2017年5月10日 (水)

テリ・ワイフェンバック
2冊の展覧会カタログ

IZU PHOTO MUSEUM で開催中のテリ・ワイフェンバックの「The May Sun」展。待望の展覧会カタログが完成して今週になって手元に届いた。展示は4月9日からスタートしたのだが、美術館はアーティストの来日を待って色校正やデザイン確認を行った。印刷所で本人立ち合いで色味の調整を行っているので、かなりアーティストの意図に近い完成度の高い仕上がりになっていると判断できる。
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「The May Sun」 Izu Photo Museum, 2017

同展の中心展示は「The May Sun」、「The Politics of Flowers」となる。カタログのカバーは、この主要2シリーズを表現するための苦心の跡が見られる。ウグイス色の布張りの装丁と、銀色のタイトル名とアーティスト名の印字で「The May Sun」を表現しつつも「The Politics of Flowers」からのモノクロの押し花のイメージを貼り付けている。図版は前半で伊豆の自然の八百万の神を表現したカラー作品24点、映像作品「Gotemba approach to Mt.Fuji」からシークエンス作を含む8点、そして「The Politics of Flowers」約60点を収録。
やや専門的になるが、カラー作品とモノクロ作品が混在すると、それぞれの色味のトーンをアーティストの意志通りに揃えるのが非常に難しくなる。本書では、なんとカラーとモノクロの印刷別に用紙を変えてこの難問を解決している。
前者は彼女の代表的フォトブックを参考にしつつ、オリジナルの質感再現を目指して採用したそうだ。後者のマット系用紙は、実際の展示作品に近いものをわざわざ探して選んだという。オリジナルに近い印刷を目指すとは、凄いこだわりだと思う。もちろん制作コストもかさむわけで、美術館のアーティストへの多大なリスペクトと配慮を感じる。
全体のデザインはナズラエリ・プレス(Nazraeli Press)から刊行されたワイフェンバックの過去のフォトブックが強く意識されている。今までに刊行された彼女のフォトブック・デザインは非常にシンプルで、個別作品タイトル・リストが記載されていない場合もある。本カタログもそれらが踏襲されている。日本では、デザイナーが自己主張しすぎて写真を素材としか見ていないように感じられる場合が多い。写真家の側もデザイナーに頼りすぎて、実際に丸投げしたりする。本カタログは写真が中心となり、それが生かされた好感が持てる仕上がりだと思う。
 
「The May Sun」展には、伊豆で撮影された作品展示とともに、過去に制作した「The Politics of Flowers」を組み合わせることで、いままでの一連の作品を新しい視点から見せたいという意向がある。(詳細は以前に紹介したレビューを参照してほしい。)それゆえ、同展カタログは、単に展示作を収録したのではなく、アーティストの自己表現であるフォトブックだと判断すべきだろう。
同展のテーマやアイデア、またコンセプトがアーティストから語られていないと感じる人もいるかもしれない。しかし、欧米ではアーティスト・ステーツメントが求められるのは学生や新人アーティストなのだ。ワイフェンバックのような20年以上のキャリアを持つアーティストは、評論家、編集者、キュレーター、ギャラリストなどのまわりの専門家が展覧会の視点や歴史的な意味を語ってくれるのだ。本カタログにも、サラ・ケンネル(ピーボディ・エセックス博物館)、山田 裕理(IZU PHOTO MUSEUM )の文章が掲載されている。またアート系だけでない多様なメディアによる展覧会レビューも重要になる。日本における、写真展の情報提供と感想が語られるだけの展覧会紹介とはかなり違うのだ。
実際に、彼女の過去の多くのフォトブックにもアーティストのメッセージや解説などが記載されていない。欧米のアート界では、作品制作するアーティスト、展示するギャラリーや美術館、評価・解説を行う評論家、文筆家、編集者の分業が成り立っている。やや気になるのが、どれだけ多くの欧米のアート界の人たちが彼女の伊豆での展覧会を見に来て語ってくれるかという点だ。それには美術館の国際的な広報活動の成果が問われることになるだろう。
 
IZU PHOTO MUSEUMによると、「The May Sun」展覧会カタログの発行数は1000部で、販売価格は3780円(税込)。洋書で同様のフォトブックは倍以上で売られている。たぶん会期終了までには完売して近々にコレクターズ・アイテムになると思う。

ブリッツでも「Certain Days」全展示作品と展示フォトブックを掲載した小ぶりのカタログを制作している。表紙は「In Your Dreams」からの作品。いままでの彼女の出版物では表紙の写真は独立して扱われてきた。今回はあえて写真上にタイトルとアーティスト名を重ねたデザインを提案してみた。ワイフェンバック本人は、とても綺麗なカタログだと文句ひとつなく了解してくれた。

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「Certain Days」 Blitz Int'l,2017
こだわったのが、フォトブックのパートだ。コレクターの資料になることを意識して、彼女の代表的なフォトブック情報をマニアックに紹介している。
写真集は、アーティストの自己表現として認識されているフォトブック、第3者がアーティストの作品を編集したモノグラフやアンソロジー、展覧会の資料的価値の強いカタログに分けられる。ただし優れたキュレーター、評論家が編集したものはフォトブックに含まれることもある。今回は私どもがフォトブックと判断したものを選んで紹介している。
こちらは通常版の限定350部が1400円(税込)、サイン付リミテッド・エディション50部4,320円(税込)で販売中。
 
「The May Sun」カタログはブリッツの店頭でも販売予定。「Certain Days」カタログもIZU PHOTO MUSEUMでも販売している。2冊揃えることで、テリ・ワイフェンバックの約20年のキャリアを俯瞰できるだろう。
なお、デジタルカメラで撮影された最新作は「As the Crow Flies」展カタログ(限定400部、2160円(税込))で見ることができる。こちらも2カ所の会場で購入可能だ。
 
『The May Sun』
NOHARA、2017年刊 /日英バイリンガル/
寄稿:サラ・ケンネル
ハードカヴァー:120ページ、サイズ 約305x232mm、
多数の図版を収録
3780円(税込)
 
『Certain Days』
Blitz International、2017年刊
パーパーバック:38ページ、サイズ 約210x148mm、
多数の図版を収録
通常版限定350部:1400円(税込)、サイン付リミテッド・エディション50部 4320円(税込)
 

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2017年3月 8日 (水)

写真集レビュー
ウィリアム・エグルストンは何ですごいのか
"The Democratic Forest: Selected Works"

ウィリアム・エグルストン(1939-)は、ときに"シリアス・カラー写真の父"と呼べている現代アメリカを代表する写真家。大型カメラを使ったシャープ・フォーカスで色彩豊かなカラー写真で、アメリカ南部土着の風景や人々の生活を感傷的に撮影している。彼は、生まれ持った洗練された色彩、フォルム、構図の際立った認識力を駆使して、何気ない日常風景を巧みに詩的風景へと高めていく。多くの人は彼の作品の中にアメリカの原風景の残り香を見出し共感してきた。 市場での評価も非常に高く、最近では2015年秋のフィリップスNYのオークションで代表作"Memphis, 1969-1970"が30.5万ドル(約3500万円)で落札されている。

エグルストンは、80年代に撮影した作品を1989年に"The Democratic Forest" (Doubleday刊)として発表している。"その他より違う特定の重要な主題は存在しない"と語るように、彼は高尚な主題に対するのと同様の複雑さと重要性をもって、非常にありふれたものにも取り組んでいる。同シリーズは、彼の民主的なヴィジョンを示唆した代表作品として知られている。

2015年ドイツのSteidl社は、この"The Democratic Forest"シリーズから約1000点以上がセレクションされた10分冊の豪華本を刊行。本書では、このエグルストンの代表プロジェクトの中から特別な作品68点をセレクション。2016年秋にニューヨークのギャラリーDavid Zwirnerで開催された写真展の際に刊行されている。

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本書の序文はスタンフォード大学のアートと美術史を専門とするアレキサンダー・ネムロフ(Alexander Nemerov)が担当。今回はエグルストン写真に対する彼のエッセーを取り上げてみたい。
アーティストのアイデアやコンセプトのオリジナリティーの評価は歴史との対比で語られる。ネムロフ氏のエッセーで興味深かったのは、作品に対する感覚的な印象やフィーリングも、多方面の歴史との対比や類似性で語られていることだ。既に多くが語られつくした感のあるエグルストンに対する新たなアプローチといえるだろう。本人の感覚と豊富な知識が駆使されて書かれた文学的な内容の文章なので、はっきり言ってよく理解できない面もある。しかし、ただ単に自分の感想を述べるのではないのだ。作品を感覚的に述べる際に参考になるだろう。
まずエグルストンの写真が持つカラーの効用について。それが米国文化で一般的な祭りやフェア、大行進のフィーリングを醸し出しているのを、画家ウォルト・クーン(Walt Kuhn)作品を引用して指摘している。また彼の作品の持つ"空虚感"を、ルネッサンス期のイタリア人画家ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)と類似していると指摘。米国人画家エドワード・ホッパー(Edward Hopper)作品の無人のインテリア図版が紹介されているが、彼の絵画は人の気配を感じるのでエグルストン作品とは違うとしている。また現代アートの先駆け的な作品で知られるマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)からの影響にも触れている。

引用の範囲はミシシッピィ出身の小説家のウィリアム・フォークナーにまでおよぶ。彼の自分を見下げたような感覚をエグルストンの写真にも見ている。エグルストン作品の持つ不完全さ、緩い感じにフォークナー作品の諦観力との類似性を発見し、それが作品の永遠性を呼び起こすと指摘。このあたりの分析は、両者の作品に精通したネムロフ氏ならでは。ある程度の前提知識を持たないと理解し難い箇所だろう。

写真家では、フランス人のウジェーヌ・アジェ(Eugene Atget)がエグルストンの先例として紹介されている。典型的アメリカンの対象物とパリの街並みという、まったく違うモチーフが撮影されている。しかし二人の写真は一連の大きな流れで撮影されていると指摘。それらは、写真家の内側から出てきた衝動というよりも、彼らの置かれた世界の環境により駆り立てられた面が強いのではないかと分析。それにより、共に写された世界の永遠性の気分を強く感じる写真にしているということだ。私は、当時の二人の写真家の背景にあった時代や社会が激動する予感が、作品制作に駆り立てたと理解した。ネムロフ氏のいう永遠性は、その価値観がもはや存在しないから感じたのだろう。エグルストンやアジェの写真でよく言われる、懐かしい感じや古き良き時代の残り香などと近いニュアンスではないか。
 
エグルストンが何ですごいのか。今回は一例だが、それは彼の作品のなかに上記のような極めて多様な分野の歴史との対比、分析、見立てが可能だからだ。ネムロフ氏のエッセーのように、優れた作品の場合はその印象を語るときさえも、それが可能になる。このようなエッセーは、比較対象される歴史の知識を持たないと難解となる。写真なのだが絵画の評論とまったく同じなのだ。
誰かがこの役割を果たさないと、写真は単に物質的な意味にとどまる。表層が語られるだけで、アート表現の一部には含まれないのだ。特に日本では写真はアートとは別の独立した存在だと考えられている。ここの部分の仕事が成立しない状況にもなっている。写真と関係のない、美術史専門家や文芸作家ならば、より自由に興味深い視点や感想を提示できるのではないだろうか。

写真集の紹介は以下からどうぞ

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2016年10月25日 (火)

フォトブック・レビュー
"Ellsworth Kelly: Photographs"
(Aperture、2016年刊)

エルスワーズ・ケリー(1923-2015)は、シンプルでエレガントな絵画や彫刻で知られるミニマリスト系の米国人アーティスト。互いに厳密に分割された色面によって構成されたハード・エッジやカラー・フィールドの絵画で知られている。
実はケリーは1950年頃から借りもののライカで写真撮影を行ってきた。彼の写真作品の一部は、1987年に全米を巡回した「Ellsworth Kelly: Works on Paper」展で、スケッチ、ドローイング、コラージュとともに紹介されている。しかし写真作品は長らく忘れ去られていて、最近になって再発見されたとのことだ。たぶん写真自体がアート表現になり得るという認識が本人にも取り扱いギャラリーにもなかったのだろう。
今回の写真集は2016年春にニューヨークのMatthew Marks Galleryで開催された展覧会に際して刊行されたもの。1950~1982年までに撮影されたモノクロ写真約42点が年代ごとに収録されている。
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"Ellsworth Kelly: Photographs"Side walk, LA, 1978 (Page 85)

 

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"Ellsworth Kelly: Photographs"Barn, Southampton, 1968 (Page 31)

 

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"Ellsworth Kelly: Photographs"Curve Seen from a Highway,Austerlitz, 1970(Page 39)

 

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"Ellsworth Kelly: Photographs"Doorway Shadow, Spencertown, 1977(Page 69)

 

Ekp5
"Ellsworth Kelly: Photographs"Hanger Doorway, St.Bathelemy, 1977(Page 79)

いまでは、彼の写真はドローイングやコラージュとともに絵画創作の重要なソースだと考えられている。彼は、"写真は私の作品に対して啓蒙的であって欲しいと考えている。それはただの良い写真ではない。しかし写真から絵画が生まれるわけではない"とも語っている。

彼が提示する抽象的な写真世界は、絵画で表現される様々なフォルムと重なっていると感じられる。写真では、3次元の世界が2次元になる。彼はそこに写真空間独特のフォルムを探求している。視覚に入ってくる様々なフォルムは自分の視点が動くと常にに変化する。彼はそのような世界を見る行為の中で、奇跡的なバランスを持つ瞬間を見つけ出そうとしている。
本書では、彼の視覚が木や枝葉などの自然から、しだいに風景、人工物、ストリート、家屋、壁などに広がっていく過程が垣間見れる。特に1968年には、ロングアイアランドの農家の納屋を重点的に撮影。そこに写されている、小屋の扉や壁面により分断される様々なパターン、屋根の形状などは、絵画や彫刻と類似している。
その他の写真では、太陽光線に照らされた明るい場所と影の部分との対比、新たに舗装された部分がある歩道、ペイントされた道路上の白いライン、割れた窓ガラスの一部分、
雪に覆われたカーブした丘陵地帯、地下室への入り口の開放部分などが表現されている。
彼の研ぎ澄まされた視覚は、実体のない、ありそうもない場所で、驚くべき魅力的なフォルムを発見している。

ケリーの写真は、モノクロによる抽象写真のカテゴリーに含まれるだろう。この分野では、アーロン・シスキン(1903-1991)が有名だ。しかし、彼の抽象作品は壁面の落書きなど2次元空間のものが圧倒的に多い。一方でケリーの多くの作品は、3次元の空間から創作されている。より写真の特性が生かされているのだ。また写真作品の中に発見できる、様々なパターンやフォルムが、彼の有名な絵画や彫刻と類似している点も大きな特徴だろう。画家エルスワーズ・ケリーの代表作との関連性がわかりやすい写真なのだ。コレクターがそこに大きな価値を見出すことは容易に想像できる。

ちなみに、上記のMatthew Marks Galleryでは、2015~2016年にプリントされた、11X14"サイズでエディション6の作品が1万5千ドル(約157万円)で売られていた。ケリーの絵画をコレクションしている美術館やコレクターには、創作の背景を知る資料としても魅力的な写真作品だと思われる。

最近は「サイ・トゥオンブリーの写真-変奏のリリシズム-」展がDIC川村記念美術館(千葉)で開催されるなど、写真家以外のキャリアを持つアーティストによる写真作品が注目されるようになっている。この現象は、写真のデジタル化進行と現代アート市場の拡大で、写真による表現自体がアート業界で広く認知されてきたことによると理解すべきだろう。

・出版社のウェブサイト
 
・アート・フォト・サイト
 

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2011年8月 2日 (火)

阿部高嗣・写真集「しまなみライフ」
家族の愛をささえに"いま"を生きる

Blog

今回の大震災をきっかけで、普段は気付かない世の中の様々状況を知ることができた。
都市部にはもう存在しない共同体的なコミュニティー。東北には完全に崩れていない地域が残っていることが分かった。
優れた写真集も自分の知らなかった世界を教えてくれることがある。例えば古き良き時代の親子関係。もはや日本には存在しないと多くの都会生活者は考えているのではないか。
ところが、阿部高嗣の写真集「しまなみライフ」(雷鳥社、2011年刊)の中には笑顔あふれるかつてのステレオタイプの子供たちの姿があった。編集作業により現代的な背景のある写真は除かれたのだと思うが、何十年も前の昭和期の家族写真と言われても違和感は感じない。
彼の写真家キャリアはアマチュアにとってまさに理想なのではないか。撮影しているのは多くの人と同じように自分の家族。撮りだめた家族写真が出版社の目にとまり今回写真集化されたのだ。この手の本は自費出版が多いのだが、出版社の企画ものとして刊行されている。来年春には新宿のエプサイトでの個展開催も決まったという。明治安田生命マイハピネス銀賞を取って、コマーシャルの一部に写真が使用されている。

彼に絵心があるのはもちろんだが、それを簡単に引き出すことが出来たのはデジタルカメラの技術進歩がもたらした利便性によるところが大きいだろう。スナップ的な写真はプロでも難しい、デジタルの力がその敷居を低くしていることがよくわかる。阿部の写真の一番の魅力は、3人の子供たちから自然な態度と表情を引き出している点だ。私の自宅の周りに小中学校が多いが、東京ではあのような表情で走り回っている子供を見た記憶がない。彼の写真を読み解くヒントは彼が貨物船の船乗りであることだと思う。いったん海に出ると3カ月も自宅に帰ることはないという。長く離れている時間があるからこそ、親子互いの愛情が高まるのだろう。これが案外重要で、船に乗るという事実で強制的に彼らの中では時間が分断されるのだ。だから久しぶりに再会しても過去や未来にあまり引きずられないのだと思う。また離れ離れになることを互いに知っているからこそ、親子はいまという時間を精一杯生きようとする。愛情の押しつけがないので、カメラを通して親子がうまい具合にコミュニケーションするのだ。のっぺりした日常の中で様々なことを引きずりながら過ごす都会の親子の家族写真ではありえないシーンが生まれる。本書の著者は船乗りだが、案外単身赴任のお父さんにも同じような状況かもしれない。
それに作品の背景になる瀬戸内しまなみ街道の美しい自然風景と四季の移り変わりが写真の魅力を倍増させる。中年日本人が誰しも持つ、古き良き昭和時代の田舎原風景がそこにあるのだ。

いま生きる指針が見つからないで思い悩む日本人が多い。それに対する答えは様々あるだろう。不安感から、何らかの集団やコミュニティーにすがろうという人も増加している。それは、ある程度の心理的な安心感は与えてくれるが、個人の自由を制限する可能性も忘れてはいけない。本書の親子の写真は、ありきたりだが「愛」の可能性を提示している。 私も集団の空気を読みながらそこにすがるよりも、無償の家族愛のほうが個人を支えてくれると思う。阿部の場合は、偶然に船乗りの仕事がそれに気づくきっかけを作ってくれた。人間は、いまという時間にこの社会の中で生きるしかないと悟ると、救いになるのは家族の愛だけだと気付くのだ。あのロバート・フランクが全米の旅の末に最終的に家族愛に行きついたことを思い出してしまう。
この種の、ハッピー系に見える写真集はアート性がないように思われがちだ。しかし、本書はいまという時代を生きるためのメッセージを明確に発信している。1枚のオリジナル・プリントとして売れるかどうかは別にして、写真集として十分に作品になっている。表層はスタイリッシュだが、中身が空っぽな一見アートっぽい写真よりもはるかに魅力的だと思う。

デジタルカメラ、船乗りの仕事、生活環境。本書は様々な偶然が重なって出来上がった写真集なのだ。撮影は彼にとって愛情表現であり、自らを支える行為でもある。そこに本人の邪念がないがゆえに、見る側もごく自然に写真世界に入り込むことが出来る。そして清々しい気持ちにさせてくれる。写真は、見る側、撮る側をともに幸せにする可能性があることを本書は教えてくれる。

阿部高嗣の写真集「しまなみライフ(船長が撮るふるさとの子供たち)」(雷鳥社、2011年刊)1,500円(税別)

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