンバック、マイケル・デウィック、ウィリアム・エグルストンや現代アート系アーティストのフォトブックは直ぐに完売して、古書市場で相場が上昇した。フォトブック・コレクションのきっかけを作った、アンドリュー・ロス作の、歴史的写真集のガイドブック「The Book of 101 Books」(2001年刊)自体もレア・ブックになっている。しかし、現実では短期的に完売して相場が上昇するのはごく稀に起こる現象だ。一方で新刊を良いと判断して買ったものの、洋書店のバーゲンセールで同じものを発見して落胆したという話もよく聞く。本当の評価は写真家が亡くなった後になって確定してくる。短期的な相場の上下に一喜一憂するべきではない。少なくとも洋書写真集ブームを経験したことで、フォトブックは資産価値をもつ可能性があるという事実は浸透しつつあるようだ。

現状分析をしてみよう。一時のブームは過ぎ去り、洋書店の数は激減し、様々な規模のオンライン・ブックショップが販売の中心になった。継続している洋書店や独立系オンライ・ブックショップは、価格でアマゾンに勝てないことからマニアックな写真集の取り扱いが中心になってしまった。それらは経験豊富な読者向けだ、一般の人にはかなり難解だろう。一方で、アマゾンで売られる洋書フォトブックは、明らかに情報過多の状況に陥っている。情報の整理整頓が全く行われていないのだ。私どもがアート・フォト・サイトで心がけているのは、そのようなマス・スケールで売られているフォトブックの宇宙の中からのお薦めのタイトルをセレクションしてテーマ性を解説することだ。フォトブック・コレクションには、本当に幅広い分野やカテゴリーが存在する。初心者のために、興味のある分野を見つけ出すきっかけ作りを目指しているのだ。

さて今週21日から「ブリッツ・フォトブック・コレクション・2016」が始まる。上記のような分析を行いつつ何で開催するのかというツッコミもあるだろう。実は数は多くはないものの、フォトブックの真の魅力に気付いた人は確実に増加していると考えているのだ。コレクションに興味を持つ人は、フォトブック・ガイドに掲載された絶版のレアブックにも高い関心を持っている。しかし、現状ではそれらの現物を見る機会は非常に少ないといえるだろう。同展は、そのような少数の人たちへの情報提供と啓蒙活動の一環だと考えて密かに開催する。かなりマニアックな品揃えになりそうだ。夏休み中なので、今回は日曜日を営業。フォトブックが面白いと感じ始めた人は、ぜひ立ち寄って欲しい。
 
「ブリッツ・フォトブック・コレクション 2016」
会期:7月21日(木)~ 8月7日(日)
休廊:月、火、水曜日
営業時間:午後1時~6時
 
夏休み企画として、国内外の貴重な絶版写真集、入手困難な限定写真集、
プリント付写真集を紹介するフォトブック・コレクション展を開催。
ギャラリー・コレクションからファッション写真などを中心に、珠玉の
オリジナル・プリント約22点が会場の壁面に展示される。
 
・レアブックス、絶版写真集
・オリジナル・プリント付写真集
・サイン入り写真集
・マイケル・デウィック"The End:Montauk NY"の改訂・普及版を日本初公開
・オリジナル・プリントの展示
 
・プレスリリース、画像資料は以下でご覧いただけます。
 

| | トラックバック (0)

2016年3月 1日 (火)

変貌する目黒インテリア・ストリート
ライフスタイル系消費とアート写真

ブリッツはインテリア・ストリートなどと呼ばれる家具関連ショップが多い目黒通りの近くにある。同じく小売に関わる業者として街の日々の変化を常に観察している。
約15年くらいこの地にいるが、最近はショップの入れ替わりが激しくなってきた印象が強い。特に今年になって、雑誌などでよく紹介されていた複数の有名店がいつの間にか移転していた。
Dsc00452
目黒インテリアストリートの風景(イメージ)
このところの状況を素人視線から分析してみるに、新品家具を取り扱うショップが少なくなり、中古のブランド家具専門店、一般の中古家具を扱うショップ、既製品でない手作り家具を取り扱うショップなどが増えている印象だ。取り扱われているスタイルは、アンティーク、モダン・アンティーク、ミッドセンチュリー、北欧デザイン、などとより多様化している。
視点を変えると、有名ブランドや大量生産の新品家具はアウトで、オーダー家具、手作り家具、中古家具は生き残っている印象だ。ほとんどが家具だけではなく、国内、欧州、米国のアンティーク、ヴィンテージ、骨董、古道具などの雑貨・小物、洋服類を総合的に扱うショップに変貌している。カフェも専門店は減少しているが、併設ショップは増加中だ。
 
私はマーケティングのコンサルタントでもないので、専門的な答えが出せるとは思えないが、このような変化の要因について自分なりに考えてみた。
まず上質な、自分好みの、選び抜かれたモノの中で暮らすという考えが浸透してきたようだ。これはライフスタイル系消費ということで、実際的には消費に疲れた富裕層が質の高い生活を求める場合と、収入が増えない中で充実した暮らしを求めるケースがある。多くの人はその中間に位置するだろう。
ライフスタイル系消費の人は特に新品にこだわらない。大量生産の既成品よりも、古くても個性的な家具や商品を求める傾向もある。これらは価格も比較的的安い。不況による若年層の厳しい懐事情も反映されているだろう。また販売業者にとっても中古品の方が利幅が大きいので取り扱いやすいだろう。
ライフスタイル系では、消費者の個別の商品の見立てと空間での取り合わせの能力が求められる。今までの日本、たぶん団塊から新人類世代くらいまでは、モノを全体でコーディネートする視点がなかった。ただ新品か、有名ブランドかで買い揃えてきたので、生活空間には複数のスタイルが混在していた。昭和のカオス的なインテリアを思い浮かべてほしい。その状況がどうも変化しているようだ。
今の若い世代は子供の頃から、自分で商品を選んで買ってきた。昔は、選択肢もなかったし親が買い与えている場合が多かった。いまは自分の好みのスタイルを意識する人が増え、それに合わせて家具や雑貨類を綿密にこだわって選んでいるのだ。
最近の目黒通り界隈のショップの変化は、このようなライフスタイル系消費の浸透が反映された結果なのではないか。彼らには、自分好みの商品を時間をかけて楽しみながら見て回れる回遊エリアになっているのだろう。
 
ブリッツがこの地に出店したのは、家具購入者はその延長上にアート写真を買うのではないかという発想からだった。実際、2000年代からリーマンショック前までは、同じ発想でアート作品を壁面に展示販売していたショップも存在していた。
私どもの店頭でも、都市伝説のような、自分へのご褒美でアート写真や写真集を買う若いビジネスマンや女性客が少なからず存在していた。いま思うに壁面に飾られた本物のアート作品の提案は典型的な「モノ」消費であり、ステータス消費だった。
現在は、家具ショップでの写真展示は額装した印刷物や、ポスターがほとんどだ。かつてはそれらを本物ではないと蔑視していたが、最近はどうも違うのではないかと考えるようになった。壁面に飾る写真が本物でなくても、優れた見立てと、取り合わせができると、心地よい空間創出は可能ということ。それができる人が実際に増えているようなのだ。ライフスタイル系消費が進行してくると本物というだけではアート写真は売れなくなる予感がする。もしかしたら、そんな状況は始まっているのかもしれない。実際にいまの日本では、写真はオリジナルを買うものではなく、撮影して自らが楽しみ、また家族や友人とコミュニケーションを図るものになっている。
ギャラリーの商売も、資産価値のある作品へのコレクターからの需要が中心。若手・新人は安いのでそこそこ売れるが、それ以外の中途半端な価格帯の作品の動きは非常に鈍い。
欧米では、写真は買いやすい価格帯の民主的アートだと認識されている。日本でも同じように一般の人が写真を普通に買うようになるとギャラリー関係者は考えていた。どうもその目論見は想定していた通りには進行してないようだ。

グローバル経済進展やIT革命による中間層の減少で、もはや先進国では消費ブームは期待できないという経済専門家の指摘もよく聞かれる。その大きなうねりがついに日本にも訪れつつある。ライフスタイル系消費とも本質が重なるのだが、いま人々がものをあまり買わない生活に向かっているといわれる。かつてはシンプルライフがあったが、最近は更に過激化して最小限のもので生活する断捨離やミニマリストも増加しているという。

最近のこのような消費状況は、単なるトレンドではなく、もっと大きな社会経済的な変動がその背景にあるかもしれないとも感じている。
日々複雑化するこの状況の中でアート・ギャラリーはどのように対応していくべきか、目黒通りのショップの移り変わりを横目に色々と考えている。
Dsc00453
最近はライフスタイル系ショップが増加



| | トラックバック (0)

2016年1月19日 (火)

2015年の日本マーケットを振り返る
市場の二極化が進行する

昨年は、日本で写真をアート作品として売ることの難しさを改めて実感させられた1年だったといえよう。アート写真市場の本格的立ち上がりを前提に行われてきた様々な試みが修正を迫られた。

まず2014年まで6回連続して行われていた東京フォト。私の知る限り、2015年は開催されなかった。日本は世界でも有数の経済大国で、写真市場が存在するはずと海外の関係者は考えていた。日本で開催される各種のアート関連のイベントは、そのような幻想から海外からの参加業者を集めてきた。しかし、海外勢は最低限の経費が回収できないと二度と参加しない。 東京フォトは2012年あたりをピークに海外参加者が激減した。2014年はわずか数社だけだった。
実は韓国で開催していたソウル・フォトも同じような経緯を辿っており、初回から運営を行っていた会社が2015年までで撤退するという。ともに来場者はあるものの、写真が思いのほか売れないことで商業ギャラリーの参加が減少傾向をたどってきた。
主催者は写真家の作品を展示して集客する、フォト・フェスティバル的(以下フォト・フェス)な要素を強めて生き残りを図った。しかし文化振興を目的としたイベント事業の開催は、民間ベースでは限界があったのだろう。東京とソウルの一連の流れは、2014年から経済の勢いが違う中国で上海フォトが始まったことも影響しているだろう。
しかし東京フォトの場合、主催者は強い実行力と豊かな人的ネットワークを持っている。海外から有力ギャラリーを招聘し、国際的なフォト・フェアを運営してきた実績は評価に値するだろう。日本独自のフォト・フェアの形を模索して、ぜひ再挑戦してほしい。

このように、コレクター向けの写真販売を目的とするフォト・フェアは、写真愛好家向けの写真展示、ワークショップ、レクチャーなどを行うフェト・フェス化してきた。フォト・フェスのほうがアマチュア写真家も参加しやすく、企業スポンサーも付きやすいのだと想像できる。その典型例が、写真での町興しを目的とする京都の「KYOTOGRAPHIE」だろう。
アマナが中心になって開催した「代官山フォトフェア」も、ギャラリーの販売目的から写真展示と各種イベント開催が中心のフォト・フェスへと軸足を移していた。写真雑誌PHaT PHOTOも、大田区城南島で写真愛好家向けに「東京国際写真祭」というフォト・フェスを開催している。
写真があまり売れない以上、写真関係のイベントは企業が支援する形式にならざる得ない。写真はデジタル化し、スマートフォン普及などで、急激に民主化し、いまや誰でも写真撮影する時代になった。写真はアートとしてコレクションするものというよりも、自らが撮って楽しみ、また多くの人とコミュニケーションする手段として広がっていったのだ。
今後も、愛好家が集い、互いにコミュニケーションをはかるフォト・フェス的なものが中心に開催されるだろう。

アート写真に鳴り物入りで参入してきた商業写真大手のアマナも経営方針の見直しを行っている。蔦屋と共同でインテリア写真の世界的大手のイエロー・コーナーと合弁会社を設立させた。国内ではイエロー・コーナーでの商品開発や直営店での販売、小売店への卸を通して低価格帯の写真販売に力を入れるという。商業写真で培ったアマナのノウハウが生かせそうだ。
一方でアート系は、有名作家作品をプラチナ・プリントで制作するアマナ・サルトでの海外販売を中心にするそうだ。いままでの実体験を通して得られた市場の状況認識を反映させた現実的な対応だろう。

私も香港の「イエロー・コーナー・パリ」のショップを訪れたことがある。非常に綿密にマーケティングが行われたと思われるヴィジュアル、多岐にわたる取り扱い分野の品揃え、スタッフも親しみがあった。とてもカジュアルな雰囲気で、まさに入りにくいアート・ギャラリーとは対極の場所だった。
この分野の写真販売は一般商品の小売業と同じなので、利便性のよい家賃が高い場所への出店などが求められる。また在庫を揃えた上での薄利多売のビジネスモデルなので、どうしても資本力が必要になる。まさに企業に適した写真関連ビジネスといえるだろう。全くの新市場というよりも既存の版画市場と重なるので、ある程度の市場規模は見込まれる。市場規模が拡大すれば、欧米のように商業写真家やアマチュア写真家が、写真販売で収入を得る新たな道が開けるだろう。

このような状況下でも、欧米市場で資産価値が認められている外国人写真家のプライマリー市場での取り扱い作品はそれなりに売れていた。有名写真家のセカンダリー市場での作品がかなり高価になったので、日本でも中長期的な視点での次世代の有力写真家の物色が始まっているのではないだろうか。欧米のプライマリー市場では様々なキャリアも持つ資産価値構築過程の人たちにより厚い層が形成されている。この中での熾烈な競争から将来のブランド作家が生まれるのだ。
残念ながら、そのように継続して作家活動を行い実績を上げている日本人写真家は非常に少ない。つまりこのカテゴリーへの作品供給がなく、買う側にとっては日本人写真家はなかなかコレクション対象にならないのだ。
一方で、日本人写真家による低価格帯の写真作品、欧米の有名写真家のフォトブックはそれなりに売れていた。資産価値のある作品と低価格帯作品が売れるという市場の二極化傾向は2016年も続くと予想する。

今年を展望するに、市場規模が小さい日本はともかく、実は昨年にオークションの売り上げが大きく減少した欧米市場の動向の方が気になる。いま資本主義システムの大きな構造的な変化が、世界的に起こりつつある。特に中間層がコレクターの中心だったアート写真市場にはその影響が出ているのではないかと疑っている。話すと長くなるので、この点については機会を改めて分析してみたい。

| | トラックバック (0)

2015年4月28日 (火)

セレブリティー写真はアートになりうるか?
テリー・オニール作品人気の秘密

世の中には各界のセレブリティ―を撮影したポートレート写真を取り扱うギャラリー、販売店が数多くある。そのなかには、いわゆるブロマイド的な被写体のみに価値が置かれた写真と、写真家の作家性と被写体の知名度がともに愛でられたアート作品として認知されている写真とが混在している。これは、ファッション写真と同様の構図で、そこにも単に洋服の情報を提供するだけのものと、撮影された時代性が反映されたアート性を持つ写真がある。

セレブリティ―を撮影したポートレート写真がアート作品になるかどうかは、被写体と写真家、エージェントと写真家との関係性により決まってくる。まず被写体と写真家が同等のポジションでないとアート作品になりうる優れた写真は撮影できない。多くの場合、撮影される機会が多い有名人は、どのようなアングルやポーズで撮ってもらうと見映えが良いかを熟知している。被写体がリードして、写真家に一般受けするありきたりの写真を撮らせることが多い。それらは被写体メインの写真といえるだろう。
しかし彼らがキャリアの転換点などで、いままでにない新しい写真を撮って欲しい時に世界的に知名度が高い有名写真家に依頼する。だいたい彼らは友人関係のことが多い。そのような時には、被写体は写真家とともに一種のアート作品を共に制作するような意図を持つ。それらは写真家の自己表現の作品であるとともに、被写体とのコラボ作品にもなり得るのだ。

いま東京で写真展を開催中の英国人写真家テリー・オニールを例にこの関係性を詳しく説明してみよう。
彼が、セレブリティ―たちと親しくなれたのはとても幸運だったからなのだ。時は1963年のロンドン。彼は新聞社の若手スタッフ写真家だった。若者に人気のあるバンドがアビーロード・スタジオでレコーディングしているので誰かが撮影することになった。彼はミュージシャンらと同年だったことから早々に現場に派遣される。
それが、1962年にシングル・デビューしたばかりのビートルズ。その時は1963年春に英国で発売されるファースト・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」の収録だったのだ。スタジオの裏庭で撮影された彼の写真はバンドの初公式写真となった。それらは一般紙に初めて紹介され、掲載紙は瞬く間に完売したという。

Blog
“The Beatles, London, 1963” Terry O'Neill

それがきっかけとなり、彼はまだ無名のザ・ローリング・ストーンズやデビット・ボウイを撮影することになる。彼らが親しくなったのには年齢が近いからだけではなかった。実はテリー・オニールは、写真家になる前はジャズ・ドラマーを目指していた。彼は当時のバンド・メンバーより、自分の方が技術は上だったと語っている。彼らはミュージシャンであるという共通項があったから瞬く間に親しい関係になったのだ。
周知の通りに、ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、デビット・ボウイはその後に世界的なスターに上り詰めていく。それに伴って、彼らを初期から撮影していたテリー・オニールのステイタスも上昇していく。音楽界だけにとどまらず、映画界、政界から撮影が殺到するようになる。その後、世界的な女優フェイ・ダナウェイと一時期結婚していたことで、彼自身がセレブリティ―写真家として広く認知されることになるのだ。
英国エリザベス女王、ライブ・エイドやFー1の集合写真、英国歴代首相、007シリーズなど、特別な舞台での撮影に彼は英国を代表する写真家として指名されるようになる。テリー・オニール作品の中には、ブリジット・バルドー、ロジャー・ムーア、ラクウェル・ウェルチ、フェイ・ダナウェイなどの被写体自身もサインをいれた作家とのダブル・サイン作品もある。彼がどれだけ親しい関係を継続しているかの証しだろう。

撮影を依頼するエージェントと写真家との関係性はどうだろうか。アート作品になるかどうかは、撮影時にどれだけ自由裁量が写真家に与えられるかによる。有名写真家になるほど、撮影スタイルが確立している。依頼主は完成する写真が想像できるので写真家の自由度が高くなる。テリー・オニールの活躍した60~70年代のファッション、ポートレート写真では比較的に自由に仕事ができたそうだ。編集者が力も持つグラフ雑誌のフォトエッセーよりははるかに自由度は高かったといえるだろう。
80年代から次第に撮影に制限が加えられるようになったという。ファッションや出版メディアがビック・ビジネスとなり、彼らが様々な事態を想定して自己規制を行うようになったのだ。健康被害を思い起こすタバコ、宗教的、人種差別、性差別などに事前に配慮したヴィジュアルが求められるようになるのだ。その後、自由な表現を追求したい写真家とエージェント、クライエントとの戦いが繰り返されることになる。多くの写真家は、この分野の自由な表現の可能性に見切りを捨て、業界を去ったりファインアートを目指すようになる。21世紀になりデジタル化が進行したことで、写真家に与えられる自由裁量はさらに狭まるのは多くが知るところだ。
最近ではクライエントやデザイナーの指示でカメラを操作するオペレーターのような存在になっている。このような不自由な状況では、かつてのようにポートレート写真から時代に残るようなアート作品が生まれ難くなってしまった。テリー・オニールがいま撮影をしない理由は、77歳という年齢だけではないのだ。最後の自分が納得のいった仕事はネルソン・マンデラの撮影だったという。

セレブリティ―写真がアートになるには、上記の前提とともに写真家のアート性も重要だ。テリー・オニールは世界的なセレブリティ―たちの自然な表情のポートレートを撮影することで定評がある。その一種のドキュメンタリ性を兼ね備えた作風が広くアート界でも認識されているのだ。
彼は自然な表情を撮影するための環境造りが重要で、あとは瞬間を切りとるだけだと語っていた。最も尊敬する写真家はユージン・スミス。彼も撮影環境作りを重視し、被写体が写真家を意識しなくなるまでカメラを取り出さなかったという。テリー・オニールも、同じアプローチを実践している。彼は時に被写体と行動を共にし、 また姿を隠したりしてシャッターチャンスを待ったという。
彼は写真家として成功する秘訣は、あまり目立たないことだといっている。その意味は最初は良くわからなかったが、いろいろ話してみて、被写体にとって写真家が自然の存在になることで良い写真が初めて可能になるという意味なのだと分かった。彼の写真は、セレブリティーが被写体のドキュメンタリーなのだ。そしてこれはアーヴィング・ペンが白バックで有名人のポートレートを近寄って撮ったことで知られるのだが、セレブリティ―の顔自体が時代性を反映しており、それらは広義のアートとしてのファッション写真であるとも解釈できるのだ。

アート作品と評価されるには、受け手となるオーディエンスが暮らしていた時代背景も重要になる。戦後から90年代前半までは、先進国の多くの人たちが、「明日はより経済的に豊かになれる」という共通の将来の夢が持てた時代だった。そのような気分が反映されていたのが、テリー・オニールの写真だった。いまは人々が持つ価値観は多様化してばらけてしまった。現代の写真家がそれを、世の中から拾い出して社会に提示することが極めて難しくなってしまった。それゆえ、多くの人が共通の夢が見れた時代に対する懐かしさを持つようになる。それらはビートルズなどの音楽や、60~80年代のファッション写真であり、テリー・オニールのポートレート写真なのだ。
21世紀の現代は、多くの人に共通に愛でられるアート作品になり得る、セレブリティー写真、ファッション写真が非常に生まれにくい時代になってしまった。 いまのテリー・オニールの世界的なブームはそのような状況で、過去の優れた写真家を再評価しようというアート界の流れから生まれているのだ。

一般の人にとって、セレブリティーが被写体の写真はみんな同じようにみえるかもしれない。しかし、将来的に資産価値を持つアート作品と、それ以外のブロマイド的作品とがあるのだ。コレクションを検討するときは写真の表層だけではなく、写真家のキャリアや作品が生まれた背景についても綿密に調べてみてほしい。

-------------------------------------------------------------
テリー・オニール 写真展
“Terry O’Neill: 50 Years in the Frontline of Fame”
(テリー・オニール : 華麗なる50年の軌跡)
-------------------------------------------------------------
インスタイル・フォトグラフィー・センター
2015年 4月23日(木)~5月10日(日) 午後1:00~6:00/ 入場無料/ 月曜日は休館

*5月3日、10日(日)の午後2時30分よりギャラリストによるフロア・レクチャー開催!
 予約不要、参加無料

〒106-0047 東京都港区南麻布5-2-9 地下1階  http://www.instylephotocenter.com/Information.html

5月20日よりは目黒のブリッツ・ギャラリーで開催。

| | トラックバック (0)

2015年3月17日 (火)

アート・ギャラリーの存在意義とは
都会のコミュニティになり得るか?

現在の日本社会、特に都会においては人と人とのつながりが希薄化し個人が孤立傾向を深めているといわれている。無縁社会といわれるように、人は数多くいるものの、隣人が誰か知らないような社会なのだ。更に悪いことに、戦後社会における日本人の共通価値観だった経済成長もいまや望めない状況だ。そのような状況で、多くの人はやむなくネット空間に自分の居場所を見つけようとしたりしている。
かつて「孤独な都市風景」という、グループ展を企画開催したことがあった。新人、中堅写真家中心の展示であったが、マスコミでの評判も良く非常に幅広い年齢層の人が来廊した。都会住民はみな孤独を抱えていて、それが反映された風景写真を見てみたいという気持ちにかられたのだろうと分析した。

アート・ギャラリーの社会での存在意義は、孤立した個人が住む都会でのコミュニケーションの場としてだろうと考えている。好きなアーティストや作品、被写体のことを語り合うことで他人同士がつながる可能性を持つ場所になり得るのではないか。まったくの他人どうしがギャラリー空間で初めて会い、いきなり作品について自由に語ることができる。

ただしそれには前提がある、来場者やギャラリー関係者がある程度の知識、情報量、作品理解力を持っていなければならない。いわゆるアート写真リテラシーを持つ人どうしの場所ということだ。このようなコミュニティとしての機能が働かないギャラリーは単にアート・テイストの商品を売るショップでしかないだろう。
また、いま存在する多くのギャラリーは、従来の共同体的コミュニティになっているとも感じている。写真展を見に行ったが、常連のような人が集っていて居心地が悪かった、ギャラリーの対応が冷淡だったという経験を持つ人も多いのではないか。アーティストやギャラリー関係者が中心になり、利害が同じであったり気の合う人たちだけで集い、外部に対して排他的な空間を作り上げているのだ。

Blog
“Keith Richards, Brussels, 1976” (C) Gijsbert Hanekroot

ところで、現在ブリッツで開催中のギスバート・ハイネコート写真展「70’s ロック・フォトグラフィー」では、来場者との会話が弾むことが多い。彼らはハイネコートが撮影した60~80年代前半までの音楽を実体験しており、ミュージシャンに対する数々の思い入れがある。音楽を聞くだけでなく、ミュージシャンの楽曲制作の時代背景や互いの影響などの数々の情報を持ち、LPジャケットのグラフィック・デザインや写真を愛でている。
撮影年にその人がどのアルバムを発表して、どのような境遇だったかまでも知っているのだ。作品にはハイネコートによる英文のエピソードが添えられているが、多くの人がそれを読んで反応している。まさにロック音楽リテラシーが高い人たちが多いのだ。
店頭では写真集「ABBA to ZAPPA」を販売している。アーティストが日本では無名なのでそんなに売れないと見込んでいた。しかし、ロック音楽リテラシーが高い人たちは、ヴィジュアルを通してハイネコートがミュージシャンたちと高いコミュニケーションをとっており、音楽雑誌などで見るブロマイド的イメージを超える高レベルの写真を撮影していたことを理解してくれるのだ。ハイネコートは記録目的でロックシーンを撮影していたのではない。ミュージシャンのメッセージに共感して、彼らの生き方が好きだったから撮影していた。
それ故に80年代になりミュージシャンのメッセージ性が希薄になり、お金儲け優先になり、撮影の自由が制限されるようになるとロックシーンの写真撮影をきっぱりと止めているのだ。今回の来場者は、彼と同様のスタンスで当時の音楽に接していた人たちなのだろう。同類の匂いを感じるがゆえに彼の写真を愛でてくれてるのだと解釈している。なんと写真集の初期入荷分は直ぐに完売して慌てて追加分を取り寄せた。

アート写真リテラシーという言葉の意味は、このロック音楽リテラシーと同じようなことなのだ。写真展やフォトブックを継続してフォローする中で、自分がどんなテーマ、コンセプト、ヴィジュアルを持つアート写真に共感できるかを把握できるようになることなのだ。しだいにそれらが関連付けられて、好きなアーティストのリストが出来上がっていく。

ギャラリーは、何かが好きで、その情報を共有する人たちの、とてもゆるい繋がりの都会的なコミュニティになる可能性がある。誰しも自分の好きなことを、同じ趣向の人と話すのは好きだし、気持ち良いのだ。
ギャラリーがコミュニケーションの場になってもビジネス的にはどうだろうか。日本ではアートは鑑賞するものといわれているではないか、というツッコミもあるだろう。それは今後どれだけアート写真コレクションに興味を持つ人が増えてくるかによると考えている。ギャラリー店頭で日々多くの人と接しているが、アート写真リテラシーの高い人は確実に増加していると感じている。彼らは、単に商品として作品や写真集などを購入するのではない。知的遊戯としてのコレクションを楽しんでおり、ギャラリーという場と時間を消費しているのだ。
まずギャラリーが高いレベルの情報交換やコミュニケーションの場として機能しなくてはならない。ビジネスはその先に生まれてくるのではないだろうか。

| | トラックバック (0)

2015年3月10日 (火)

2015年アート写真市場がスタート
最新オークション・レビュー

最近は、クリスティーズ、ササビーズ、フィリップスの大手オークションハウス主導でアート写真がラグジュアリー・アート化してきた。そのような状況下、中小業者の市場での棲み分けと役割がかなり明確になってきた感がある。だいたい1万ドル(約120万円)以下の低価格帯中心の、伝統的な20世紀写真の取り扱いに特化する傾向が強くなってきたのだ。
それは大手が取り扱わない、価格帯、分野に専門性を発揮していくということ。大手は、優れた作品中心に出品作をかなり絞り込んでセレクションする。写真史や、カテゴリーも意識した上で出品作を調整してカタログを制作してくる。そして、過去に不落札になった作家の作品には冷たい。彼らは売却希望者の作品をすべて取り扱うのではないのだ。
中小はといえば、まったく逆の対応をする。市場性がない作品、落札予想価格の低い作品、無名な写真家の作品、作家のサインのない作品、作者不詳の作品、場合によってはプレスプリントまで取り扱ってくれる。一部のロットについては最低落札価格を設けない、いわゆる成り行きの入札が採用されるケースもある。
かつては大手が取り扱っていたフォトブックも中小が専門に取り扱うカテゴリーになりつつある。

中小業者にとってオークション開催時期も非常に重要になる。大手3社は、春と秋に大規模なオークションをニューヨークで開催する。それに続いて欧州のパリ、ロンドンなどで中規模のものを行うのが年間スケジュールとなる。中小業者はそれと重ならない時期を選んで開催する。それがちょうど今の時期にあたる。 2月にスワン・ギャラリー、3月にブルームスベリーでアート写真オークションが開催されたのでその結果のレビューをお届けしよう。

スワン(Swann Auction Galleries)ニューヨークは2月19日に"Fine Photographs"を開催。いよいよ2015年のアート写真オークション・シーズンが始まった。出品作品は173点で落札率は約72%、総売り上げは約93万ドル(約1.12億円)。昨年12月のオークションよりは数字は改善しているものの、驚きのない標準的なオークションだった。
最高額はヘルムート・ニュートンの"Portrait of Karl Lagerfeld in Paris, 1976"。これは72.4x113 cmサイズの大判作品。ほぼ落札予想価格下限の75,000ドル(約900万円)で落札。ラガーフェルドとニュートンという、大手が得意とする典型的アイコン&スタイル系の人気がここでも高かった。カタログの表紙だった、森山大道のシルクスクリーン作品"Kuchibiru  (Black)" は不落札だった。

Swann_finephotograph20152
Swann  Auction Galleries

ブルームスベリー(Dreweatts & Bloomsbury)ロンドンは、3月5日~6日にわたって、 単独コレクション・セールの"19th and 20th Century Photographs from a Private Collection"と、複数委託者による"Photo Opportunities"を開催した。
結果は、前者の出品作数は213点で落札率は約75%、総売り上げは約32.6万ポンド(約6136万円)。後者は、出品作数は245点で落札率は約56%、総売り上げは約13万ポンド(約2447万円)だった。
36136
Dreweatts & Bloomsbury

最高額は、単独コレクション・セールでのジュリア・マーガレット・キャメロンによる鶏卵紙プリント"The Dream, 1869"。1.86万ポンド(約350万円)で落札された。カタログ・カヴァーを飾る、エドワード・スタイケンのシルバー・プリント"Eva le Gallienne, 1923"は4000ポンド(約75万円)だった。同社の結果も、昨年11月より数字は改善しているものの話題の乏しいオークションだった。
少しばかり気になるのが、同社がオークションの一部で取り扱っているフォトブック分野の低迷だ。落札率は、昨年11月が約58%、今回はさらに悪化して約37%だった。フォトブックは低価格帯のアート写真作品のカテゴリーに含まれる。この分野の低調を象徴している存在で、明らかに一時期のフォトブック・コレクションに対する熱狂は冷めている。
世界経済は原油価格低下や長期金利低下により消費中心に改善傾向にある。特に富裕層は、世界的な金融緩和による資産価値上昇で潤っている。一方で、デジタル・テクノロジーの進歩と経済のグローバル化を背景に中間層の所得はいまだに低迷。今回の結果は、中低価格帯アート写真の主要コレクターである中間層からの需要低迷が反映されていると考える。
高額セクターの好調と、中低価格セクターの低調という、市場の二分化が相変わらず続いている。金融市場の世界的な長期金利低下とともに、この状況は景気循環というよりも何かもっと大きい構造的な変化ではないかと感じている。この点についてはもう少し情報を集めて分析を行いたい。

それでは2015年の高価格帯の写真市場ははどうだろうか?次回のオークションレビューでは、先月にロンドンで行われた現代アートオークションでの写真関連の結果を分析したい。
(為替レート:1ドル/120円、1ポンド/188円で換算) 

| | トラックバック (0)

2015年3月 3日 (火)

ピーター・リックの7.8億円写真と
アート・フェア用の抽象絵画
勢力拡大するする高額インテリア・アート

最近の欧米のアート・メディアで話題になっていて、私が注目しているのが「ゾンビ・フォーマリズム(Zombie Formalism)」とピーター・リック(Peter Lik)の高額写真作品だ。アート系情報を取り扱うウェブサイトでも頻繁に取り上げられるので、聞いたことがある人も多いだろう。絵画と写真でまったく異なる分野のアート作品の話題だが、報道される視点はかなり似通っている。欧米のアート界の現状を象徴している現象ともいえるので紹介しておこう。

「ゾンビ・フォーマリズム」は、アーティスト・批評家のウォルター・ロビンソン氏が指摘する最近のアート・トレンド。ゾンビは死体のまま蘇った人の総称。直訳するとゾンビのように蘇った、型式主義のフォーマリズムという意味になる。
それは、35歳以下の比較的若い男性アーティストが制作した、見やすく、内容が希薄な、マンネリ化した抽象作品のことをさしている。インテリア・コーディネートに向いていて、売ることを主目的に制作されている作品の総称ともいえる。それらが、アートフェアで良くみられることから、アートフェア・アートともいわれている。
また、これらは2010年代に急増したアートで投機を行う裕福なコレクターたちの対象になっている。彼らはオークションなどを通して短期間に売買を繰り返し、値段を何10倍に吊り上げたりする。有名アーティストと違い、当初の値段が安いので結果的に非常に高い利回りの投資となるのだ。まるで株式公開(IPO)投資と同じだと指摘されている。
これはまさにアート・バブルそのもので、ブームが去るとそのアーティストの相場は急激に縮小してしまう。それは店頭公開した企業が倒産するのと同じ現象だ。

ピーター・リック(1959-)はオーストラリア出身の風景写真家。アート界での知名度がほとんどないが、昨年"Phantom"という1点もの作品が6.5mioドル(約7億8000万円)でコレクターに売れたと自らがプレスリリースを発表して話題になった。

作品画像と英文のプレス・リリース

NYタイムズによると、彼は大量生産の絵画風プリント販売で知られるトーマス・キンケードの写真バージョンのような存在であるとのことだ。作品は彼が経営する約15のギャラリーで販売される。それらはハワイ、ビヴァリー・ヒルズ、キーウェスト、マイアミなどの観光地にあり、アートの知識がないお金持ち相手に商売している。限定エディションが995点、最初は4000ドルで販売を開始。売れるごとに、将来的な供給が減ることから値段をステップアップする方式をとっている。ギャラリーでの作品販売価格が上昇するので、買った人は所有作、の資産価値が上がったように感じる仕組みなのだ。エディション数が異常に多いものの、これはアート界では一般的に行われている手法だ。
しかしアート写真の資産価値を証明するオークション市場での取引実績はほとんどないことから、彼のやり方に対して業界内で議論を引き起こした。私も2013年のデータを調べてみたが、大手オークション業者の取引実績はなく、中小業者でわずか4件が出品されていた。最高額はわずか2500ドル(約30万円)だった。6.5mioドルの取引実績はセカンダリー市場の相場とかけ離れており、今回の発表は彼の作品の既存コレクターや、自身のギャラリーでの販売促進策だったのではないだろうか、という疑念がわいてくる。
まるで日本でもおなじみの、イベント会場で販売されるハッピー系のプリントと同じではないだろうか。

上記の2例は、アート・コレクション経験の浅い人たちや、単にアートを投機の対象とした人たちがターゲットになっている。シリアスなアートコレクションを行うためには、相当量の勉強と経験が必要になる。それは歴史を勉強して、美術館やギャラリーを回って多くのよい作品を見て、ディーラーやアーティストから情報を集めることだ。その積み重ねの上で自分なりのアートを見る視点が構築されていく。しかし、そんな面倒なことはしたくないが、壁に飾るアートが欲しい、短期間に値が上がるアートが欲しいという人もいる。彼らは、多くのギャラリーが一堂に集まるアートフェアや旅先のギャラリーに行き、自分のフィーリングにあったアートを買う。旧来のギャラリーが衰退して、アートフェアが活況を呈している背景には新しいタイプの裕福なコレクターの増加があるのだ。

このような事象が話題になるのは、欧米のアート界の根底にはお金儲けのためのインテリア系アートとオリジナリティーを追求するファイン・アートは別だという認識があるからだろう。アーティスト、ギャラリー、アートフェアでも明確な区別がある。市場が拡大するとどうしてもアート・リテラシーが低い富裕層が市場に参加してくる。 そうなると、マーケティングが行われて、彼ら好みの作品が大量に供給されるようになる。彼らを想定して商品開発されたのが「Zombie Formalism」の抽象絵画とピーター・リックの写真作品なのだ。やがてアートの歴史に足跡を残すよりも、お金儲けを優先する業界関係者の存在感が大きくなっていくのだ。
アート界では、これらのアート性があいまいな作品や作家の存在は、市場拡大時の必要悪としてある程度までは黙認されている印象もある。その存在感が一定のレベルを超えて目立ってくると、評論家・アート・ライターなどの専門家による区分けを明確にする行動が顕在化する。新しいコレクターは、ファイン・アートとインテリア・アートの区別がつかない。両者に違いがあることすら認識されていない。特に写真に関してはその傾向が強い。専門家は警告を発して、バブルを鎮静化させて、市場の健全化を図ろうとする。この辺が西欧アート界のシステムの良心であり、バランス感覚だと感心してしまうところだ。
翻って日本には、このようなアート界のお目付け役的なメディアの存在感が感じられない。特にアート写真に関しては、感想を述べる専門家はいるが、市場を俯瞰して問題提起したり批評する人は非常に少ない。

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧